授業

高木解緒 (たかぎ ときお)

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 社会科の増谷先生は身長一九〇センチくらい、大柄の固太りで、そのせいか声がやたらと大きいです。怒りっぽくて、ゆでだこみたいな顔になって、いつも生徒を怒鳴ります。
 先生は、増谷先生が〝正しく〟怒っていると思いますか?
 普通に悪いことをして怒られるならしかたないです。でも増谷先生は勝手な勘違いで、よく生徒を怒鳴りつけるんです。瞬間に沸騰して、生徒の弁明を許しません。
 わたしはまだ、怒鳴られたことはありませんけれど、例え自分が怒られていなくても、誰か別の、例えばいつもやんちゃして「ちょっとうざいな」って感じの男子が怒鳴られていると、増谷先生の罵声のような怒鳴り声が耳や首筋あたりにじんじん響いて、なんだかこちらまで一緒に怒られているような気がしてきます。その男子に同情してしまうくらいなんです。授業は教科書を読むばかり、めいっぱい開いた蛇口みたいにダダ流しでとてもつまらないし、先生に比べたら教員としての資質は限りなくゼロに近いと思います。
 その時、わたしのクラスは先生の授業中でした。
 やっぱり面白い、先生の授業です。こればかりは、どうしようもない事実です。
 わたしにとって、このクラスのみんなにとって、先生の授業は面白いのです。
 その上わたしはと言えば、先生と心が通じ合ってからのことですから、先生の顔を直接見つめることはまだまだ全然できそうもなくて、けれど緊張に固まって困ってしまう感じというのでもなく、油断すると骨を溶かしに来る先生の声へ「真面目に勉強もやって見せるんだから」と柔らかく逆らう気分で、はりきってプリントに取り組んでいたんです。
 だから廊下を通して増谷先生の怒鳴り声が聞こえてきた時は、そんな気分を突然、遠慮なしに引き裂かれた気がして思わず顔をあげました。クラスのみんなもやっぱり顔をあげていて、互いに目配せをしています。中には露骨に嫌悪感を示す子もいました。
「ほいほい、集中しろ」
 先生が声をかけて机の間を回り始めたので、みんなさっと顔を伏せました。
 でも、説明文の中にヒントを探すふりをして、耳はじっと澄ませているんです。わたしは必至で字面を追って、頭の中から増谷先生の声を消そうとしました。「俺の授業がそんなにつまらねえのか」とか「俺のことなめてんのか」とか、興奮は収まらない様子で、チンピラというのはきっとああいう人のことを言うんだ、と思いました。大切な時間の邪魔をするな、と怒りさえ覚えました。どこのクラスで怒鳴っているんだろう、と思って、そう言えば弓香が「次、社会じゃんッ」と前の休み時間に廊下で会った時言っていたのを思い出して、その時、増谷先生の声が弓香の名字を怒鳴ったんです。わたしは青褪める思いがしました。怒られているのは、弓香なのです。
 最悪だ、と思いました。弓香は前から増谷先生が嫌いです。それにあの性格ですから、もしも彼女が口ごたえをしたなら、と思うと背筋が凍ります。いいえ、増谷先生の興奮が全く収まらない様子なのは、きっと、口ごたえしているからに違いありません。
 わたしはおろおろした気分になってまた顔をあげました。その拍子に先生と目が合いました。先生は苦笑いのような、引き攣ったような顔をしていました。
 わたしに向かって小さく肩を竦めて見せ、多分わたしが「助けに行ってあげて欲しい」とでも言いげな顔をしていたのでしょう。さらに渋い顔、残念そうな顔になって、静かに首を振りました。わたしは目を逸らせました。わかっています。先生同士の領分のようなものを知らないわけではありません。でも――と、その時、イヤな音がしました。何かを叩く音。机やいすのひっくり返る音。再びわたしは先生を見ました。先生もわたしを見ていました。いいえ、わたしを見ていたわけではないのでしょう。でも再び、目が合いました。先生の目には何かを察知した色があり、正しい閃き、決心があり、
「みんな、ちょっとプリントやっててな」
 先生はそう言うと、廊下へ出て行きました。


 Ⓒ髙木解緒 2017

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