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約束の日 ⑷
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その日は朝から天候が悪く、空も曇天模様だった。朝早くから雨が降り出していて、霧雨だ。
何だか嫌な胸騒ぎがした。
そうだ。
秋の始まりの月。
そして今日は──リズが死んだ日。
いやな動悸が朝からずっと続いている。
怖くて怖くてたまらないリズは、朝から寝室に籠っていた。
食事も取らずに、太陽の陽が傾くのを見ていた。毛布をかぶり、じっと窓を見つめる。
あの日、あの日、あの日──。
彼らは、扉から入ってきた。
音もなく、気配も消して。
あの日、石の記録で見た限りだとリーズリー公爵とロビンは殺されなかったらしい。だけど、メイドや騎士は殺されたのだろう。
顔を見たものは殺せばいいと話していたレドリアスを思い出す。
かきあわせた毛布をきつく握りしめた。
(怖い、でも……)
このままじっとしていては何も変わらない。
もし……もし万が一、邸に異変があるならリズはリーズリー公爵の娘としてすぐに危険を知らせなければならない。
夕陽が傾き出したのを見ながら、リズは深呼吸をした。そしてそろそろとベッドから足を下ろす。そっと部屋を出ると、人の気配があちこちからする。いつもの公爵邸だ。
それにリズは尋常ではないほどほっとした。
そのまま足を進めてサロンに向かおうとした彼女は、ふと階下が騒がしいことに気がついた。
ざっと血の気が引く。
(まさか、まさか、まさか………!!)
人の声。ざわめき。足音。
騒然としている様子だ。
リズの脳裏に赤に塗りつぶされた玄関ホールが映し出される。そんなはずはない。だって、レドリアスは謹慎処分を受けている。デストロイは牢の中。王妃は離宮に監禁されている。
だから、大丈夫なはず──
飛び出すようにリズが玄関ホールに続く階段に現れた時、ちょうど彼と目が合った。
「…………ぇ」
ぽつり、リズは呟いた。
玄関ホールは騒がしかった。
ただし、それはリズが想像していたものではなく、突然の来客の対応に慌ただしくしているだけだった。リズの視線の先で、彼女と視線が絡んだ彼が、ふ、と柔らかな瞳で彼女を見た。
「ありがとうございます、ですがすぐ帰るので大丈夫ですよ」
彼は、慌てて歓迎の準備を整えるメイドにそう断ると、そのまま階段を登ってきた。階段の途中で止まっているリズの前に足を止めると、彼が彼女の手を取った。手の甲に口付けられ、金縛りが解けたようにリズは我に返る。
「……ただいま、リズ」
「ヴェ………ヴェートル様……!?ど、どうして!今日来るなんて一言も……」
「間に合うかわからなかったので、知らせませんでした。どうしても今日、あなたに会いたくて、かなり無理をしました」
ヴェートルが苦く笑う。
見れば、髪は乱れ、紺のサーコートも泥や土で汚れている。白のチュニックなどあちこち黒くなり、煤のようなものまでついていた。
彼のこんな余裕のない様子を見るのは、リズは初めてだった。
言葉通り、かなり無理をしてきてくれたのだろうと分かった。
リズが堪らず口を手で覆うと、彼が彼女の頬に触れようとして、直前で手を下ろす。
「ヴェートル様?」
不思議に思ったリズが尋ねると、ヴェートルが困ったように薄い笑みを浮かべた。
「強行軍で戻ってきましたので、私は今かなり汚れています。そんな手であなたに触れるわけにはいきません」
「………」
そんなことリズは構わないのに。
むっとした彼女に気づいたのか、ヴェートルが穏やかな瞳で、優しく彼女を見つめた。
ヴェートルは表情は薄いが、その瞳は何よりも雄弁だ。
「私のわがままです。あなたを汚したくない」
そう言われてしまえば、リズから抱きつくことも出来ない。でも、抱きつきたい。
リズのそんな気持ちを汲み取ったのだろう。彼は、リズに言った。
「今から私はベルロニア公爵邸に戻ります。リズも一緒に」
「……え?」
(私も一緒に?)
聞き間違いだろうか。びっくりして顔を上げたリズに、ヴェートルは珍しく──非常に珍しく、いたずらっぽい顔をした。
何だか嫌な胸騒ぎがした。
そうだ。
秋の始まりの月。
そして今日は──リズが死んだ日。
いやな動悸が朝からずっと続いている。
怖くて怖くてたまらないリズは、朝から寝室に籠っていた。
食事も取らずに、太陽の陽が傾くのを見ていた。毛布をかぶり、じっと窓を見つめる。
あの日、あの日、あの日──。
彼らは、扉から入ってきた。
音もなく、気配も消して。
あの日、石の記録で見た限りだとリーズリー公爵とロビンは殺されなかったらしい。だけど、メイドや騎士は殺されたのだろう。
顔を見たものは殺せばいいと話していたレドリアスを思い出す。
かきあわせた毛布をきつく握りしめた。
(怖い、でも……)
このままじっとしていては何も変わらない。
もし……もし万が一、邸に異変があるならリズはリーズリー公爵の娘としてすぐに危険を知らせなければならない。
夕陽が傾き出したのを見ながら、リズは深呼吸をした。そしてそろそろとベッドから足を下ろす。そっと部屋を出ると、人の気配があちこちからする。いつもの公爵邸だ。
それにリズは尋常ではないほどほっとした。
そのまま足を進めてサロンに向かおうとした彼女は、ふと階下が騒がしいことに気がついた。
ざっと血の気が引く。
(まさか、まさか、まさか………!!)
人の声。ざわめき。足音。
騒然としている様子だ。
リズの脳裏に赤に塗りつぶされた玄関ホールが映し出される。そんなはずはない。だって、レドリアスは謹慎処分を受けている。デストロイは牢の中。王妃は離宮に監禁されている。
だから、大丈夫なはず──
飛び出すようにリズが玄関ホールに続く階段に現れた時、ちょうど彼と目が合った。
「…………ぇ」
ぽつり、リズは呟いた。
玄関ホールは騒がしかった。
ただし、それはリズが想像していたものではなく、突然の来客の対応に慌ただしくしているだけだった。リズの視線の先で、彼女と視線が絡んだ彼が、ふ、と柔らかな瞳で彼女を見た。
「ありがとうございます、ですがすぐ帰るので大丈夫ですよ」
彼は、慌てて歓迎の準備を整えるメイドにそう断ると、そのまま階段を登ってきた。階段の途中で止まっているリズの前に足を止めると、彼が彼女の手を取った。手の甲に口付けられ、金縛りが解けたようにリズは我に返る。
「……ただいま、リズ」
「ヴェ………ヴェートル様……!?ど、どうして!今日来るなんて一言も……」
「間に合うかわからなかったので、知らせませんでした。どうしても今日、あなたに会いたくて、かなり無理をしました」
ヴェートルが苦く笑う。
見れば、髪は乱れ、紺のサーコートも泥や土で汚れている。白のチュニックなどあちこち黒くなり、煤のようなものまでついていた。
彼のこんな余裕のない様子を見るのは、リズは初めてだった。
言葉通り、かなり無理をしてきてくれたのだろうと分かった。
リズが堪らず口を手で覆うと、彼が彼女の頬に触れようとして、直前で手を下ろす。
「ヴェートル様?」
不思議に思ったリズが尋ねると、ヴェートルが困ったように薄い笑みを浮かべた。
「強行軍で戻ってきましたので、私は今かなり汚れています。そんな手であなたに触れるわけにはいきません」
「………」
そんなことリズは構わないのに。
むっとした彼女に気づいたのか、ヴェートルが穏やかな瞳で、優しく彼女を見つめた。
ヴェートルは表情は薄いが、その瞳は何よりも雄弁だ。
「私のわがままです。あなたを汚したくない」
そう言われてしまえば、リズから抱きつくことも出来ない。でも、抱きつきたい。
リズのそんな気持ちを汲み取ったのだろう。彼は、リズに言った。
「今から私はベルロニア公爵邸に戻ります。リズも一緒に」
「……え?」
(私も一緒に?)
聞き間違いだろうか。びっくりして顔を上げたリズに、ヴェートルは珍しく──非常に珍しく、いたずらっぽい顔をした。
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