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第一章・救国の王女
33.家に帰りましょう。2
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私の銀髪と寒色の瞳を見て、周りの人達の大半が顔を青くした。
社交界でどれだけ野蛮王女だの砂上の楼閣だのと言われていても、私がフォーロイト家に生まれた皇族である事には変わりない。社交界の者達は私と一度も会った事が無いし、今後会う事も無いだろうからと好き勝手言ってるだけであって…。
そう、例え相手が野蛮王女であろうとも……皇族とこのような所で会うなど、普通の帝国民なら恐怖に他ならない状況だ。
そりゃあ皆さんとてあんな顔をしてしまうだろう。
「…ッ、申し訳ございませんでした! 王女殿下のお手を煩わせてしまい…!!」
勢い良く膝を着いて、伯爵が頭を下げる。そんな伯爵に続いて、使用人の方々も怯えた様相で頭を垂れた。
「頭を上げてください。確かに私はこの国の王女ですけど…今回の一件は王女として行った事ではなく、私がただ、虐げられる幼い少年少女を救いたいと思い独断で行った事。ここまで出会った人達には素性を隠し『スミレ』と名乗っておりました。誰一人として、私がアミレス・ヘル・フォーロイトだと気づいた人はいなかったでしょう」
頭を下げている伯爵や使用人の方々にそれを止めるよう促し、私は話す。
「ですので、私が王女だからと伯爵に頭を下げられても困ります。どうしても感謝又は謝罪をしたいのなら、メイシアの友達のスミレにしてやってください。アミレス・ヘル・フォーロイトとしては、褒められるような事も謝られるような事も何一つしておりませんので」
そう微笑んで伝えると、伯爵が目を丸くしてパッと顔を上げた。
何度か私とメイシアに視線を交互に送ってから、彼はおもむろに目頭を熱くさせた。
「そう、ですか………本当に、本当にありがとうございます…っ」
感涙に咽ぶ伯爵に、執事さんが駆け寄ってハンカチーフを差し出した。伯爵の背中をゆっくりとさする執事さんの瞳にも涙が浮かんでいるようだった。
その様子を眺めていると、メイシアがちょこちょこ…とゆっくり近づいてきて、
「……スミレ、ちゃん…」
寂しそうな、嬉しそうな、そんな複雑な表情でメイシアは私のもう一つの名を呼んだ。
私はメイシアの左手を優しく握って、それに答える。
「なぁに?」
「…これからも、わたしは、友達でいてもいいの…ですか?」
「当たり前じゃない。私達は友達よ? ああでも、距離を感じるから敬語はやめて欲しいかな」
そう頼むと、メイシアはまた笑顔を咲かせた。…この笑顔を守る為にも、絶対にフリードルと関わらないでいいようにしないと。
「その、王女殿下…お言葉ですが、せめて公の場ではメイシアに敬語を使わせてやってくださいませんか……王女殿下のご厚意を無下にするようで大変心苦しいのですが…」
伯爵の言葉は正しい。果たして私が公の場に出る事があるかどうかは分からないが、とにかくもしそのような事があれば、私の言葉に従ったが故にメイシアが無礼な子になってしまう。
私は全然構わないのだが、世間はそうはいかない。きっとメイシアが悪し様に噂されてしまう事だろう。
メイシアを目に入れても痛くない程可愛がっている伯爵としては、それは絶対に避けたい子供なのかもしれない。
だからこその、この申し出か。私はそれに一度頷いて、
「それもそうですね。メイシア、周りに人がいない時なら私は全然構わないけれど…人前では一応敬語を使ってくれたら嬉しいわ」
とメイシアに頼んだ。彼女はぺこりと頭を小さく下げて、
「うん。人前では……えっと、王女殿下とお呼びさせていただきます」
また距離を感じてしまう呼び方をして来たのだ。…名前で呼んでくれてもいいのに。
呼ばれ方が気に食わなかった私は、頬を膨らませてメイシアに文句を言った。
「友達なのに名前で呼んでくれないんだ」
「えっ…でも、あの…」
メイシアが困ったように瞳を右へ左へ送る。私は、初めての女の子の友達に名前で呼んで貰えないと言うのが耐えられず、困らせてしまうと分かっていたのにも関わらずこんな事を言ってしまった。
「………アミレス様…って、呼んでも…いいですか?」
「勿論! …ふふっ、名前で呼んでもらえるのって嬉しいね」
ここで私はメイシアからの名前呼びを勝ち取った。普段私の名前を呼んでくれるのなんてマクベスタぐらいだからなぁ…シルフは愛称呼びだし。
ハイラさんが姫様でエンヴィーさんが姫さん…うん、本当に名前で呼んでくれる人が少ないからなぁ、私の身の回りには。
だからこうして友達に名前で呼んで貰えると言うのが嬉しくて仕方ない。シルフが前に、自分だけの名前で呼ばれるのが嬉しいと言っていたけれど、確かにその通りのようだ。
名前を呼んで貰えただけで胸がぽかっ…て暖かくなった気がした。フォーロイトの氷の心が少しずつ溶かされていくような、そんな気分だ。
「……伯爵、私はそろそろお暇しますね。とうに日付も変わってますし、そろそろ城に戻らないといけないので」
メイシアから離れ、私は伯爵に向けてお辞儀する。本当の事を言えば朝までに戻れば特に問題無いんだけど、そんな事よりも、私としては数日振りの再会なのだから親子水入らずの時間を過ごして欲しいのだ。
午前零時はとっくに過ぎた。灰被りの王女はこの眩しくて暖かい舞台から姿を消さなければならない。
「お待ち下さい、王城まで馬車でお送り致します!」
「お気遣いありがとうございます、ですが必要ありません」
伯爵が馬車の手配をしようと執事さんに命令するのを見て、私はすかさずそれを止めた。
何故…と困惑する伯爵に私は事情を話す。
「……馬車で戻ったりすれば、私が抜け出した事が知られてしまいます。本来私は皇宮より出るなと皇帝陛下より言いつけられている身です、こうして皇宮の外にいる事が異常事態なのです。なので誰にも見つからないよう戻る必要があるのですよ」
「そうだったのですか…差し出がましい真似を……」
「いいえ、そのような事は…伯爵の優しさは十分我が身に染み渡っております」
私はちゃんと皇族らしく笑えているだろうか。今まで表舞台に出る事が無かったから、皇族らしい振る舞いにはいまいち自信が無い。
そして私は、メイシアが持っていた帳簿を受け取り伯爵邸を後にする。その際門の外まで見送りに来てくれたメイシアを抱き締めて、私は笑顔で別れを告げた。
「また会いましょう、メイシア!」
「っ、うん!」
メイシアは一生懸命手を振って見送ってくれた。私も、しばらくは後ろ歩きをしながらメイシアに向けて手を大きく振っていた。
しかし途中で「危ないですよ」とリードさんに言われ、ちゃんと前を見て歩く事にした。
「…敬語は嫌だって先程言ったばかりだと思うのですが」
誰に言うでもなく、私はそう呟いた。するとこれまた誰に言うでもない呟きが聞こえてくる。
「…しがない旅人の私が、王女殿下相手に馴れ馴れしく接するなど不可能ですよ」
…これだから素性を明かしたくなかったのよ。せっかく友達になってくれたのに、せっかく良くしてくれたのに…私の身分一つで全部ボロボロになってしまうじゃない。
せっかく仲良くなれたのに……。
「身分とか別に関係なくなーい?」
気まずさからか、しんっ…と水を打ったように静かになっていた空気に、突然明るく無邪気な言葉が落とされる。
その言葉に引かれるように私達はシュヴァルツの方を見た。
「身分とか関係なしに、話したい人と話して遊びたい人と遊んで仲良くなりたい人と仲良くなるものなんでしょ、人間って。そこに年齢とか性別とか身分とか関係ないじゃんー」
シュヴァルツは、にこやかな笑みでやけに達観した物言いをした。
それに唖然とする私達。ふとリードさんの方を見てみると、かなり困惑した様子で固まっていた。
その様子を見て…私はつい、小さく吹き出してしまった。
だって、あんまりにも不思議な絵面だったんだもの。大人が子供の発言に振り回されているようで……失礼だとは思うのだけれど、面白くてつい笑ってしまった。
口元を腕で覆っているのに、ふふふっ、と笑い声が漏れ出てしまう。
「おねぇちゃん、何がそんなに面白いのー?」
シュヴァルツの純粋な瞳が私を貫く。リードさんがちょっと不憫というか面白くて、それで笑っていると言えば悪く思われてしまいそう……と私は答えを詰まらせた。
答えに迷った私は──逃げ出す事にした。
「…えーっと、内緒! それよりシュヴァルツっ、王城まで競走しましょう!」
肝を冷やしつつ提案する。私が指さした先に見えるは帝都の中で最も大きく壮麗な建造物、氷の城(別に氷で出来ている訳では無い)。
城を目指して進めば、相当な方向音痴で無い限り、誰でも城に辿り着く事が出来ると言われているある種の目印のようなもの。
ここは広い通りだし、このままほとんど直進で王城まで行く事が出来る。なので、その道を競走しようと私は提案したのだ。
「いいよぉ!」
と言って、シュヴァルツが先に走り出してしまう。「まだスタートって言ってないけど!」とシュヴァルツに向けて叫びながら、私はリードさんの方を振り向いた。
「ほら、リードさんも行きますよ! 子供相手だからって手加減とかしないでくださいね!」
「え…!?」
未だ少しポカンとしているリードさんを置いて、私も走り出す。
どうしても私を家まで送り届けたいらしいリードさんならきっとこの競走にも参戦してくれる事だろう。だって参戦しないとだいぶ距離が出来てしまうもの。
…今は何時頃だろうか。夜空には月が浮かび、春だからかまだ少し肌寒く感じる。
真夜中なこの世界で、私をただの女の子に変えてくれた魔法はもう解けちゃったけれど、それでも私は王女とかそう言った立場を気にする事なく目一杯その僅かな時間を楽しんだ。
たった少し、真っ直ぐ家へと続く道を進む間だけ…お城に戻ったら、もう普通の女の子にはなれないから。
だからこの間だけは普通の女の子のようにはしゃぎたいの、楽しみたいの。
そんなささやかな願いを抱いて、私は月明かりの中、広く長い道を走り抜けた。
「………勝負はリードさんの勝ちです。大人気ないですね」
「いやいや、君が手加減無しでと言ったんじゃないか…」
王城の外壁近くにて。先程の競走の結果に私達は異議を申し立てていた。
途中まで、無尽蔵の体力と化け物じみた身体能力を発揮したシュヴァルツが独走していたのだが、最後に走り出したリードさんが凄まじい勢いで追い上げ、最終的に勝利したのだ。
どうやら身体強化の付与魔法を自身に施したらしい。めちゃくちゃ不正だと思う。
……そもそも付与魔法は治癒魔法と同等かそれ以上に習得するのが難しい光の魔力専用魔法だ。
治癒魔法に限らず付与魔法まで使えるとかこの人何者…?
「大人気なーい。負けず嫌ーい」
「うっ…勝負だと言うから…」
シュヴァルツの言葉がリードさんの胸を貫く。…そういえば、リードさんからあのよそよそしさが無くなった気がする。シュヴァルツの言葉が効いたのかしら?
リードさんともここでもうお別れだし、最後にと私は一つ尋ねてみた。
「リードさん、もし良ければ泊まっていらっしゃる宿を教えていただけませんか?」
「……どうして?」
「もしかしたらお伺いする機会があるかもしれませんので」
「…はぁ、君は本当に色々とらしくないと言うか……」
リードさんは眉尻を下げてため息をついた。…何だろう、さっきのディオさんと似てるなこの感じ。
「あの噴水広場から少し行った所にある水の宿って言う宿屋だよ。まぁ、教えはするけど誰も尋ねて来ない事を祈るかな…王女様のような人は特に」
リードさんはどうやら私が尋ねて来ない事を祈っているらしい。絶対に来るなよ? とリードさんの目が言っている。
でも教えてくれるんですね、ディオさんと言いリードさんと言いなんのかんの言って優しい人だなぁ。
「それじゃあ僕はそろそろ帰るよ。二人共…特にスミレちゃんはゆっくり休みなさいな」
リードさんは昼間話をしてくれていた時のようにとても優しく微笑み、私達に背を向けて歩きだした。
…こんな夜分遅くに突然大勢の子供達の治癒を頼まれて引き受けただけでなく、わざわざ家まで送ってくれるだなんて……本当に優しい人だなぁ、リードさんは。
その事に文句も言わず最後まで私達の事を気遣ってくれるとか、あの人どんな環境で生まれ育ったんだ一体。
そんな風にリードさんの優しさにある種の恐れすらも抱きつつ、一時的になけなしの魔力で全反射を行い、城壁の門のすぐ近くにある衛兵の待機部屋へと繋がる小さい扉を例の如く鍵を作って開く。
中に侵入すると居眠りをしている衛兵がいたので、それに気付かれぬよう忍び足で進み、もう一つの扉を開き王城の敷地内へと足を踏み入れる。
そのまま城壁沿いに皇宮方面へと駆け抜け、抜け出した際と同じ窓から自分の部屋に入る。
シュヴァルツを私室から扉続きの隣の小部屋へ「この部屋は好きに使っていいよ」と言って通し、私は急いで寝巻きに着替える。
急激に襲って来た眠気に瞼を擦りながら帳簿と剣を机の上に置いて、ボロボロの服を隠し、そして入眠する。
疲れたなぁ、とぼんやり考えながら夢の中に堕ちていく……。
こうして、長いようでとても短い一日が、ようやく終わったのだ。
社交界でどれだけ野蛮王女だの砂上の楼閣だのと言われていても、私がフォーロイト家に生まれた皇族である事には変わりない。社交界の者達は私と一度も会った事が無いし、今後会う事も無いだろうからと好き勝手言ってるだけであって…。
そう、例え相手が野蛮王女であろうとも……皇族とこのような所で会うなど、普通の帝国民なら恐怖に他ならない状況だ。
そりゃあ皆さんとてあんな顔をしてしまうだろう。
「…ッ、申し訳ございませんでした! 王女殿下のお手を煩わせてしまい…!!」
勢い良く膝を着いて、伯爵が頭を下げる。そんな伯爵に続いて、使用人の方々も怯えた様相で頭を垂れた。
「頭を上げてください。確かに私はこの国の王女ですけど…今回の一件は王女として行った事ではなく、私がただ、虐げられる幼い少年少女を救いたいと思い独断で行った事。ここまで出会った人達には素性を隠し『スミレ』と名乗っておりました。誰一人として、私がアミレス・ヘル・フォーロイトだと気づいた人はいなかったでしょう」
頭を下げている伯爵や使用人の方々にそれを止めるよう促し、私は話す。
「ですので、私が王女だからと伯爵に頭を下げられても困ります。どうしても感謝又は謝罪をしたいのなら、メイシアの友達のスミレにしてやってください。アミレス・ヘル・フォーロイトとしては、褒められるような事も謝られるような事も何一つしておりませんので」
そう微笑んで伝えると、伯爵が目を丸くしてパッと顔を上げた。
何度か私とメイシアに視線を交互に送ってから、彼はおもむろに目頭を熱くさせた。
「そう、ですか………本当に、本当にありがとうございます…っ」
感涙に咽ぶ伯爵に、執事さんが駆け寄ってハンカチーフを差し出した。伯爵の背中をゆっくりとさする執事さんの瞳にも涙が浮かんでいるようだった。
その様子を眺めていると、メイシアがちょこちょこ…とゆっくり近づいてきて、
「……スミレ、ちゃん…」
寂しそうな、嬉しそうな、そんな複雑な表情でメイシアは私のもう一つの名を呼んだ。
私はメイシアの左手を優しく握って、それに答える。
「なぁに?」
「…これからも、わたしは、友達でいてもいいの…ですか?」
「当たり前じゃない。私達は友達よ? ああでも、距離を感じるから敬語はやめて欲しいかな」
そう頼むと、メイシアはまた笑顔を咲かせた。…この笑顔を守る為にも、絶対にフリードルと関わらないでいいようにしないと。
「その、王女殿下…お言葉ですが、せめて公の場ではメイシアに敬語を使わせてやってくださいませんか……王女殿下のご厚意を無下にするようで大変心苦しいのですが…」
伯爵の言葉は正しい。果たして私が公の場に出る事があるかどうかは分からないが、とにかくもしそのような事があれば、私の言葉に従ったが故にメイシアが無礼な子になってしまう。
私は全然構わないのだが、世間はそうはいかない。きっとメイシアが悪し様に噂されてしまう事だろう。
メイシアを目に入れても痛くない程可愛がっている伯爵としては、それは絶対に避けたい子供なのかもしれない。
だからこその、この申し出か。私はそれに一度頷いて、
「それもそうですね。メイシア、周りに人がいない時なら私は全然構わないけれど…人前では一応敬語を使ってくれたら嬉しいわ」
とメイシアに頼んだ。彼女はぺこりと頭を小さく下げて、
「うん。人前では……えっと、王女殿下とお呼びさせていただきます」
また距離を感じてしまう呼び方をして来たのだ。…名前で呼んでくれてもいいのに。
呼ばれ方が気に食わなかった私は、頬を膨らませてメイシアに文句を言った。
「友達なのに名前で呼んでくれないんだ」
「えっ…でも、あの…」
メイシアが困ったように瞳を右へ左へ送る。私は、初めての女の子の友達に名前で呼んで貰えないと言うのが耐えられず、困らせてしまうと分かっていたのにも関わらずこんな事を言ってしまった。
「………アミレス様…って、呼んでも…いいですか?」
「勿論! …ふふっ、名前で呼んでもらえるのって嬉しいね」
ここで私はメイシアからの名前呼びを勝ち取った。普段私の名前を呼んでくれるのなんてマクベスタぐらいだからなぁ…シルフは愛称呼びだし。
ハイラさんが姫様でエンヴィーさんが姫さん…うん、本当に名前で呼んでくれる人が少ないからなぁ、私の身の回りには。
だからこうして友達に名前で呼んで貰えると言うのが嬉しくて仕方ない。シルフが前に、自分だけの名前で呼ばれるのが嬉しいと言っていたけれど、確かにその通りのようだ。
名前を呼んで貰えただけで胸がぽかっ…て暖かくなった気がした。フォーロイトの氷の心が少しずつ溶かされていくような、そんな気分だ。
「……伯爵、私はそろそろお暇しますね。とうに日付も変わってますし、そろそろ城に戻らないといけないので」
メイシアから離れ、私は伯爵に向けてお辞儀する。本当の事を言えば朝までに戻れば特に問題無いんだけど、そんな事よりも、私としては数日振りの再会なのだから親子水入らずの時間を過ごして欲しいのだ。
午前零時はとっくに過ぎた。灰被りの王女はこの眩しくて暖かい舞台から姿を消さなければならない。
「お待ち下さい、王城まで馬車でお送り致します!」
「お気遣いありがとうございます、ですが必要ありません」
伯爵が馬車の手配をしようと執事さんに命令するのを見て、私はすかさずそれを止めた。
何故…と困惑する伯爵に私は事情を話す。
「……馬車で戻ったりすれば、私が抜け出した事が知られてしまいます。本来私は皇宮より出るなと皇帝陛下より言いつけられている身です、こうして皇宮の外にいる事が異常事態なのです。なので誰にも見つからないよう戻る必要があるのですよ」
「そうだったのですか…差し出がましい真似を……」
「いいえ、そのような事は…伯爵の優しさは十分我が身に染み渡っております」
私はちゃんと皇族らしく笑えているだろうか。今まで表舞台に出る事が無かったから、皇族らしい振る舞いにはいまいち自信が無い。
そして私は、メイシアが持っていた帳簿を受け取り伯爵邸を後にする。その際門の外まで見送りに来てくれたメイシアを抱き締めて、私は笑顔で別れを告げた。
「また会いましょう、メイシア!」
「っ、うん!」
メイシアは一生懸命手を振って見送ってくれた。私も、しばらくは後ろ歩きをしながらメイシアに向けて手を大きく振っていた。
しかし途中で「危ないですよ」とリードさんに言われ、ちゃんと前を見て歩く事にした。
「…敬語は嫌だって先程言ったばかりだと思うのですが」
誰に言うでもなく、私はそう呟いた。するとこれまた誰に言うでもない呟きが聞こえてくる。
「…しがない旅人の私が、王女殿下相手に馴れ馴れしく接するなど不可能ですよ」
…これだから素性を明かしたくなかったのよ。せっかく友達になってくれたのに、せっかく良くしてくれたのに…私の身分一つで全部ボロボロになってしまうじゃない。
せっかく仲良くなれたのに……。
「身分とか別に関係なくなーい?」
気まずさからか、しんっ…と水を打ったように静かになっていた空気に、突然明るく無邪気な言葉が落とされる。
その言葉に引かれるように私達はシュヴァルツの方を見た。
「身分とか関係なしに、話したい人と話して遊びたい人と遊んで仲良くなりたい人と仲良くなるものなんでしょ、人間って。そこに年齢とか性別とか身分とか関係ないじゃんー」
シュヴァルツは、にこやかな笑みでやけに達観した物言いをした。
それに唖然とする私達。ふとリードさんの方を見てみると、かなり困惑した様子で固まっていた。
その様子を見て…私はつい、小さく吹き出してしまった。
だって、あんまりにも不思議な絵面だったんだもの。大人が子供の発言に振り回されているようで……失礼だとは思うのだけれど、面白くてつい笑ってしまった。
口元を腕で覆っているのに、ふふふっ、と笑い声が漏れ出てしまう。
「おねぇちゃん、何がそんなに面白いのー?」
シュヴァルツの純粋な瞳が私を貫く。リードさんがちょっと不憫というか面白くて、それで笑っていると言えば悪く思われてしまいそう……と私は答えを詰まらせた。
答えに迷った私は──逃げ出す事にした。
「…えーっと、内緒! それよりシュヴァルツっ、王城まで競走しましょう!」
肝を冷やしつつ提案する。私が指さした先に見えるは帝都の中で最も大きく壮麗な建造物、氷の城(別に氷で出来ている訳では無い)。
城を目指して進めば、相当な方向音痴で無い限り、誰でも城に辿り着く事が出来ると言われているある種の目印のようなもの。
ここは広い通りだし、このままほとんど直進で王城まで行く事が出来る。なので、その道を競走しようと私は提案したのだ。
「いいよぉ!」
と言って、シュヴァルツが先に走り出してしまう。「まだスタートって言ってないけど!」とシュヴァルツに向けて叫びながら、私はリードさんの方を振り向いた。
「ほら、リードさんも行きますよ! 子供相手だからって手加減とかしないでくださいね!」
「え…!?」
未だ少しポカンとしているリードさんを置いて、私も走り出す。
どうしても私を家まで送り届けたいらしいリードさんならきっとこの競走にも参戦してくれる事だろう。だって参戦しないとだいぶ距離が出来てしまうもの。
…今は何時頃だろうか。夜空には月が浮かび、春だからかまだ少し肌寒く感じる。
真夜中なこの世界で、私をただの女の子に変えてくれた魔法はもう解けちゃったけれど、それでも私は王女とかそう言った立場を気にする事なく目一杯その僅かな時間を楽しんだ。
たった少し、真っ直ぐ家へと続く道を進む間だけ…お城に戻ったら、もう普通の女の子にはなれないから。
だからこの間だけは普通の女の子のようにはしゃぎたいの、楽しみたいの。
そんなささやかな願いを抱いて、私は月明かりの中、広く長い道を走り抜けた。
「………勝負はリードさんの勝ちです。大人気ないですね」
「いやいや、君が手加減無しでと言ったんじゃないか…」
王城の外壁近くにて。先程の競走の結果に私達は異議を申し立てていた。
途中まで、無尽蔵の体力と化け物じみた身体能力を発揮したシュヴァルツが独走していたのだが、最後に走り出したリードさんが凄まじい勢いで追い上げ、最終的に勝利したのだ。
どうやら身体強化の付与魔法を自身に施したらしい。めちゃくちゃ不正だと思う。
……そもそも付与魔法は治癒魔法と同等かそれ以上に習得するのが難しい光の魔力専用魔法だ。
治癒魔法に限らず付与魔法まで使えるとかこの人何者…?
「大人気なーい。負けず嫌ーい」
「うっ…勝負だと言うから…」
シュヴァルツの言葉がリードさんの胸を貫く。…そういえば、リードさんからあのよそよそしさが無くなった気がする。シュヴァルツの言葉が効いたのかしら?
リードさんともここでもうお別れだし、最後にと私は一つ尋ねてみた。
「リードさん、もし良ければ泊まっていらっしゃる宿を教えていただけませんか?」
「……どうして?」
「もしかしたらお伺いする機会があるかもしれませんので」
「…はぁ、君は本当に色々とらしくないと言うか……」
リードさんは眉尻を下げてため息をついた。…何だろう、さっきのディオさんと似てるなこの感じ。
「あの噴水広場から少し行った所にある水の宿って言う宿屋だよ。まぁ、教えはするけど誰も尋ねて来ない事を祈るかな…王女様のような人は特に」
リードさんはどうやら私が尋ねて来ない事を祈っているらしい。絶対に来るなよ? とリードさんの目が言っている。
でも教えてくれるんですね、ディオさんと言いリードさんと言いなんのかんの言って優しい人だなぁ。
「それじゃあ僕はそろそろ帰るよ。二人共…特にスミレちゃんはゆっくり休みなさいな」
リードさんは昼間話をしてくれていた時のようにとても優しく微笑み、私達に背を向けて歩きだした。
…こんな夜分遅くに突然大勢の子供達の治癒を頼まれて引き受けただけでなく、わざわざ家まで送ってくれるだなんて……本当に優しい人だなぁ、リードさんは。
その事に文句も言わず最後まで私達の事を気遣ってくれるとか、あの人どんな環境で生まれ育ったんだ一体。
そんな風にリードさんの優しさにある種の恐れすらも抱きつつ、一時的になけなしの魔力で全反射を行い、城壁の門のすぐ近くにある衛兵の待機部屋へと繋がる小さい扉を例の如く鍵を作って開く。
中に侵入すると居眠りをしている衛兵がいたので、それに気付かれぬよう忍び足で進み、もう一つの扉を開き王城の敷地内へと足を踏み入れる。
そのまま城壁沿いに皇宮方面へと駆け抜け、抜け出した際と同じ窓から自分の部屋に入る。
シュヴァルツを私室から扉続きの隣の小部屋へ「この部屋は好きに使っていいよ」と言って通し、私は急いで寝巻きに着替える。
急激に襲って来た眠気に瞼を擦りながら帳簿と剣を机の上に置いて、ボロボロの服を隠し、そして入眠する。
疲れたなぁ、とぼんやり考えながら夢の中に堕ちていく……。
こうして、長いようでとても短い一日が、ようやく終わったのだ。
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