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約束の日
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ハッとして目が覚めると、そこは白い天井だった。自室かと思って周囲を見渡す。
殺風景な室内が目に入って、ようやく理解が追いついてきた。
(ここ……は)
北方魔術師団駐屯地。
リズは、デストロイに襲われてヴェートルに助けられ、彼に部屋まで連れていってもらったのだ。
(生きて……る)
リズは自身の手を見下ろした。
いつのまにかリズはベッドに横になっていたようだ。なぜ寝ているのか分からない。
訝しく思いながら体を起こすと、ふと人の気配を感じた。そちらを向くと、ベッドの横に椅子を置き、それに座っているヴェートルがいた。
「ヴェ………ヴェートル、さま?」
「………リズ」
彼は静かにリズを呼んだ。
彼の瞳は、静かだったが沈鬱で、沈痛な雰囲気があった。息苦しくなるくらい重たい空気に、彼もまた、あの過去を見たのだろうとリズは察した。
そろそろとリズが手を伸ばすと、その手をしっかりと握られた。
「……リズ」
「はい」
「………リズ」
彼は何度もリズの名を呼んだ。
リズが生きていると、確かめたいように。
過去の記憶で、ヴェートルは泣いていなかった。凍りついた瞳は泣くことすら忘れているようで、とても……とても、痛々しかった。
「……愛しています。あなたを」
ヴェートルが言う。
そのまま抱き寄せられて、リズはその腕に逆らわずに彼の胸に顔を寄せた。
涙がこぼれた。
たくさん泣いたというのに、まだ涙は尽きることがない。彼の白いチュニックに顔を押し付けて鼻をすすると、ヴェートルが笑う気配がした。
「なぜ泣いてるんですか?」
優しい声だ。だから、リズは嗚咽を堪えずに答えた。
「あなたが……!泣かないから!代わりに私がっ……泣いているの。私が……泣いているのよ、あなたの、代わりに」
ヴェートルは泣かない。
とても苦しげに傷ついた瞳をするのに、決して涙をこぼさない。それは彼が魔術師だからか、それとも性格ゆえかは分からない。
だけど……彼がとても悲しみ、傷ついているのがリズには分かった。だから。
「ヴェ、ヴェートル様のばか……!!」
過去の記憶を見ている中で、決して彼には届かなかった声で、リズは彼をののしった。
彼は、静かにリズの言葉を聞いていた。
「ばか、ばか、ばか!!!わた……私のために………わたしの!」
「違いますよ。リズ。あれは……あなたのためではありません」
「でも!!」
涙混じりの、悲鳴のような声になった。
それにヴェートルは苦笑した。
彼はリズの肩を押して体を離すと、彼女の目尻を指先で拭った。ぽろぽろと零れる涙は次々溢れて追いつかない。
ヴェートルは彼女の赤い髪を撫でながら、穏やかな声で言った。
「あれは、私のためです。私が、ああしたかった。あなたのためでもなんでもない。ただの、自己満足。自分勝手で独りよがりな、暴力行為に過ぎない。あなたが気に病むことではない」
そんなはずない。そんなわけがないのだ。
ヴェートルはリズが殺されたから、リズを殺したレドリアスを刺した。王城に火を放ち、無関係の近衛兵をも殺し……。
最後には教会を血まみれにした。
ふと、リズは思った。あの教会は、どこのものだろう。なぜ、ヴェートルはあの場を選んだのだろうか。
「……リズ?」
髪を撫でる手が止まる。
リズは顔を上げて、涙に濡れた瞳のまま彼を見た。
「……あの教会は」
ぴくり、とヴェートルが反応した。
「あの教会は、なに?」
そうだ。ヴェートルが選んだのなら、きっと意味のある場所なのだ。だからこそリズは尋ねたのだが、ヴェートルは瞳を細め──静かに答えた。
「あれは、あなたが捧げられた……リーズリー領にある教会です」
「………」
「悪魔崇拝者の本拠点であり、女神が降り立ったと言われる土地を守る教会でもある。……あの場で死ねたなら、私もまた、あなたともに在ることが叶うと……僅かな希望に縋りました」
ヴェートルは、まるで体験したのように口にした。過去の記憶を……記録を見て、追体験した気持ちなのだろうか。リズは彼の胸に頭を埋め、ぐりぐりと擦り付けた。
「リズ」
くすぐったかったのだろうか。
彼が笑いを含んだ声で言う。
「……大好きです。ヴェートル様。だから……だから」
過去の記録で見たヴェートルは独りだった。
冷たく凍るような雰囲気で、他者を寄せ付けない……まさに冷酷公爵と噂される彼そのものだ。
だけどとても寂しげで……悲しげで、苦しそうだった。リズはもう二度と、あんな彼を見たくない。
「一人にならないでください」
リズは懇願した。
彼の胸に頭を押し付けながら。
ヴェートルもまた、彼女の背を撫でながら穏やかに答える。
「……あなたがいるうちは、私は一人ではありません」
そうだ。……そうなのだ。
ヴェートルは、リズが死んでしまったから……酷い死に方をしてしまったから、ああなってしまった。リズが共にいれば、ヴェートルが孤独になることもない。
「……愛してる」
リズが呟く。
ヴェートルもまた、彼女を強く抱き寄せた。
「私も、あなたを想っています。誰よりも強く」
殺風景な室内が目に入って、ようやく理解が追いついてきた。
(ここ……は)
北方魔術師団駐屯地。
リズは、デストロイに襲われてヴェートルに助けられ、彼に部屋まで連れていってもらったのだ。
(生きて……る)
リズは自身の手を見下ろした。
いつのまにかリズはベッドに横になっていたようだ。なぜ寝ているのか分からない。
訝しく思いながら体を起こすと、ふと人の気配を感じた。そちらを向くと、ベッドの横に椅子を置き、それに座っているヴェートルがいた。
「ヴェ………ヴェートル、さま?」
「………リズ」
彼は静かにリズを呼んだ。
彼の瞳は、静かだったが沈鬱で、沈痛な雰囲気があった。息苦しくなるくらい重たい空気に、彼もまた、あの過去を見たのだろうとリズは察した。
そろそろとリズが手を伸ばすと、その手をしっかりと握られた。
「……リズ」
「はい」
「………リズ」
彼は何度もリズの名を呼んだ。
リズが生きていると、確かめたいように。
過去の記憶で、ヴェートルは泣いていなかった。凍りついた瞳は泣くことすら忘れているようで、とても……とても、痛々しかった。
「……愛しています。あなたを」
ヴェートルが言う。
そのまま抱き寄せられて、リズはその腕に逆らわずに彼の胸に顔を寄せた。
涙がこぼれた。
たくさん泣いたというのに、まだ涙は尽きることがない。彼の白いチュニックに顔を押し付けて鼻をすすると、ヴェートルが笑う気配がした。
「なぜ泣いてるんですか?」
優しい声だ。だから、リズは嗚咽を堪えずに答えた。
「あなたが……!泣かないから!代わりに私がっ……泣いているの。私が……泣いているのよ、あなたの、代わりに」
ヴェートルは泣かない。
とても苦しげに傷ついた瞳をするのに、決して涙をこぼさない。それは彼が魔術師だからか、それとも性格ゆえかは分からない。
だけど……彼がとても悲しみ、傷ついているのがリズには分かった。だから。
「ヴェ、ヴェートル様のばか……!!」
過去の記憶を見ている中で、決して彼には届かなかった声で、リズは彼をののしった。
彼は、静かにリズの言葉を聞いていた。
「ばか、ばか、ばか!!!わた……私のために………わたしの!」
「違いますよ。リズ。あれは……あなたのためではありません」
「でも!!」
涙混じりの、悲鳴のような声になった。
それにヴェートルは苦笑した。
彼はリズの肩を押して体を離すと、彼女の目尻を指先で拭った。ぽろぽろと零れる涙は次々溢れて追いつかない。
ヴェートルは彼女の赤い髪を撫でながら、穏やかな声で言った。
「あれは、私のためです。私が、ああしたかった。あなたのためでもなんでもない。ただの、自己満足。自分勝手で独りよがりな、暴力行為に過ぎない。あなたが気に病むことではない」
そんなはずない。そんなわけがないのだ。
ヴェートルはリズが殺されたから、リズを殺したレドリアスを刺した。王城に火を放ち、無関係の近衛兵をも殺し……。
最後には教会を血まみれにした。
ふと、リズは思った。あの教会は、どこのものだろう。なぜ、ヴェートルはあの場を選んだのだろうか。
「……リズ?」
髪を撫でる手が止まる。
リズは顔を上げて、涙に濡れた瞳のまま彼を見た。
「……あの教会は」
ぴくり、とヴェートルが反応した。
「あの教会は、なに?」
そうだ。ヴェートルが選んだのなら、きっと意味のある場所なのだ。だからこそリズは尋ねたのだが、ヴェートルは瞳を細め──静かに答えた。
「あれは、あなたが捧げられた……リーズリー領にある教会です」
「………」
「悪魔崇拝者の本拠点であり、女神が降り立ったと言われる土地を守る教会でもある。……あの場で死ねたなら、私もまた、あなたともに在ることが叶うと……僅かな希望に縋りました」
ヴェートルは、まるで体験したのように口にした。過去の記憶を……記録を見て、追体験した気持ちなのだろうか。リズは彼の胸に頭を埋め、ぐりぐりと擦り付けた。
「リズ」
くすぐったかったのだろうか。
彼が笑いを含んだ声で言う。
「……大好きです。ヴェートル様。だから……だから」
過去の記録で見たヴェートルは独りだった。
冷たく凍るような雰囲気で、他者を寄せ付けない……まさに冷酷公爵と噂される彼そのものだ。
だけどとても寂しげで……悲しげで、苦しそうだった。リズはもう二度と、あんな彼を見たくない。
「一人にならないでください」
リズは懇願した。
彼の胸に頭を押し付けながら。
ヴェートルもまた、彼女の背を撫でながら穏やかに答える。
「……あなたがいるうちは、私は一人ではありません」
そうだ。……そうなのだ。
ヴェートルは、リズが死んでしまったから……酷い死に方をしてしまったから、ああなってしまった。リズが共にいれば、ヴェートルが孤独になることもない。
「……愛してる」
リズが呟く。
ヴェートルもまた、彼女を強く抱き寄せた。
「私も、あなたを想っています。誰よりも強く」
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