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第一章・救国の王女

100.緑の竜 番外編4

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「どれだけあの子を守り救いたいと思っていても今のボク達には何も許されないんだよ………人類の歴史に干渉する事は特に…だから皇帝だって殺せない。その後継ぎの皇太子だって殺せない。あの子にとっての害を排除する事すら、ボク達には許されないんだ………っ」

 猫の口から聞こえて来る感情の籠ったそれは、人間達の心にまで深く届いた。精霊達が今まで感じてきた苦痛を、悔恨を、人間達までもが感じる事となったのだ。

「……加えて、皇帝やら皇太子が死んだとして困るのは帝国の人間達だ。統治者がいなくなれば良くて内紛悪くて侵略…どちらにせよ地獄を見る事になる。そんなの姫さんは望まねぇだろ? だから俺達には本当にやれる事が何も無いんだ…クソうざったい事にな」

 どこか自嘲的なエンヴィーの独白。精霊とはとても強く恐ろしい存在ではあるものの、この通り制約によってかなりの行動が制限される為、実のところ人間界では人間以上に不便なのであった。

「──ならば教えよ、我には何が出来る。我はアミレスに命を救われた………この恩はどんな手段を用いても返さねばならぬ。我はどうすればアミレスの平凡な望みを叶えられるのじゃ」

 誰もが言葉を飲み込み、黙り込んだ空間で。人ならざる少女は鋭い瞳で精霊を見上げた。
 別にアミレスに救われずともナトラは死ななかった。それが本来の歴史、オセロマイト王国が辿る筈だった正史。
 緑の竜はオセロマイト王国中に呪いの種を撒き、その種は花を咲かせ人々から悉くを吸い尽くした。それは人間だけに留まらず、人間の次に家畜等の動物を…その次に植物を……。
 オセロマイト王国全域の生命を枯らしてようやく緑の竜の生命活動は安定し、その時点で呪いの種は撒かれなくなった。
 それにより竜の呪い──草死病そうしびょうがオセロマイト王国外に広まる事は無かったのだ。
 しかしその悲劇が起きたのならば、目を覚ましたナトラは慚愧に堪えなかった事だろう。その奈落のごとき後悔に落ち行き、やがてその身を闇に……魔に堕とす事になる。
 それは大いなる厄災として大陸中に猛威を振るい、これより数年後に神々の愛し子を初めとした勇士達によって消滅させられるのだ。
 ──それが本来辿る筈だった結末。『UnbalanceアンバランスDesireディザイア』二作目本編メインストーリーの一大イベント。
 緑の竜は姉に眠らされた理由も分からず、己の過ちを償う事も出来ず、深い慚愧の中死にゆく。
 しかしこの世界においてその未来は破却された。
 緑の竜は姉に眠らされた理由と思しき事を知り、己の過ちを償う機会も与えられた。そしてオセロマイト王国もまた、滅ぶ事無く存続した。
 これは緑の竜──ナトラにとって非常に大きな借りと、恩となったのだ。
 それ故ナトラは恩返しの方法を模索する。

「………とにかく守ってくれ。暴れる必要は無い。あらゆる外敵から…いつか来るあの子の悲惨な運命から、あの子を守ってくれ」
「……分かった。竜は恩を忘れぬ、あやつに救われたこの命の限り──我はアミレスを守ると緑の竜の名において誓う」

 シルフから告げられた恩返しの方法を受け入れ、ナトラは強く宣言した。
 それに続くように、イリオーデが眦を決して口を開いた。

「…私も、この命にかけて王女殿下を守ると誓う。元より私の全てはあの御方の為にある!」

 イリオーデの決意を聞いたエンヴィーは「ほぉ~」と感心したような声をもらした後、

「……………誰?」

 とシルフにこっそり尋ねた。シルフは呆れたようにため息を一つこぼし、

「……アミィが私兵を雇ったって話はしただろ。あれもその中の一人、凄く面倒臭い気配がする男だ」

 かなり雑に説明した。それにエンヴィーは「確かにちょっとシルフさんと似たタイプっすね」と正直に返してしまい、シルフのドスの効いた「なんか言ったか」という言葉をお見舞いされた。

「っあの! わたしも…わたしもアミレス様の為に生きたいです! アミレス様が誰よりも幸せになれるよう、そのお手伝いがしたいです……っ!!」
(だって、わたしはその為に──アミレス様の為に魔女になると決めたんだもの!)

 そして次に手を挙げたのはメイシアだった。手袋のついた左手を高く掲げ、冷や汗の滲む顔でメイシアはイリオーデに賛同した。
 その言葉に…メイシアを守りたいというアミレスの思いを知っているシルフは疑問をぶつけた。

「敵は皇帝だ、皇太子だ。帝国民の君達が……アミィの為に全てを擲つ事が出来るのか?」
「当然だ。先程も言った通り、私の全ては王女殿下の為にある。相手が誰であろうと関係ない」
「はい。わたしはアミレス様の為ならば、世界だって敵に回す覚悟です」

 精霊からの問に、イリオーデとメイシアは即答した。その覚悟が確かなものであると、精霊は二人を認めた。

(……人間の協力者が多いに越した事はない。後は少しでも早く、一つずつでも制約の破棄を進めないと…)
(うーん、姫さんを守るって言うならお嬢さんに魔眼をもうちょっとあげてみるかなァ………多分あの魔力量なら爆裂の魔眼も使えるんじゃね? 二つの魔眼の同時所持が可能かは分からんが、試してみる価値は…………姫さんの身内が氷の魔力な以上、火の魔力のお嬢さんの存在はかなり重要だしな)

 シルフは制約の破棄を進めないといけないと再確認し、エンヴィーはメイシアを強くしようかと画策する。こうなったらとことん真正面からやり合えるようにするつもりらしい。
 メイシアとイリオーデ二人の覚悟に、マクベスタとディオリストラスは己を見つめ直した。自分はどう思っているのか、どうしたいのか、何を望むのか──。
 考えても考えてもその問題が複雑になるだけで、マクベスタとディオリストラスはゴールのない迷路を延々と駆け回っているような感覚に陥った。

(……アミレスの為に全てを捨てられたら、何て幸せな事なのだろうか)
(殿下の為なら出来る事は全てやりたい。だが、家族を捨てられるかと聞かれれば………あんな風に即答出来ねぇよ…)

 メイシアとイリオーデの覚悟の重さに彼等は人知れず圧倒されていた。自分にはそれだけの覚悟が無いと実感し、動揺を隠せない。
 ……いや、それが普通なのだ。メイシアとイリオーデの覚悟が異常なのである。会って数週間の相手に人生を懸けようとするその覚悟が。
 だがそうさせるだけの理由がそれぞれにあった。
 片や、初めて存在を肯定してくれた人。片や、幼い頃からの生きる意味だった人。
 それぞれの人生でずっと探し求めていたその人とようやく出会う事が出来たのだ。当然、本人達は人生を懸けてでもその人を守ろうとするだろう。
 だが他は違う。大なり小なりアミレスに救われたかもしれないが、ディオリストラスとシャルルギルにはそこまでする理由がない。
 それは、マクベスタとて同じ筈であった──。

(アミレスを守り、救う? 全てにおいてアミレスに劣るオレが? でも………アミレスが死ぬのは嫌だ。あいつがいなくなるなんて、そんなの……)

 ゆっくり、ゆっくりとその蕾は実り始める。が開花する時には、マクベスタはもう後戻り出来なくなる。
 それは人間を狂わせる最悪の病。それは誰もがかかり得る呪い。

(──駄目だ。誰よりも頑張るあいつが報われないだなんて、そのような事があってはいけない)

 ドクン、と強く鼓動する。まるでマクベスタの意思に心臓が呼応しているようだ。
 そんな胸元を強く握りしめ、マクベスタはまだ答えの出ない己の心と向き合うのであった。
 するとナトラが翡翠の長髪を揺らしてディオリストラス達の方を見た。

「とにかくアミレスを命懸けで守るという方向性で話は纏まった事じゃしな………話の腰が折れてしまったが、おい人間。お前が我に聞きたい事とは何じゃ。早う言え、我は今すぐにでもアミレスの元に行きたいぐらいなのじゃ」
(……我の聞きたかった事は会話の流れでほとんど答えを得てしまったからのぅ。後はこの人間の問に答えるだけじゃ)

 それは当初の予定通りの交換条件。こちらの問に答えたならばこちらもお前の問に答えよう、といったもの。
 それにハッとしたディオリストラスは慌てて質問内容を思い出す。一連の話を聞いて、頭が真っ白になりかけていたからである。

「…あー、えっと。殿下がどうやって病を消した……のか、それを聞きたい。元々は殿下がここを抜け出してからの事を聞きたかったんだが、改めて考えりゃアンタは今日殿下と会ったらしいし、ここ数日間の事なんて知らねぇだろうしな」
「お前の言う通り、我は今日アミレスに会ったばかりじゃ。アミレスが我の眠る場に来るまでの事は知らぬ」

 じゃがな、と引っ張る形でナトラは続けた。

「アミレスが我の魔力を浴びて強力になっておった魔物に魔獣にを殲滅し、前人未踏の地下大洞窟──竜の呪いが充満する魔物の巣窟に単身で乗り込んで来た事は確かじゃ。その上で我の元に辿り着き、瀕死の竜を倒すでも恐れるでもなく、あやつは助けた。我を救わんと天にも昇る水の柱を放ち、我が回復する為にと己の魔力が枯渇する寸前まで魔力を寄越しおった。あの時心底思ったのじゃ………この人間は相当な馬鹿のお人好しなんじゃと」

 死にたくなかったとあやつが泣きだした時は同一人物かと疑ったわい。とナトラは付け加えた。
 その返答に、ディオリストラスは「っ~~!」と額に手を当て声にならない声をもらす。アミレスが案の定とんでもない事をしでかしていたからである。

「これまでの事も踏まえお前達に聞きたいのじゃが…誰もアミレスにああする事を強要した訳ではないのじゃな? ここに、死にたくないと泣く子供に命を懸けさせた輩はおらぬのじゃな?」
「あの子の親ならともかく、ここにはそんな奴いないと思うよ。そんな事をする奴があの子の近くにいる事をボクは許さない」

 その言葉に真っ先に反応したのはシルフだった。そうだそうだと言わんばかりに、他の者達はそれに頷き同意する。……ただ一人、青ざめた顔で俯くマクベスタを除いて。
 シルフの断言するような返答をもってナトラは納得したように目を伏せ、

「……ならばあれは本人の意思じゃと。全く訳が分からぬ……」

 小声で呟いた。そしてアミレスの眠る部屋のドアノブに手を掛けて、ナトラは横目でシルフとエンヴィーを見上げて告げる。

「──アミレスに下された天啓とやらを疑え。ではな、我はもう寝る」

 それだけ残し、ナトラは部屋に入っていった。その後アミレスが穏やかに寝息を立てるすぐ側で体を丸めて眠りにつく。
 部屋の前に残された者達は、ナトラの残した言葉の意味を考えていた。

「マクベスタ、姫さんに下された天啓って何だ?」
「……っ、草死病そうしびょうが竜の呪いである事と緑の竜の居場所…は天啓で知ったと、アミレスが話していた」

 天啓についてマクベスタに何か知らないかと尋ねるエンヴィー。慌てて顔を上げ、何とかマクベスタは答えた。しかしそのマクベスタもまた、アミレスがそう話していたという事象しか知らないのである。

「シルフさんの仕業じゃあ……」

 チラリ、と恐る恐るエンヴィーがシルフに視線を向ける。

「ボクは何も知らないよ。というか天啓って何、神々がボクの愛し子にちょっかいかけたって事?」
「…ないっすよねぇ」

 舌打ちをしながら、どこの神だ半殺しにしてやる…と怒りを隠そうともしないシルフに及び腰のエンヴィー。
 独占欲がかなり強いシルフは例え相手が神であろうと──いや、寧ろ神だからこそ本気で憤りを感じている。精霊界にて足と腕を組む彼の本体、その美しい顔にはいくつもの血管擬きが浮かび上がっている。
 目の前の存在は精霊と聞いたものの、その様子は人間味に溢れていてとても人ならざるものとも思えないディオリストラス達。彼等は、精霊ってこんな感じなのか。と初めて見る存在に認識を改めていた。
 そんな中ミカリアは静かに、ラフィリアへと指示を飛ばす。

(天啓と神託は少し違うけど………ラフィリア、念の為にここ数ヶ月の神託を調べて。それと神がこちらに降りて来た可能性もあるから、神気の観測も)
(了解。是、至急?)
(あぁ、今すぐ頼む。本当に神からの言葉なのだとしたら──それを聞いた姫君には、国教会に来て貰わないといけなくなるからね)
(主側、離脱許可)
(あぁごめん、いいよ。行ってきて)

 独自の魔法にて脳内での会話を可能としたミカリアとラフィリアは、天啓に関する調査を始める事にした。何せ神が関わる可能性のある事柄なのだ、その神々を崇める国教会としては動かざるを得ない。
 突如として姿を消したラフィリアに一同は戸惑う。それにはミカリアが「少しお使いを頼んだんです」と言って誤魔化した。

(──寧ろそうであればいいのに。そしたら姫君を、僕が…国教会が守る事が出来るのに……なんて)

 アミレスの悲運を知ったミカリアは物憂げな顔でそんな事を考えていた。そしてそれはもう一人の聖職者とて同じであった。

(彼女を帝国の王女ではなくす事………は諸刃の剣だな。それは確かに彼女が逃げ出す道にもなるが、同時に彼女の首に刃を突きつけるようなものだ。仮に…無情の皇帝がこれまで彼女を殺さなかった理由が血統ないし数少ない皇族という点ならば、彼女を殺してくれと言っているようなものになる)

 ミカリア同様大きな宗教でアミレスを囲えば…と考えたリードであったが、これが危険な賭けとなる事を理解し、これはナシだな………とため息混じりに項垂れた。
 こうしてこの話し合いは幕を閉じた。それぞれが与えられた部屋に戻り──はしなかったものの、各々の過ごし方でその夜は過ぎ行く。
 トラウマにでもなっているのか部屋の前から離れようとしない男達が一晩中その場で駄弁り、当たり前のようにアミレスの部屋に精霊達は足を踏み入れ、アミレスより送られた手紙を聖人は読み返し、アミレスを守る為に更なる努力を積む決意をしたメイシアは早速徹夜で勉強に励み、この先どうしたものかと思い悩むマクベスタとリードはそれぞれの部屋で考えに耽る。
 そしてずっと姿を見せていなかったある少年は、全てを欺き少女を愛おしむ。

 美しい下弦の月のもとで、少女は知らぬ間にあまりにも重く強力な忠誠を手に入れたのであった──。
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