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あなたのために死ぬ ⑶
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連れてこられたのはリズの部屋だ。
リズは自分のベッドに座らせれてからハッとして顔を上げた。
「ヴェートル様、足!」
そうだ。ヴェートルは先程から──いや、会議室に入ってきた時から、松葉杖をつくことなく歩いていた。彼は足を骨折していたはずだ。それなのに無理をするなんて。
慌ててリズが立ち上がろうとするのを、ヴェートルが制する。
「多少痛みはしますが、もうほとんど回復しています」
「嘘!」
「本当ですよ。怪我をしてからもう一ヶ月以上経過します。安静にしていたら完治している怪我です。だいぶ良くなっていますよ」
「…………」
本来なら一ヶ月安静にしていなければならない程の怪我なのに、ヴェートルは無理を押して公爵領まできたのだ。そのために、怪我の治りが遅くなっているのだろう。リズは唇を噛んだ。
「……ごめんなさい。ヴェートル様」
「なぜリズが謝るのです?」
「だって……私の……。リーズリー領の問題にあなたを巻き込んでしまったから。私が……父が、もっと早くに気がついて手を打っていれば」
そうすればリーズリー領で悪魔病の罹患率が上がることも、ヴェートルが怪我をすることもなかった。
以前、アマレッタから悪魔病が例年より流行していると聞いた時、もっと考えればよかったのだ。悪魔病が多く発症する辺境に、リーズリーの領地もあるのだから。
結局のところリズは他人事だと思っていたのだ。それを強く痛感した。
唇を噛んで俯くリズの顎を、ヴェートルが指先で持ち上げた。
「………っ」
滲んだ涙を落とさまいと歯を食いしばる彼女を見て、ヴェートルはわずかに眉を寄せた。
しかしすぐにふ、と笑みを含んだ吐息を吐き、柔和な瞳で彼女を見つめた。
「……あなたは変わりませんね、リズ」
「ヴェートル様……」
どういう意味かとリズは彼を見つめた。
怪訝に眉を寄せるリズに、彼はまつ毛を伏せて、彼女の頬に手を滑らせた。
「あなたは優しい。心優しい娘であるということです」
「……よく、分かりません。だって私」
過去に戻り、リズは真実を対峙することを恐れてヴェートルを避けた。きっと、真実に辿り着くだけの欠片をリズは持っていたはずなのに、それを手に真実に臨むだけの心を持たなかった。
リズがもっと強くあれば、救われた人だっていたかもしれない。少なくとも、例年より増えた、という悪魔病で死ぬ人は減っていたかもしれないのに。
「わたし……私は、一度、やり直しているの」
ぽつり、リズは自身の秘密を吐露した。
口にするにはあまりに遅い。理解している。
ヴェートルは彼女の髪を撫でる手を止めて、リズの話を聞いていた。
「過去、私は殺されました。殺されて、過去に戻ったんです」
リズはぽつりぽつりと話した。
どうして自分が殺されたのか。死に間際、何を聞いて、何を見たのか。
過去に戻り、リズはヴェートルを恐れた。
しかし、彼を糾弾し断罪するには彼女の心には未だ恋のかけらが突き刺さり、血を止めることが出来ていなかった。
彼を信じることも、かと言って憎むこともできず、宙ぶらりんな日々を過ごした。
リズは懺悔するように話す。
「……あなたを避けたのは、それが理由です。ごめんなさい」
今ならわかる。
きっとあれは、ヴェートルではない、と。
確かにリズは彼の髪を見たし、ベルロニア公爵と呼ばれる声を聞いた。でも、ヴェートルの顔を見た訳では無い。
ヴェートルとアスベルトを怪しみ、まんまとレドリアスの策略にひっかかり、デストロイに殺されそうになった。
なんて愚かなのだろう。せっかく過去に戻ってなお、リズはおなじ過ちを繰り返すところだった。
ヴェートルはただ、リズの言葉をひたすら聞いていた。
リズが話し終えると、静かな沈黙が部屋には漂う。いたたまれずについ、リズが身動ぎしようとした時だ。
ぽつり、とヴェートルが言った。
「石の色が」
「……?」
「石の色が、おかしいと思っていたんです」
「いし……?」
石。石といって思い当たるものは──そこで、リズはハッとして首を探り、ネックレスチェーンを引っ張り出した。銀色の細かな鎖だ。その先には、変わらず純白に朱を一滴垂らしたような薄桃色の石が、雪のような白粉にふわふわと彩られていた。
リズがネックレスを引っ張り出すと、ヴェートルもそれを見た。
「……この石は、『祈りの魔法』といって、魔術師は生涯に一度しか使うことができません」
「え……」
「もっとも、その術式も、魔法陣の設計も今は忘れ去られて久しく、知っているのは私の師であるバロラリオン先生くらいですが」
生涯に──人生で一度しか使うことの出来ない魔法。これが。
リズは目を見開いて、胸元で揺れる石を見つめた。
とても、綺麗だと思った。幻想的だと、神秘的だと思った。それは当然なのだ。なにせ、魔術師が一生涯で一度しか使えない魔法で作られたものなのだから。
動揺のあまり頭が真っ白になるリズに、ヴェートルは苦笑した。
「本来なら魔術師の秘術についてお伝えすることは出来ないのですが、アスベルト殿下があなたに全て伝えたようですので、問題ないと判断しました」
「…………」
「私が髪を切ったのはそのためです。祈りの魔法に必要なものは、秘術を展開するに相応しい魔力と、生命力に直結するに値するだけの代替物。本来は血や臓物、骨と言ったものが相応しいようですが私はあの時リーズリー領へ遠行することが決まっていましたし、足も負傷していたので、体調を損ねることは出来ず──」
ヴェートルの言葉を、リズはただただ呆然と聞いていた。ヴェートルは髪を切った。
リズの知る過去でも、過去に戻った今も。
そして、その理由を彼は以前も今回も『必要に応じて』としか答えなかった。
それがなぜなのかリズは気になったけれど──まさか、リズのためだったとは思わなかった。
(私のため……私にこの魔法を使うために……)
彼は長い髪をばっさり切ったのだ。
なんだか込み上がるものを抑えきれなくて、リズは一筋、涙を零した。目元は熱を持ったように熱いのに、頬から流れて手に触れた雫は冷たかった。
リズは自分のベッドに座らせれてからハッとして顔を上げた。
「ヴェートル様、足!」
そうだ。ヴェートルは先程から──いや、会議室に入ってきた時から、松葉杖をつくことなく歩いていた。彼は足を骨折していたはずだ。それなのに無理をするなんて。
慌ててリズが立ち上がろうとするのを、ヴェートルが制する。
「多少痛みはしますが、もうほとんど回復しています」
「嘘!」
「本当ですよ。怪我をしてからもう一ヶ月以上経過します。安静にしていたら完治している怪我です。だいぶ良くなっていますよ」
「…………」
本来なら一ヶ月安静にしていなければならない程の怪我なのに、ヴェートルは無理を押して公爵領まできたのだ。そのために、怪我の治りが遅くなっているのだろう。リズは唇を噛んだ。
「……ごめんなさい。ヴェートル様」
「なぜリズが謝るのです?」
「だって……私の……。リーズリー領の問題にあなたを巻き込んでしまったから。私が……父が、もっと早くに気がついて手を打っていれば」
そうすればリーズリー領で悪魔病の罹患率が上がることも、ヴェートルが怪我をすることもなかった。
以前、アマレッタから悪魔病が例年より流行していると聞いた時、もっと考えればよかったのだ。悪魔病が多く発症する辺境に、リーズリーの領地もあるのだから。
結局のところリズは他人事だと思っていたのだ。それを強く痛感した。
唇を噛んで俯くリズの顎を、ヴェートルが指先で持ち上げた。
「………っ」
滲んだ涙を落とさまいと歯を食いしばる彼女を見て、ヴェートルはわずかに眉を寄せた。
しかしすぐにふ、と笑みを含んだ吐息を吐き、柔和な瞳で彼女を見つめた。
「……あなたは変わりませんね、リズ」
「ヴェートル様……」
どういう意味かとリズは彼を見つめた。
怪訝に眉を寄せるリズに、彼はまつ毛を伏せて、彼女の頬に手を滑らせた。
「あなたは優しい。心優しい娘であるということです」
「……よく、分かりません。だって私」
過去に戻り、リズは真実を対峙することを恐れてヴェートルを避けた。きっと、真実に辿り着くだけの欠片をリズは持っていたはずなのに、それを手に真実に臨むだけの心を持たなかった。
リズがもっと強くあれば、救われた人だっていたかもしれない。少なくとも、例年より増えた、という悪魔病で死ぬ人は減っていたかもしれないのに。
「わたし……私は、一度、やり直しているの」
ぽつり、リズは自身の秘密を吐露した。
口にするにはあまりに遅い。理解している。
ヴェートルは彼女の髪を撫でる手を止めて、リズの話を聞いていた。
「過去、私は殺されました。殺されて、過去に戻ったんです」
リズはぽつりぽつりと話した。
どうして自分が殺されたのか。死に間際、何を聞いて、何を見たのか。
過去に戻り、リズはヴェートルを恐れた。
しかし、彼を糾弾し断罪するには彼女の心には未だ恋のかけらが突き刺さり、血を止めることが出来ていなかった。
彼を信じることも、かと言って憎むこともできず、宙ぶらりんな日々を過ごした。
リズは懺悔するように話す。
「……あなたを避けたのは、それが理由です。ごめんなさい」
今ならわかる。
きっとあれは、ヴェートルではない、と。
確かにリズは彼の髪を見たし、ベルロニア公爵と呼ばれる声を聞いた。でも、ヴェートルの顔を見た訳では無い。
ヴェートルとアスベルトを怪しみ、まんまとレドリアスの策略にひっかかり、デストロイに殺されそうになった。
なんて愚かなのだろう。せっかく過去に戻ってなお、リズはおなじ過ちを繰り返すところだった。
ヴェートルはただ、リズの言葉をひたすら聞いていた。
リズが話し終えると、静かな沈黙が部屋には漂う。いたたまれずについ、リズが身動ぎしようとした時だ。
ぽつり、とヴェートルが言った。
「石の色が」
「……?」
「石の色が、おかしいと思っていたんです」
「いし……?」
石。石といって思い当たるものは──そこで、リズはハッとして首を探り、ネックレスチェーンを引っ張り出した。銀色の細かな鎖だ。その先には、変わらず純白に朱を一滴垂らしたような薄桃色の石が、雪のような白粉にふわふわと彩られていた。
リズがネックレスを引っ張り出すと、ヴェートルもそれを見た。
「……この石は、『祈りの魔法』といって、魔術師は生涯に一度しか使うことができません」
「え……」
「もっとも、その術式も、魔法陣の設計も今は忘れ去られて久しく、知っているのは私の師であるバロラリオン先生くらいですが」
生涯に──人生で一度しか使うことの出来ない魔法。これが。
リズは目を見開いて、胸元で揺れる石を見つめた。
とても、綺麗だと思った。幻想的だと、神秘的だと思った。それは当然なのだ。なにせ、魔術師が一生涯で一度しか使えない魔法で作られたものなのだから。
動揺のあまり頭が真っ白になるリズに、ヴェートルは苦笑した。
「本来なら魔術師の秘術についてお伝えすることは出来ないのですが、アスベルト殿下があなたに全て伝えたようですので、問題ないと判断しました」
「…………」
「私が髪を切ったのはそのためです。祈りの魔法に必要なものは、秘術を展開するに相応しい魔力と、生命力に直結するに値するだけの代替物。本来は血や臓物、骨と言ったものが相応しいようですが私はあの時リーズリー領へ遠行することが決まっていましたし、足も負傷していたので、体調を損ねることは出来ず──」
ヴェートルの言葉を、リズはただただ呆然と聞いていた。ヴェートルは髪を切った。
リズの知る過去でも、過去に戻った今も。
そして、その理由を彼は以前も今回も『必要に応じて』としか答えなかった。
それがなぜなのかリズは気になったけれど──まさか、リズのためだったとは思わなかった。
(私のため……私にこの魔法を使うために……)
彼は長い髪をばっさり切ったのだ。
なんだか込み上がるものを抑えきれなくて、リズは一筋、涙を零した。目元は熱を持ったように熱いのに、頬から流れて手に触れた雫は冷たかった。
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