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第一章・救国の王女

106.オレは彼女と出会った。

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 思い返せば全部とても些細な事だった。小さなきっかけを積み重ねて、徐々にその花は芽吹こうとしていたんだ。
 帝国の騎士達に弱小国の王子でしかないオレは相手にされず、一人で素振りをしていた時。

『一緒に剣の特訓をしませんか?』

 そう、提案してきた風変わりな少女がいた。銀色の髪に寒色の瞳を持つオレよりもずっと小さいその少女が、現フォーロイト帝国唯一の王女アミレス・ヘル・フォーロイト殿下である事は一目で分かった。
 淑女らしくドレスを身に纏うのではなく、男のようにシャツとズボンを身に纏い、扇や宝石ではなく剣を手に持つ少女。
 彼女は一緒に強くなろうと、オレに手を差し伸べてくれたのだ──。

 ある夏の日の事。アミレスとの特訓を初めて二ヶ月程が経った頃だった。この頃にはオレも二つ歳下の彼女と打ち解ける事も出来て、彼女の魔法と剣の師匠たるシルフと師匠とも少しは仲良くなれたと思う(シルフには妙に警戒されているが)。
 お二方ともなんとあの精霊と呼ばれる存在であり、それを初めて聞いた時はアミレスが精霊士なのかと目がひっくり返る思いだった。
 だが実際は違い、何と彼等二人はただの好意…アミレスを気に入ってるからという理由だけで召喚された訳でもなくこちらの世界に降り立ち、アミレスに剣と魔法を教えているらしい。
 気まぐれな精霊にそこまでさせるとは、アミレスにはまだまだオレには分からない魅力や力があるのだろう。そう、当時は納得していた。
 そしてこの夏の日に、オレもその魅力を理解する事となったのだ。

「………小国からの親善使節ごときに、何か御用でしょうか」

 ほぼ毎日天気が悪い日以外はアミレスと共に特訓をしていたので、この日もいつも通り東宮の裏手にある特訓場に向かうつもりだった。
 ただいつも使っている道が馬の手入れだとかで塞がっていて、別の道を行く必要があった。その為に少し騎士団の訓練場近くを通った所……物の見事に絡まれた。
 複数人の騎士に囲まれ、オレは逃げ出せなくなっていた。約束の時間まで後少しなのに、こんな所で道草を食う訳には…………。
 そう考えて事を穏便に済まそうと下出に出たのだが、これは逆効果だったらしい。

「いやぁ、我々も今丁度手が空いておりまして。以前王子が我々と共に訓練がしたいと! そう仰っていた事を思い出しまして、ねぇ?」
「ああそうだ! 王子もきっとお暇でしょう、良ければ我々がお付き合いして差しあげましょうか?」
「遠慮なさらず、例え王子のお遊びの剣であろうと我々は全力でお相手しますから。そうだよなお前達!」
「勿論だとも!」
「だから安心して下さい王子。我々と、共に………訓練、しましょうか?」

 底意地の悪い笑みを浮かべる大人達。それはまるで、新しい遊び道具おもちゃを見つけたかのようであった。
 …いや、事実そうなのだろう。オレは彼等大人を相手に、結果袋叩きにあった。
 木剣とはいえ何度も殴られたら痛いし、最早剣も関係なくただただ嬲られた。体中を傷だらけにされ、服も汚された。
 だけどオレは抵抗しなかった。オレには抵抗する権利が無い。例え彼等が子供相手に複数人で憂さ晴らしをするような屑であろうと、フォーロイト帝国の人間である事は変わりない。
 フォーロイト帝国のご機嫌取りの為に来ているオレが、フォーロイト帝国の人間に刃向かう事など許されないのだ。
 だから何もしない。正直な所、この男達は全員本当に騎士かと疑うぐらい弱い。それに技術も拙い。
 うちの騎士団長や師匠と比べると雲泥の差がある。その為、彼等の攻撃は全部見えたし、避ける事も反撃も可能ではあった。
 だけど許されない。こんな屑相手でもオレは下出に出なくてはならない。反抗してはならない。従順でなくてはならない。それが弱小国オセロマイトが生き残る唯一の道だから。
 オレの感情も、尊厳も関係ないのだ。

「王子サマぁ~、いかがでしたか我々との訓練は? あまりにも王子サマが弱すぎて、まるで我々が集団で王子を嬲ったように見えてしまうではありませんか!」
「俺達はただ王子と訓練していただけなのにな!」
「まさか王子がこんなにも弱いだなんて! まったくの誤算だ!!」
「ははははははは!」

 大人達は何度も訓練だと強調した。別にそのような予防線を張らずとも、フォーロイト帝国がわざわざ我が国相手に配慮する事などないから安心すればいいのに。
 どれだけオレを虐げようと、彼等が罰せられる事は無いだろう。誰しも、弱小国からゴマすりの為に寄越された王子より、この国で騎士として戦う彼等の言葉を信じるだろうから。
 ひとしきり虐げて満足したのか、大人達は「王子サマ、それではまた明日」と卑しい嘲笑を浮かべてここを後にした。
 ボロボロになった体を起こし、執拗に蹴られた腹を押さえる。

「………っ、あのフォーロイト帝国の騎士が、まさかここまで腐敗してるとは……」

 強きをくじき弱きを救う。民の良き営みを守る為に在る騎士という存在が、まさかこのような矮小な行いをするなんて……とオレは密かに失望していた。
 そもそもこの時間、普通ならば騎士としての仕事中なのではないか? そうでないにしても普通は己の実力を高める為に鍛えるものだろう。しかも全員そこそこ酒臭かったぞ。
 何だあの大人達は…寄って集って子供を囲って嬲り、それにこんな真昼間から酒浸りだと? フォーロイト帝国の騎士に憧れていたオレの幼気な心を返して欲しいぐらいだ。

「いって………最悪だ、アミレスとの約束にかなり遅れてしまう……」

 はぁ、と大きくため息をついて立ち上がる。愛剣を手にふらつく足取りで彼女が待つであろう特訓場に向かうと。

「遅かったわねマクベスタ、先始めちゃってるわ……よ…」

 既に剣を手に持っているアミレスが、オレの姿を見てぎょっとしていた。……どんな表情でも愛らしいな、彼女は。

「どうしたの?! 全身ボロボロじゃない!」
「……あー、その…来る道に馬がいてな」
「馬!? まっ、まさか蹴られたとか…? とと、とりあえず早く手当てしなきゃ!!」
「大した事ではないんだ、見た目程痛みも傷も無いから心配するな」
「心配するなって方が無理あるわよ……?!」

 アミレスはそう言いながらハイラさんを呼びに走り出した。その間、オレは師匠と二人きりで取り残される。のそのそと近づいてきた師匠はオレの額目掛けて中指を親指で弾き、中々の打撃を与えてきた。
 額を押えながら師匠を見上げると、師匠はじっとこちらを見下ろしていて。

「なんで何もしなかったんだよ」
「……何の事ですか」
「純粋な姫さんならともかく、本気で俺を騙せると思ってんのか」

 どうやら師匠には嘘が通用しなかったらしい。……本気で騙せるとも思っていなかったが。
 これは仕方のない事なのだと、諦めの面持ちで師匠を見上げて。

「だってオレはフォーロイト帝国へのご機嫌取りで来た身ですから。この国の人間に逆らうなんて事、あってはならないんだ」
「………あっそ。つまんねぇな、お前」

 師匠は興味を失ったかのように踵を返した。あぁ、師匠を失望させてしまったかもしれない。でもこれは仕方のない事なんだ。
 苛立ちや悔しさが無いかと言われれば、勿論あるが……でもこれは表に出してはならないもの。
 大丈夫、感情の抑制なら慣れている。だからきっと平気だ。
 あの日独りだったオレに手を差し伸べてくれた、心優しき彼女に迷惑をかけないで済むのなら。これぐらいいくらでも耐えられるとも。
 色々な道具を持ったハイラさんをアミレスが連れて来て、オレはハイラさんの治療を受けた。
 アミレス以外にはあの下手な嘘は通じなかったようで、治療中のハイラさんにも「…馬との衝突は避ける事を推奨します」と暗に騎士達と関わるなと言われてしまった。
 そして怪我が悪化しない程度にその日も特訓し、帰る頃にはいつもの道も空いていて、誰かに絡まれる事もなく帝国滞在中のオレに用意された部屋に戻る事が出来た。
 そして翌日、よく晴れた日だった。用意された食事を終え、暗澹と曇る心で特訓に向かう。
 今日はいつもの道を通れるといいな、なんてささやかな希望すらも、この氷の国では通用しない。
 城を出てすぐの場所にあの騎士達が待ち伏せしていたのだ。彼等はオレの姿を見つけるなり魔物のように口の端を吊り上げて近寄ってくる。

「昨日振りですねぇ王子サマ~」

 そして馴れ馴れしく肩を組んで来たかと思えば、訓練場まで連行される。──勿論、周りにはオレが同意して着いて行っているように見せかけて。
 ああ、またか。オレはまたアミレスに要らぬ心配をかけてしまうのか。
 袋叩きに遭う事よりもそれが嫌だった。怪我も痛みも放っておけば消えるし忘れるものだ。
 でも……彼女の不安そうな顔や、怯える顔は、いつまでもこの目に焼き付いていて消えやしない。

「それじゃあ王子サマ。今日も楽しく訓練しましょうか」

 男達は一斉に木剣を振り上げて、猛禽類かのような鋭い瞳で笑う。そして男達は勢いよくそれを振り下ろした。

「──止まりなさい!」

 しかし、その木剣はオレに猛威を振るう寸前で停止する。男達は突如訓練場に響いたその声に怯み、驚いていた。
 それはオレも同じであった。その声はここ最近でよく耳にしている、あの少女の声だった──。

「ここは我が帝国が誇りし清廉にして高潔なる騎士団の訓練場! その場を汚すような騎士道精神に反する行いをするなど帝国騎士の恥と知りなさい!!」

 大の大人達を相手に一切怯える様子も無く、その少女は堂々とした態度で言い放つ。
 訓練場に似合わない可憐なドレス。陽光に照らされた銀色の波打つ髪は硝子のように煌めく。深き寒色の瞳は強い意志に満ちていた。
 この場にいる誰もが、彼女が誰であるかを瞬時に理解した。例えこれまで一度も表舞台に立ってなかったのだとしても、間違える筈がない。

「──アミレス・ヘル・フォーロイト、王女殿下……?!」

 男のうちの一人がわなわなと震えながら呟くと、男達は慌てて跪いた。
 現在三人しかおられないフォーロイト帝国が皇族……そのうちの一人が、このような場に現れたのだ。帝国に仕える騎士ならば、跪かない方がおかしいというもの。
 だがオレは跪けなかった。勿論そのつもりはあるのだが、彼女がここにいるという驚きのあまり体が思うように動かないのである。

「クッソ……ッ、何でこんな所に野蛮王女が現れるんだ!?」
「よりにもよってこのタイミングで!」
「いくら陛下と殿下に嫌われてるとは言え一応このガキも皇族だ、バレた以上不味い事になるかもしれん……!!」
「こうなったら何がなんでも雑魚王子に証言させるぞ!」
「所詮相手はロクな教育も受けてねぇ出来損ないだ、言い逃れなんて余裕だろ」

 男達はアミレスに聞こえぬよう小声で会話していた。何と失礼な。何と愚かな。
 この男達は何も分かっていない。アミレスという存在の一欠片も理解していない。にも関わらず知ったような口を聞くなんて。
 許せない。初めてこの男達に怒りを覚えた。今すぐにでも殴りかかってしまいそうで、それを理性で何とか制する。
 ──その時だった。アミレスが威厳を漂わせて口を開いたのだ。
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