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第一章・救国の王女

87.ある青年の使命

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「ねぇこんな時間になーにしてるの、リード」

 長々と物思いに耽っていた僕を、誰かが呼んだ。その無邪気な声に引っ張られるようにぎこちない動きでそちらを向くと。

「……………随分と早起きだね、シュヴァルツ君」

 そこには、楽しそうにニコニコ笑みを浮かべる少年が立っていた。
 まっっっっっっずい。非常~~~~~~にまずい。
 急いでパイプを体の後ろに隠し、冷や汗を滝のように流しながら僕はなんとかガタガタの笑顔を作る。しかし無邪気な少年にそれは通用しなかったようで。

「人気のない所でボーっとしながら煙草吸ってるリードの方が、ずぅっと早起きだよー」

 なんか意外~。と言いながらシュヴァルツ君は僕のすぐ側まで駆け寄ってきて、煙草の臭いを嗅いでは「あーこういうタイプの……」と呟いていた。
 …はぁ、どうしたものか。化けの皮が剥がれないようにって考えていたのに。物の見事にバレてしまったよ。
 重苦しいため息を大きくつき、もうこうなったらと自棄ヤケになって僕は独りでに語りだした。

「……やっぱり似合わないでしょう? 真面目で優等生の僕には。酒も煙草も…」
「どしたの急に。自分語りで感傷に浸ってる感じー?」
「…君、見かけによらずめちゃくちゃ辛辣だね」
「見かけによらないのはそっちもでしょぉ」

 笑顔で辛辣な事を言うシュヴァルツ君。中々どうして…この無邪気な少年の言葉は胸に刺さるじゃないか。
 うん、少し心が痛いぞぅ。

「……はは。見かけによらないどころか、僕はずっとよく思われたくて優等生いいひとを演じ続けてたんだ。本性はこんなにも卑屈で面倒で誰の期待にも応えられない出来損ないなのにね」

 自嘲気味に語り続けていると、シュヴァルツ君が「でもさ」と口を切った。

「人間ってそういうものでしょ。本当に一切自分を偽らない人間なんて世界中探しても絶対にいない。だから何かを演じてるっていうのは全然おかしくない事だと思うけど」

 その手元でパイプをクルクルと回して手遊びをしながらシュヴァルツ君は話した………って待って、あれ僕のじゃないか。いつの間に取られたんだ…!?
 と驚愕する僕を置いて、彼は更に続けた。

「人間っていうのは好かれる割合と嫌われる割合が綺麗に五分五分で定められてるの。だから例えば一人の男がいたとしてぇ……その男は街の人全員に嫌われてるんだけど、別の街では街の人全員に好かれる。ほら、不幸の後には幸運が来るってやつとかと似た感じ。そういうめぐる仕組みなんだよ、この世界って…相手がどう思ってくれるかなんて、その時の運次第。気にするだけ時間の無駄」

 退屈そうな顔でシュヴァルツ君は話を続けていた。その顔から既に笑顔は消えていて、何故か全くの別人のように見えてしまった。

「以上を踏まえまして。リードが言ってる『嫌われたくない』っていうのはどれくらいの範囲での話なの? 参考ついでに言うと、ぼくはお気に入りのおねぇちゃんに嫌われさえしなければ他の人間にはどう思われてもいいかなって思ってるよぅ! そもそも他人に興味ないし!」

 パッと思い出したように咲いた明るい笑顔。ちょっと辛辣で冷たいシュヴァルツ君の言葉を聞いて、僕は自分の胸に問いかけた。
 僕は一体なにを望んでいるのか…どれだけの人に好かれたいと思っているのか──どれだけの人の期待に、応えたいと思うのか。

「………」

 長く、長く沈黙が続いた。力無く俯いて僕は考えていた。
 シュヴァルツ君は空気が読めないようで読める子らしく、僕の返事を待ってくれているようだった。
 ただ、退屈だからって人のパイプを解体するのはやめて欲しいな……。
 それはともかく──僕が望む事は。

「…うん、僕は、僕が期待に応えたいと思った人の期待に応えられたらそれでいいかな。好かれたいって……よく思われたいって人にだけ、そう思って貰えたらもう十分だ」

 僕は子供相手に情けない心情を吐露した。
 世界中の人に愛されたいとか無理難題だし、不可能だ。だが同時に、世界中の人に嫌われるのも難しいらしい。
 ならば確かに、深く考える必要なんて無いんじゃないかなって。

「あーあ、そんな気はしてたけど僕って本当に欲張りと言うか……好かれたい人にだけ好かれたいとか…」
「え。それで欲張りって判定になるの? ぼくが言うのも何だけど、リードも大概変だよね…主に価値観が」
「あははは、本当に君には言われたくないかも」

 相手は王女殿下よりも更に小さい子供なのに、何故か僕は酒の席で飲み交わす相手のような…そんな気分で話していた。
 色々と不可思議な少年だからこそそんな錯覚を引き起こすのか。はたまた僕の頭がおかしいのか。

「こんな普通に誰かと話したのは久しぶりだなぁ。ありがとう、猫被りのシュヴァルツ君。僕相手に猫を被るのをやめてくれて」

 隣に立つ少年に向けて、笑顔を向ける。あの奴隷商事件の日の夜、初めて彼に会った時から分かっていた事。
 この不可思議な少年が僕達相手に──王女殿下に、とてつもなく大きな隠し事をしているのは。

「…んー、人の皮被るのもやめてくれても良いんだよ? 別に誰にも言わないし」

 ──だって君は、ただの人間ではないだろう? そう僕は問いかけた。
 初めて彼に会った時から気づいていた。この少年はただの人間ではない……それどころか、恐らく魔に近い何かあるいは魔そのもの。
 なんの理由があって完全に人間に擬態しているのか分からないものの、一切の敵意と悪意を感じなかったから放置していた。
 半人前で出来損ないの僕には彼の正体を突き止める事は出来ない。まあ──どこぞの聖人様なら、その限りではないのだろうけど。

「…ふふ、やっぱりバレてたんだ。神聖十字臨界セイクリッド・ペトロだっけ、アレを使える人間だからもしかしたらぼくの事気づいちゃうかも? とは思ってたけど」

 シュヴァルツ君は愉しげに口の端を吊り上げ、無邪気に…邪悪に笑っていた。
 すると彼は突然しゃがみこみ、地面に指で逆十字を描き出して。

「アレってさぁ、元々聖人とやらが数十年前の魔物の行進イースターの時に編み出したっていう殲滅魔法でしょ? 何で君が使えるのかちょっと疑問だったんだよねー」

 人差し指についた土を、ふぅっと息を吹きかけて落とす。そんな事をしながら彼は僕に話を振った。
 まさかこの子、神聖十字臨界セイクリッド・ペトロを知ってるのか。本当に何者なんだろう。
 しかし話を振られたからには返事をしようと、僕は簡単な経緯を話した。

「ありきたりな話だけどね、僕は昔からずっととある人を超える為だけに父親に修行させられていたんだ。神聖十字臨界セイクリッド・ペトロはその過程で習得させられたもの。他にも沢山…とある人が出来る事で、且つ僕も出来る事は全て。ああでも、出来ない事も無理やりやらされたかなぁ。とにかく血反吐を吐きながら死ぬ思いで修行させられたよ」

 個人的に何も感じない記憶の数々を笑い話にしながら、僕は彼の疑問に答えた。
 これまでの二十年近い人生で、僕はその大半の時間を無駄だと分かりきった馬鹿な挑戦の為に費やして来た。
 本当に、全部無駄なのに。どう足掻いても僕はを超えられない。僕だけじゃない…限られた命である人類が、あの男を超えられる訳が無いんだ。
 例外があるとすれば……加護属性ギフトを持つ人間か、王女殿下か。王女殿下のあの才能なら…もしかしたら彼を超える事も可能かもしれない。

「ある人ってだぁれ?」

 興味津々とばかりにシュヴァルツ君が首を傾げる。
 僕は少し間を置いてから、彼の不思議な瞳を見つめて答えた。

「──ミカリア・ディア・ラ・セイレーン。人類最強と誉高い、聖人様だよ」

 生まれてすぐの頃より追いかける事を強要され続けた遥か遠くの背中。
 その名を告げた所、シュヴァルツ君は少し目を丸くした後、「ぷっ」と笑いだして。

「ぷは、あははははっ! そうか。聖人ときたかぁ~いやぁ、面白い事を考えるねぇリードの父親は」
「そうだろう? いい歳してまだ夢見てるんだ」

 何かが相当ツボに入ったのかシュヴァルツ君は、お腹を抱えてしばらく笑い転げていた。ひとしきり笑って満足したのか目尻に少量の涙を浮かべ、シュヴァルツ君は「ひぃー………っ」と余韻に浸っていた。
 そしてその後、僕の顔を見上げて未だ楽しそうに弾む声をもらした。

「…でも不可能でも無いと思うよ。リードなら多分…頑張れば聖人と張り合えるようになるんじゃないかなぁー?」

 頭を鈍器で殴られたような気分だ。ただ呆然と立ち尽くす僕の前に移動して、シュヴァルツ君はいつの間にか元通りになっているパイプをこちらに向けて不敵に笑った。

「超える事は無理だろうね。でも張り合うぐらいなら多分可能だ。だって君──聖人と同じぐらいの土台はあるだろ?」

 話してないのに、彼はどうやら僕の立場にも気づいてしまったらしい。
 ……まぁこの子ならそれも不思議ではないか。何者か未だに分からないし。
 それにしても…超える事は出来ずとも張り合う事は出来る、か。

「……本当に、僕があの聖人と張り合えると?」
「うん。リードは愉快な程色んなものが揃ってる。足りないのは確固たる目標や使命だけだ。それさえ揃えば…張り合うぐらいはいけるんじゃない?」

 僕の問にシュヴァルツ君は即答した。
 ──目標、使命。そんなもの確かに今まで無かった。核心を突かれたような気分だった。

「だってほら。リードは今までずっと嫌々やらされて来たんでしょ、何もかも自分の意思とは関係なしにさ。だからもう、そういうのやめちまえよ。他人の言葉や意思とか関係なく自分勝手に好きに生きてこそじゃん?」

 その少年は嗤う。今まで見て来た無邪気な笑顔が嘘のように、禍々しく邪悪に笑った。
 妖しく光る金色の瞳の中でひし形に瞳孔が開かれる。それは人間のものと思えない程鋭く、瞳もろとも悦楽に歪められた。
 ああ、やっぱりこの少年は…人ではないんだな。

「…それじゃあ教えて欲しいな。僕には何が出来るのか」

 この言葉を待っていたとばかりに、少年はニィッと唇で三日月を描いた。

「──おねぇちゃんの盾になれる。おねぇちゃんを支える柱になれる。無情の皇帝とやらや神々でさえも彼女に手出し出来なくなるような、最強の後ろ盾……今のぼくには無理だけど、君ならなれるでしょう?」

 ドクン、と心臓が大きく鼓動する。

「勿論決めるのは君だ。リードは彼女の期待に応えたいって思ったんだろ? 期待を裏切りたくないって思ったんだろ? ならば、これも選択肢の一つとしては十分だとぼくは思うよ」

 シュヴァルツ君はにこにこといつもの笑顔を作った。先程までの邪悪さは何処に消えたんだと自身の目を疑うぐらいの変わりようである。
 ──僕の人生の目標として、僕は聖人と同等の強さを目指す。
 ──僕の人生の使命として、僕は彼女を支える後ろ盾と成る。
 ……あぁ、なんて面白そうな人生なんだ。これまでとは違って、達成しがいのある目標と使命。嫌悪感もなく、前向きになれるような生きる理由だ。
 いつの間にか僕の頬は緩んでいた。まだ決めた訳では無いけれど…でも、確かにこの目標と使命なら全然いいなと思えてしまったからだ。

「………ありがとう、シュヴァルツ君。前向きに検討しておくよ」
「あは、いい返事を期待しておくねぇ」

 こちらに向けられていたパイプを受け取り、僕はお礼を述べた。シュヴァルツ君はその言葉を最後に、スキップしながらどこかへ行ってしまった。
 一人残された僕はもう昇り始めている太陽を見上げ、考える。
 人を癒す事しか出来なくて、誰の期待にも応えられないような僕だけど…いつか他にも色々出来るようになれたらいいな。
 何より──お転婆なお姫様を守る盾とか、男としては最高の栄誉じゃないか。

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