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信じる、ということ ⑶

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室内に入ってきたのは、見知らぬ魔術師ではなかった。
アリスブルーの髪を顎下で切りそろえ、さらに冷たい眼差しをしたそのひとは──

「ヴェートル様!」

思わずリズは声を出していた。
見れば、彼は負傷した足を庇うように松葉杖をついていた。はっとして駆け寄ると、ヴェートルは目を細めてリズを見た後、アスベルト、デストロイへ視線を向けた。

「なぜリズがここに?」

静かで落ち着いた声だ。
今、誰よりも聞きたいと思っていた声だった。

……無事でよかった。

支援部隊は襲われ、負傷し、死人も出たという。
状況も分からず、ヴェートルからの定期報告もなく、リズはとても不安に思っていたのだと、彼の顔を見てから気がついた。
鼻の先がツンとした。
涙が滲みそうになり、熱い思いを押し殺す。

「……心配で来ました」

リズがやっとそれだけ言うと、ヴェートルは薄い紅碧色の瞳を見開いたようだった。

「ここはリーズリー領です。ヴェートル様が我が領のために骨を負ってくださるなら、私もリーズリー家の人間として、未熟ながら力を尽くします。当然のことです」

涙をこらえるために力強い瞳となり、睨むようにヴェートルを見たリズに、彼はしばらく言葉を忘れたように沈黙した。

ヴェートルはなにか言おうと口を開いたが、しかしそれは声にならなかった。

その前に、聞きなれた、しかし今の場では絶対聞きたくなかった声が聞こえてきたからだ。

「ヴェートル様!いつお戻りになりましたの?……ってあら」

ヴェートルの後を追って現れたビビアンに、リズは表情が消えうせた。ここはリーズリー領で、ビリー家の令嬢が来るなど聞いていない。

「あら、リーズリーのご令嬢じゃない、どうしてここにいらっしゃるの?」

それはリズの言葉だ。
能面のように顔色を無くすリズに、アスベルトが取りなすように二人の間に割って入った。

「ビビアン嬢、来ていたんだね。リズレイン嬢は僕が連れてきたんだ。きみは?」

「私は……ヴェートル様が心配で」

「うん、ヴェートルがリーズリー領にいるというのは魔術師しか知りえない極秘情報なんだけど、どうして知ってるのかなと思ってさ」

アスベルトの言葉にビビアンはバツの悪そうな顔をした。銀色の髪を揺らし、視線を逸らす。

「……さあ、どこで聞いたのでしたっけ。風の噂かと思いますが」

「……そ。まあそれはおいおい確かめるとして、まずは状況把握だね。ヴェートルがこのタイミングで帰ってきて助かった」

アスベルトはそう言って、扉の外に合図を出した。どうやら、ビビアンとさほど変わらないタイミングで魔術師が報告書を手に戻ってきたようだ。狼狽えた様子を見せる青年が室内の様子を見て、怖々と手に持った書類を差し出してきた。

「バルセログ様よりお持ちするようにと」

「ありがとう。下がっていいよ」

ヴェートルが椅子に着席したので、リズもその隣に座った。ヴェートルの反対隣を当然のようにビビアンが腰掛ける。
眉を寄せるリズに対し、ヴェートルは特になんの反応もみせない。
ビビアンが距離を詰め、ヴェートルに言いよるのが視界の隅で見える。

「ヴェートル様、お外は寒かったのではない?足のお怪我も気になりますわ」

「………」

「安静にされていないと良くないのに。わざわざヴェートル様が外出する必要はありませんわ。あのバルセログとかいう男に任せればよろしいではありませんの」

「バルセログは怪我人ですよ」

「ヴェートル様だって怪我人ですわ」

ヴェートルは答えなかった。
代わりに、彼は隣に座り俯いているリズを呼んだ。

「……リズ」

「え?あっ、はい!」

眉を寄せ、むっすりとしていたリズは突然ヴェートルに呼びかけられて驚きに跳ね上がった。
慌ててヴェートルを見ると、彼は静かにリズに尋ねた。

「ここへは、アスベルト殿下と?」

「いえ……そこの、デストロイ様も一緒に」

話題に上がったデストロイは、といえば観察するようにヴェートルを見ていた。
不躾な視線を向けられ、ヴェートルもまた眉を寄せる。

「……公爵がよく許可しましたね」

「リーズリー領がどうなっているのか、家の人間が見に行くべきだと話したのよ。でもお父様もお兄様も大事な身でしょ?だから私が志願したのよ」

「あなたは相変わらず、無茶をしますね」

ヴェートルはリズを見ると、ほんのわずかに唇に笑みを乗せた。久しぶりに見る彼の穏やかな表情にリズはどきりとした。
彼の手がそっと、リズの頭に乗る。
懐かしい感触だ。彼はリズの頭を撫でる時、とても丁寧に優しく接した。優しく髪を撫でつけながら、ヴェートルが言う。

「あなたに怪我がなくてよかった」

「………ヴェートル様」

ヴェートルの瞳はひたすら穏やかで、優しい。
冬空の下、凪いだ海面のように、色合いは冷たいのに、静かで落ち着きがある。
リズは言葉に表せない衝動を覚えた。
いてもたってもいられないような、そんな感覚だ。

「私──」

リズが口を開いた時だ。

がたん、とアスベルトがリズの隣に座った。
ハッとしてリズは我に返った。
慌ててアスベルトを見ると、彼はリズを見ておらず、リズを通して、ヴェートルを見ていた。にやけた顔のまま、からかうような笑みを浮かべている。

「二人の世界にひたっているところ悪いんだけどね。そろそろ会議にうつっていいか?」

「そういうつもりではありませんでしたが……そうですね。報告から始めます」

アスベルトのあからさまなからかいにじわじわと頬を赤くするリズに対し、ヴェートルは落ち着いた様子だった。
そしてさすがの切り替えの速さで、彼はアスベルトに尋ねた。

「私の報告書は届きましたか?」

「……やっぱり定期報告を出していたんだな」

その言葉でヴェートルは悟ったのだろう。
目を細めて彼がいう。

「届いていないんですね」

「支援部隊も同じくだ。途中襲撃を受けて、死者が出ている」
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