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第一章・救国の王女
33,5.ある伯爵の回想
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「おやすみ、メイシア」
目に入れても痛くないぐらい愛しい一人娘が眠ったのを確認し、私はそう告げた。
すー…すー…と小さく寝息を立てるメイシアを起こさぬよう、細心の注意を払い娘の部屋を出る。
廊下に出ると、執事長のオルロットが未だ潤う目元をハンカチーフで拭っていた。私に気づいたオルロットは急いでそのハンカチーフをしまった。
「…如何でしたか、お嬢様のご様子は」
「ぐっすりと眠ってくれたよ。…まさかこんな時間に帰ってくるとは」
壁に掛けられた時計に目を送る。それは今三時半の辺りを指している。メイシアが帰って来たのはこれより二時間程前。
それより二時間程の間、メイシアから話を聞いたりメイシアが軽く湯浴みをしていたり…色々とあって、ようやく就寝に至ったのだ。
「……本当に、良かった。無事に帰って来てくれて」
それだけが本当に嬉しくて、私は安心したあまり目頭を熱くした。
メイシアの話によると、メイシアは四日前にどうしても欲しい物があったとかで一人で買い物に行き、その際に拐かされてしまったらしい。
その後人身売買を行う奴隷商の拠点まで連れて行かれ、その容姿の愛らしさから早々に買い手がついてしまったとか。
明日…いや今日の朝にはどこかの屑の元に売り払われてしまう所だったのだが、そこに偶然現れたのが、王女殿下──スミレと名乗る少女だったらしい。
王女殿下はどこかで人身売買の噂を聞き、そして自ら商品として捕らわれる事で奴隷商の拠点を暴いた。その上で無辜の子供達を解放し救い出さんとして身を粉にしたらしい。
更にはこれ以降被害が出ないようにとたった一人で大の大人達に立ち向かったのだと言う。人身売買の証拠を手に入れる為に大人達と正面から戦い、そのほとんどを打ち破ったのだとか。
メイシアが何度も笑顔で、
『スミレちゃんは凄いの!』
そう繰り返すので、私はつい、頬が緩んでしまった。…ただ、その際にメイシアも少しだけ魔法を使ったと聞き、それには肝を冷やした。
王女殿下は確か御歳が十二程であらせられる筈だ、それだけの少女が大人達相手に何故無事でいられたのか……私はどうしてもそれが不思議で仕方無かったのだが、それにはメイシアが、
『だってスミレちゃんだから。とっても強くて、綺麗で、優しい、わたしの女神様のスミレちゃん……じゃあなくて…アミレス様だから!』
と初めて見るような満面の笑みで答えた。あのメイシアがこんな風に笑って、こんな風に誰かの事を楽しげに話すなんて…とここでも私は泣いてしまいそうになった。
社交界や世間で『野蛮王女』と称される剣を振る王女……これまでただの一度も表舞台に姿を表さず、社交界では常に様々な憶測が飛び交わされている。
そして何よりも広まっている王女殿下の噂と言うのが──皇帝陛下と王子殿下よりその存在を疎まれている。と、言う旨のものだった。
勿論、私は噂など信じていない。この目で見たものしか信じない主義だからだ。
しかし社交界は違った。噂好きの令嬢や貴族達は恐れ知らずにも、そのような不敬にあたる噂を人目を憚る事無く口にする。さもそれが事実であると確信しているかのように。
だが、私はそれを信じなかった。噂のように皇帝陛下が王女殿下に関心を示されておらずとも…私は全て、自身の目で確かめない限りは信じるつもりは無かったのだ。
………そうは言いつつも、僅かにだが私も誤った先入観を持ってしまっていたらしい。どれだけ信じまいとしていても、気がつけば誤った先入観、誤った前提で物事を考えていた。
メイシアを連れ帰ってくれた少女の髪があの銀色に変わった時、私はそれを痛感した。
皇族特有のものと言われている銀色の髪。氷のように冷たい寒色の瞳。そして…いつか拝謁した皇后様の面影をとても感じる顔立ち。
その全てが、少女の身分や存在を物語っていた。
確かに似つかわしくない長剣を手に持ち、服の至る所が汚れてしまっている。だが、王女殿下から社交界で言われるような野蛮さは感じられなかった。
寧ろ野蛮とは真逆の……高潔さや気品すら感じた。
所作も特に文句のつけ所が無く、皇族でありながらも当然のように謝罪をする姿にはあわをくってしまいそうになった。
メイシアの事を友達と仰ってくださった、心優しき御方。
侮辱罪に該当してしまうだろうが、とてもあの皇帝陛下の娘とは思えない、表情豊かで思いやりに溢れた少女。
私が話したのはほんの一時のみで、後はメイシアの話を聞いただけだったが、それでも十二分に理解する事が出来た。
そして感心したのだ。……感心したとは即ち、それだけ低く見ていたと言う事だ。
この時、私は己の愚かさを恥じた。何度も何度もうわ言のように繰り返してきた言葉を、知らず知らずの内に己が違えていたのだから。
「……ネラの所に行ってくる。彼女にも、メイシアが無事に帰ってきた事を伝えなければならない。領地の父と母にメイシアの無事を知らせる手紙を出しておいてくれ」
「畏まりました」
オルロットにそう伝え、私は屋敷の角にある妻の部屋へと向かった。日当たりもよく、最も静かで落ち着いた場所。
いつも妻が眠るその部屋に、私はゆっくりと足を踏み入れた。
魔力灯の明かりだけが頼りとなる広い部屋。
天蓋と透けた黒いカーテンに囲まれるベッドの上で、妻は静かに…小さく…寝息を立てている。
「ネラ……屋敷も随分と大騒ぎだったから君も気づいたかもしれないが、今日、無事にメイシアが帰って来たよ。怪我も無く、酷い事をされた訳でも無いようだ」
細く病的に真っ白な手をそっと握り、眠る妻に語りかける。妻からの反応は無い。
「聞いてくれ、ついに、メイシアに友達が出来たんだ。メイシアがあんなに無邪気に笑い、話している姿は初めて見たよ。しかも何と、相手はアミレス・ヘル・フォーロイト王女殿下なんだ。本当に驚きだろう? メイシアを連れ帰って下さったのも王女殿下なんだ──」
妻はずっと眠っている。もう十年近く、一度たりとも目を覚ましてくれなかった。
妻は延焼の魔眼と呼ばれる特殊な瞳を持つ優しく強かな女性だった。朱色の髪が美しい、彼女の地元でも飛び抜けた容姿だった。
彼女は平民だったのだが、たまたま彼女の住む街に商売に出ていた時に出会い、私は一目で恋に落ちてしまった。
その後足繁く彼女の元に通い続け、一年程が経った時、彼女は観念したように私の告白を受け入れてくれた。それが今より十五年前。私が十九歳で妻が十七歳の時だった。
きちんと段階を踏んで行きたいと言う彼女の為に、私達はまず恋人関係を楽しむ事とした。彼女がやりたい事を全て叶えてあげたかった。彼女が望む事を全て叶えてあげたかった。
そうやって彼女と恋人になってから二年程が経ち、私はそろそろ求婚してもいいだろう。と巷で若い女性に人気の求婚らしい(伯爵家調べ)、指輪と花束を用意して勇み足で彼女の元に向かった……。
そして求婚すると、彼女はとても困った顔をしてしまった。本当に自分でいいのかと、伯爵家に相応しくないのではと、彼女は昔から難度も繰り返し零していたが、私はその度に関係ない。と告げていた。
そして私達はようやく婚姻を結んだ。彼女は晴れて伯爵家の一員となり、私が片想いに足掻き苦しんでいた事を知っている侍従達は彼女の事もすぐに受け入れた。
私の両親も大恋愛の末にまとまった人達だったので、この事に一切文句を言わず、とても彼女を歓迎していた。
……そして私達は蜜月を過ごし、まぁ、なんだ…きちんと夫婦としての営みにも励んだ。
寧ろ褒めて欲しいぐらいだ。私はネラと婚姻を結ぶまでほとんど手を出さなかったのだから。…口付けぐらいは許して欲しい。
そして運良く、私達は子宝に恵まれた。彼女が懐妊したと聞いた時、私は大事な取引の書類をインク塗れにしてしまった。
妊娠とは女性の体にかなりの負担がかかるものと、私も母から聞いていた。だから当時既に爵位を継承していた私は、できる限りの事をした。少しでも妻が過ごしやすいよう精一杯配慮した。
そして私達は二人で子供の名前を考えたりもしていた。男の子ならニーズエイド、女の子ならメイシア…そうやって生まれてくる子供に思い馳せていた。
私はとても幸せだったし、これからも幸せなのだと思っていた。愛する妻と可愛い子供と共に幸せな家庭を築けるなんて、私はなんと幸福で恵まれているのか…そう、幸せを噛み締めていた。
だがしかし、その幸せは無慈悲にも欠ける事となった。
出産が近づくにつれ、彼女は高熱を出す事が多くなった。出産当日も高熱だった。無理はしなくていいと何度も伝えたのだが、彼女は高熱に汗を浮かべて微笑んで言った。
『貴方との子供だもの、無理をしてでも産んでみせるわ………ねぇ、あなた。生まれた子供は、沢山…沢山愛してあげましょうね』
そして、出産が始まった。私に出来る事など何も無く、私はただ苦しむ彼女の手を取り『頑張れ』と声をかける事ぐらいだった。
手を握っていて分かったのだが、彼女の体は人体とは思えない程に熱かった。
近頃ずっと、金にものを言わせて屋敷に滞在して貰っていた国教会の大司教に並行して治癒や処置を頼んだ。それでも追いつかない程、彼女の体は燃えるように熱くなっていった。
そして子供が生まれた時、ついに事件が起きたのだ。
『っぎゃああああっ』
『~~っ!? ぁっ、あああああああ! 熱い、熱いぃいいいっ』
赤ん坊の産声に合わせて、彼女の体が内側より燃えたのだ。突如発生した異常事態にその場は騒然とし、私は絶望しかけた。
しかしそんな暇も無いと必死に彼女を救おうと火を消そうとするが、原因も分からなければどうすればいいかも分からなかった。
『ネラッ! ネラぁあああああああッ!!』
愛する妻が謎の炎に巻かれ苦しんでいると言うのに、私はただ叫ぶ事しか出来なかった。
大司教も必死に火を消そうとするが、それもほとんど効果を見せなかった。
思いつく限りの方法を試したが効果は無い。私の耳には、妻の苦悶の叫びと子供の産声だけが届く。
更なる悲劇が起こる。彼女に続き子供までもが燃えたのだ。その手は生まれたばかりの赤ん坊の右腕を包み込み、赤ん坊の柔い右腕をあっさりと焼失させ、火の手は一時的に消えた。
しかし、妻はまだ苦しんでいる。でも私には救う方法が…ッ!
もう、どうしようも無い。膝から崩れ落ちそうになった時。大司教が何かを発見したようで…。
『まさか…っ、伯爵! 貴方の子供は魔眼を持っています! それも奥様と同じ延焼の魔眼です!! この発火はお子様の魔眼が原因と思われます!』
子供の瞳を慌てて確認すると、確かに妻と同じ赤い特殊な雰囲気の瞳をしていた。
『すぐに魔眼封じの術式を構成します!』
大司教の手により魔眼封じの魔法が発動し、火の手は収まった……が、しかし。子供の体から腕が一つ焼失し、妻は全身を焼き尽されてしまいそうだった。
何も、無事じゃない。今日から平和で幸せな日々が始まる筈だったのに、どうしてこんな事に…。
大司教の治癒の甲斐もあって、妻も子供も一命はとりとめた。
だが…妻は大司教の治癒魔法持ってしても治しきれない程内蔵を幾つも損傷したようで、この日を気に寝たきりになった。それは十一年程が経った今も続いている。
そして子供…いや、娘であるメイシアもまた大司教の治癒であろうとも治せない傷を負った。大司教と言えども失くなったものを治す事は出来ないらしい。
それが可能なのは枢機卿やかの有名な聖人様ぐらいだと言われ………事実上不可能なのだと突きつけられたようでその時は奥歯を強く噛み締めた。
…大司教は悪くない。これは私の怠慢だったのだ。
もっとちゃんと妻の容態に気を配っていれば、もっとちゃんと延焼の魔眼を知っていれば、もっとちゃんと出産に気をつけていれば……そんな際限の無い後悔が押し寄せ、私の心を暗く覆い尽くしたのだ。
目に入れても痛くないぐらい愛しい一人娘が眠ったのを確認し、私はそう告げた。
すー…すー…と小さく寝息を立てるメイシアを起こさぬよう、細心の注意を払い娘の部屋を出る。
廊下に出ると、執事長のオルロットが未だ潤う目元をハンカチーフで拭っていた。私に気づいたオルロットは急いでそのハンカチーフをしまった。
「…如何でしたか、お嬢様のご様子は」
「ぐっすりと眠ってくれたよ。…まさかこんな時間に帰ってくるとは」
壁に掛けられた時計に目を送る。それは今三時半の辺りを指している。メイシアが帰って来たのはこれより二時間程前。
それより二時間程の間、メイシアから話を聞いたりメイシアが軽く湯浴みをしていたり…色々とあって、ようやく就寝に至ったのだ。
「……本当に、良かった。無事に帰って来てくれて」
それだけが本当に嬉しくて、私は安心したあまり目頭を熱くした。
メイシアの話によると、メイシアは四日前にどうしても欲しい物があったとかで一人で買い物に行き、その際に拐かされてしまったらしい。
その後人身売買を行う奴隷商の拠点まで連れて行かれ、その容姿の愛らしさから早々に買い手がついてしまったとか。
明日…いや今日の朝にはどこかの屑の元に売り払われてしまう所だったのだが、そこに偶然現れたのが、王女殿下──スミレと名乗る少女だったらしい。
王女殿下はどこかで人身売買の噂を聞き、そして自ら商品として捕らわれる事で奴隷商の拠点を暴いた。その上で無辜の子供達を解放し救い出さんとして身を粉にしたらしい。
更にはこれ以降被害が出ないようにとたった一人で大の大人達に立ち向かったのだと言う。人身売買の証拠を手に入れる為に大人達と正面から戦い、そのほとんどを打ち破ったのだとか。
メイシアが何度も笑顔で、
『スミレちゃんは凄いの!』
そう繰り返すので、私はつい、頬が緩んでしまった。…ただ、その際にメイシアも少しだけ魔法を使ったと聞き、それには肝を冷やした。
王女殿下は確か御歳が十二程であらせられる筈だ、それだけの少女が大人達相手に何故無事でいられたのか……私はどうしてもそれが不思議で仕方無かったのだが、それにはメイシアが、
『だってスミレちゃんだから。とっても強くて、綺麗で、優しい、わたしの女神様のスミレちゃん……じゃあなくて…アミレス様だから!』
と初めて見るような満面の笑みで答えた。あのメイシアがこんな風に笑って、こんな風に誰かの事を楽しげに話すなんて…とここでも私は泣いてしまいそうになった。
社交界や世間で『野蛮王女』と称される剣を振る王女……これまでただの一度も表舞台に姿を表さず、社交界では常に様々な憶測が飛び交わされている。
そして何よりも広まっている王女殿下の噂と言うのが──皇帝陛下と王子殿下よりその存在を疎まれている。と、言う旨のものだった。
勿論、私は噂など信じていない。この目で見たものしか信じない主義だからだ。
しかし社交界は違った。噂好きの令嬢や貴族達は恐れ知らずにも、そのような不敬にあたる噂を人目を憚る事無く口にする。さもそれが事実であると確信しているかのように。
だが、私はそれを信じなかった。噂のように皇帝陛下が王女殿下に関心を示されておらずとも…私は全て、自身の目で確かめない限りは信じるつもりは無かったのだ。
………そうは言いつつも、僅かにだが私も誤った先入観を持ってしまっていたらしい。どれだけ信じまいとしていても、気がつけば誤った先入観、誤った前提で物事を考えていた。
メイシアを連れ帰ってくれた少女の髪があの銀色に変わった時、私はそれを痛感した。
皇族特有のものと言われている銀色の髪。氷のように冷たい寒色の瞳。そして…いつか拝謁した皇后様の面影をとても感じる顔立ち。
その全てが、少女の身分や存在を物語っていた。
確かに似つかわしくない長剣を手に持ち、服の至る所が汚れてしまっている。だが、王女殿下から社交界で言われるような野蛮さは感じられなかった。
寧ろ野蛮とは真逆の……高潔さや気品すら感じた。
所作も特に文句のつけ所が無く、皇族でありながらも当然のように謝罪をする姿にはあわをくってしまいそうになった。
メイシアの事を友達と仰ってくださった、心優しき御方。
侮辱罪に該当してしまうだろうが、とてもあの皇帝陛下の娘とは思えない、表情豊かで思いやりに溢れた少女。
私が話したのはほんの一時のみで、後はメイシアの話を聞いただけだったが、それでも十二分に理解する事が出来た。
そして感心したのだ。……感心したとは即ち、それだけ低く見ていたと言う事だ。
この時、私は己の愚かさを恥じた。何度も何度もうわ言のように繰り返してきた言葉を、知らず知らずの内に己が違えていたのだから。
「……ネラの所に行ってくる。彼女にも、メイシアが無事に帰ってきた事を伝えなければならない。領地の父と母にメイシアの無事を知らせる手紙を出しておいてくれ」
「畏まりました」
オルロットにそう伝え、私は屋敷の角にある妻の部屋へと向かった。日当たりもよく、最も静かで落ち着いた場所。
いつも妻が眠るその部屋に、私はゆっくりと足を踏み入れた。
魔力灯の明かりだけが頼りとなる広い部屋。
天蓋と透けた黒いカーテンに囲まれるベッドの上で、妻は静かに…小さく…寝息を立てている。
「ネラ……屋敷も随分と大騒ぎだったから君も気づいたかもしれないが、今日、無事にメイシアが帰って来たよ。怪我も無く、酷い事をされた訳でも無いようだ」
細く病的に真っ白な手をそっと握り、眠る妻に語りかける。妻からの反応は無い。
「聞いてくれ、ついに、メイシアに友達が出来たんだ。メイシアがあんなに無邪気に笑い、話している姿は初めて見たよ。しかも何と、相手はアミレス・ヘル・フォーロイト王女殿下なんだ。本当に驚きだろう? メイシアを連れ帰って下さったのも王女殿下なんだ──」
妻はずっと眠っている。もう十年近く、一度たりとも目を覚ましてくれなかった。
妻は延焼の魔眼と呼ばれる特殊な瞳を持つ優しく強かな女性だった。朱色の髪が美しい、彼女の地元でも飛び抜けた容姿だった。
彼女は平民だったのだが、たまたま彼女の住む街に商売に出ていた時に出会い、私は一目で恋に落ちてしまった。
その後足繁く彼女の元に通い続け、一年程が経った時、彼女は観念したように私の告白を受け入れてくれた。それが今より十五年前。私が十九歳で妻が十七歳の時だった。
きちんと段階を踏んで行きたいと言う彼女の為に、私達はまず恋人関係を楽しむ事とした。彼女がやりたい事を全て叶えてあげたかった。彼女が望む事を全て叶えてあげたかった。
そうやって彼女と恋人になってから二年程が経ち、私はそろそろ求婚してもいいだろう。と巷で若い女性に人気の求婚らしい(伯爵家調べ)、指輪と花束を用意して勇み足で彼女の元に向かった……。
そして求婚すると、彼女はとても困った顔をしてしまった。本当に自分でいいのかと、伯爵家に相応しくないのではと、彼女は昔から難度も繰り返し零していたが、私はその度に関係ない。と告げていた。
そして私達はようやく婚姻を結んだ。彼女は晴れて伯爵家の一員となり、私が片想いに足掻き苦しんでいた事を知っている侍従達は彼女の事もすぐに受け入れた。
私の両親も大恋愛の末にまとまった人達だったので、この事に一切文句を言わず、とても彼女を歓迎していた。
……そして私達は蜜月を過ごし、まぁ、なんだ…きちんと夫婦としての営みにも励んだ。
寧ろ褒めて欲しいぐらいだ。私はネラと婚姻を結ぶまでほとんど手を出さなかったのだから。…口付けぐらいは許して欲しい。
そして運良く、私達は子宝に恵まれた。彼女が懐妊したと聞いた時、私は大事な取引の書類をインク塗れにしてしまった。
妊娠とは女性の体にかなりの負担がかかるものと、私も母から聞いていた。だから当時既に爵位を継承していた私は、できる限りの事をした。少しでも妻が過ごしやすいよう精一杯配慮した。
そして私達は二人で子供の名前を考えたりもしていた。男の子ならニーズエイド、女の子ならメイシア…そうやって生まれてくる子供に思い馳せていた。
私はとても幸せだったし、これからも幸せなのだと思っていた。愛する妻と可愛い子供と共に幸せな家庭を築けるなんて、私はなんと幸福で恵まれているのか…そう、幸せを噛み締めていた。
だがしかし、その幸せは無慈悲にも欠ける事となった。
出産が近づくにつれ、彼女は高熱を出す事が多くなった。出産当日も高熱だった。無理はしなくていいと何度も伝えたのだが、彼女は高熱に汗を浮かべて微笑んで言った。
『貴方との子供だもの、無理をしてでも産んでみせるわ………ねぇ、あなた。生まれた子供は、沢山…沢山愛してあげましょうね』
そして、出産が始まった。私に出来る事など何も無く、私はただ苦しむ彼女の手を取り『頑張れ』と声をかける事ぐらいだった。
手を握っていて分かったのだが、彼女の体は人体とは思えない程に熱かった。
近頃ずっと、金にものを言わせて屋敷に滞在して貰っていた国教会の大司教に並行して治癒や処置を頼んだ。それでも追いつかない程、彼女の体は燃えるように熱くなっていった。
そして子供が生まれた時、ついに事件が起きたのだ。
『っぎゃああああっ』
『~~っ!? ぁっ、あああああああ! 熱い、熱いぃいいいっ』
赤ん坊の産声に合わせて、彼女の体が内側より燃えたのだ。突如発生した異常事態にその場は騒然とし、私は絶望しかけた。
しかしそんな暇も無いと必死に彼女を救おうと火を消そうとするが、原因も分からなければどうすればいいかも分からなかった。
『ネラッ! ネラぁあああああああッ!!』
愛する妻が謎の炎に巻かれ苦しんでいると言うのに、私はただ叫ぶ事しか出来なかった。
大司教も必死に火を消そうとするが、それもほとんど効果を見せなかった。
思いつく限りの方法を試したが効果は無い。私の耳には、妻の苦悶の叫びと子供の産声だけが届く。
更なる悲劇が起こる。彼女に続き子供までもが燃えたのだ。その手は生まれたばかりの赤ん坊の右腕を包み込み、赤ん坊の柔い右腕をあっさりと焼失させ、火の手は一時的に消えた。
しかし、妻はまだ苦しんでいる。でも私には救う方法が…ッ!
もう、どうしようも無い。膝から崩れ落ちそうになった時。大司教が何かを発見したようで…。
『まさか…っ、伯爵! 貴方の子供は魔眼を持っています! それも奥様と同じ延焼の魔眼です!! この発火はお子様の魔眼が原因と思われます!』
子供の瞳を慌てて確認すると、確かに妻と同じ赤い特殊な雰囲気の瞳をしていた。
『すぐに魔眼封じの術式を構成します!』
大司教の手により魔眼封じの魔法が発動し、火の手は収まった……が、しかし。子供の体から腕が一つ焼失し、妻は全身を焼き尽されてしまいそうだった。
何も、無事じゃない。今日から平和で幸せな日々が始まる筈だったのに、どうしてこんな事に…。
大司教の治癒の甲斐もあって、妻も子供も一命はとりとめた。
だが…妻は大司教の治癒魔法持ってしても治しきれない程内蔵を幾つも損傷したようで、この日を気に寝たきりになった。それは十一年程が経った今も続いている。
そして子供…いや、娘であるメイシアもまた大司教の治癒であろうとも治せない傷を負った。大司教と言えども失くなったものを治す事は出来ないらしい。
それが可能なのは枢機卿やかの有名な聖人様ぐらいだと言われ………事実上不可能なのだと突きつけられたようでその時は奥歯を強く噛み締めた。
…大司教は悪くない。これは私の怠慢だったのだ。
もっとちゃんと妻の容態に気を配っていれば、もっとちゃんと延焼の魔眼を知っていれば、もっとちゃんと出産に気をつけていれば……そんな際限の無い後悔が押し寄せ、私の心を暗く覆い尽くしたのだ。
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