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約束の日 ⑹

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「思い出し……?」

リズが訝しく思ってヴェートルを見ると、彼はリズに視線をよこした。流し目で見られて、思わずリズは息を飲む。なんだかその瞳が嫣然めいて見えたのだ。

「……石の記録は、私の記憶でもあったようですね」

「それ、」

「……今夜はあなたが怖がるのではないかと思い、あそこから連れ出しました。共に夜を過ごし、朝を迎えれば……あなたの恐怖も拭えるのではないかと」

「……ヴェートル、様」

呆然とリズは呟いた。
過去の、記憶。それはつまり、ヴェートルもまた、過去を体験したということで。
リズが言葉をなくしていると、彼が静かに答えた。

「記憶を取り戻した……いや、引き継いだ、と言うべきでしょうか。私が記憶を引き継いだのは、あの石の記録を見てからです。……少しずつ、明確に思い出し始めて。ああ、そういえばそうだったな、と」

「っ……」

気がつけば、リズは思い切りヴェートルを抱きしめていた。汚れているから触れられない、と彼は言っていたのに。それなのに、何を考える間もなく彼女は彼を強く、強く抱き締めていた。
彼もまた、あの地獄の記憶を持っているのだ。体験しているのだ。知っているのだ。

……人を殺め、火を放ち、友人と決別し、自害した時の記憶を。

「……だめだ、といったのに」

彼が困ったような声で言った。
それでもリズは、決して、彼から手を離さなかった。縋るように抱きついた。汚れているとか、そういうのはもう関係なくて、彼の紺のサーコートに顔を押し付けた。涙が吸い込まれる。

「……好き」

リズが彼に伝えられる言葉は少ない。
たくさん、たくさん、言いたいことはあるはずなのに。
言葉にしようとするとそれは途端、霧散して、在り来りで陳腐なそれにしかならない。それでも、この言葉に全てが、リズの全ての気持ちが伝わればいいと彼女はぎゅうぎゅうと彼を抱きしめて、希うように、懇願するように呟いた。

「好き……大好き……!」

困ったようにさまよっていたヴェートルの手が、リズの背に回される。
彼もまた、優しくリズを抱きとめた。

「……私もです。愛しています、リズ」

だからどうか。
私をひとりにしないで、と彼は呟いた。

リズが顔を上げると、自然と引き寄せられるようにふたりは唇を合わせた。触れるだけの、優しい口付けだ。リズは彼の肩に頭を乗せながらひたすら願った。
どうか、あの地獄のような未来に彼が招かれませんように、と。


到着したベルロニア公爵邸では、リズは手厚いもてなしを受けた。ヴェートルはすぐに入浴に向かい、それが済むとふたりは夕食を取った。
もう恐怖心はだいぶ恐れていたが、それでも夜が近づくと怯えが顔を出す。
ヴェートルは言葉通り、彼女を寝室に連れて行って、ベッドに寝かせ、自分もその隣に並んだ。

見慣れない部屋だが、ヴェートルの香りがして、リズは親しみを覚えた。同じくらい、とんでもなく緊張もしたが。
彼の部屋は、駐屯地の部屋と同じように殺風景で、必要最低限の調度品しかない。
しかし、さすが公爵邸というべきか、その調度品の数々は全てが値打ちもので、シンプルだが趣味のいい品だった。

夜の帳が降り、就寝時間を過ぎてもなかなかリズは眠れなかった。
何度となく寝返りを打つと、彼の手がそっとリズの頭を撫でた。びくりとして身をすくめると、彼に名を呼ばれた。

「眠れませんか?」

「……少し」

「リズ。おいで」

答える前に、リズは引き寄せられた。
ヴェートルの腕の中に。彼の腕の中は安心する。ほっとする彼の香りがして、力が抜ける。深紅の髪を撫で、梳くその指が気持ちいい。
リズが目を細めると、彼女の耳元で声が聞こえた。ヴェートルだ。

「怖いことは何もありません。ここは安全です」

柔らかい、彼の低い声が耳朶をくすぐって背中がゾクゾクする。びっくりして変な声が漏れそうになるのをリズは懸命にこらえた。

(な、ど、どうして……!?)

ヴェートルの声などいつも聞いているはずなのに、なぜこんなに……こんなにも、ドキドキしてしまうのだろうか。
落ち着かなくて、落ち着きを求めてリズは彼の胸に頭をぐりぐりと押し付けた。

「リズ」

「……ヴェートル様、ぎゅってして?」

「ええ、いくらでも」

ヴェートルは彼女の背を撫でて、優しく抱きしめてくれた。そうするだけで、リズはいつもとても落ち着くのだが──今だけは話が別のようだ。心臓が早鐘のように鳴っていて、落ち着きとは程遠い。なんだか、足同士が触れているのが今になってものすごく気になるし、距離が近い。今までになく距離が近い。今にも心臓は爆発しそうだ。完全に石のように固まったリズを不思議に思ったのだろう。
ヴェートルがリズを呼ぶ。

「リズ?」

「こ、このままで」

顔を見られでもしたらリズはどうなるか分からない。なんだか顔は火が出そうなほど熱いし、とにかく熱い。秋の始まり、夏の終わり、嵐の夜なのにリズひとり発汗している。
そのまま、どれほど経っただろうか。死ぬのではないかと言うほど乱れた鼓動も少しずつ落ち着きを取り戻し、緊張を強いられて気疲れしたからか、自分でも気が付かないうちにリズはうとうとと微睡んでいた。

そして──いつの間にか、意識が落ちていた。

それを人は、眠ると称するのか、それとも気絶すると称するのか。リズはどちらなのか分からなかった。
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