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過去と今 ⑵
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兄とファーストダンスを踊り、最低限の社交をこなすとリズはそうそうにホールの隅へ向かった。主催の王妃には挨拶をしたし、令嬢や夫人たちとは当たり障りない会話を楽しみ、ヴェートルとの関係を探られる前に撤退することに成功した。
グラス片手にちびりちびりと舐めるようにワインを飲み進めていたリズは、たくさんの人が参加する夜会で息を潜めるようにして周囲を警戒した。
ヴェートルに会うわけにいかないし、ビビアンは論外だ。
アスベルトに忠告され、それから何度となくビビアンと顔を合わせる機会はあったが彼が言った通りに彼女は苛烈な性格をしていて、似た性質をしているリズでさえ彼女に辟易した。
腹が立つと口が回るリズと違い、ビビアンの方は手が出るタイプの人間だったのも相性の悪さに拍車をかけたのだろう。
ビビアンは気に入らないことがあるとものや周囲にあたる、当たり屋みたいな人間だ。
盛況な夜会で、寂しい妹のおもりを押し付けられたロビンは、あちこちに視線を走らせてはウィンクを投げたり、思わせぶりな笑みを向けたりしている。リズがいなければきっと、とてもこの夜会をとても楽しんでいただろう。
「私に構わず行ってくださってもいいのよ?」
リズが水を向けると、ちらりとロビンは眉を寄せて彼女を見下ろした。
「お前は公爵家の娘なんだ。そうはいかないだろうが」
「………」
今更ながら兄に半ばむりやりエスコートを頼み込んだのは悪いことをしたとリズがばつの悪い顔をしていると、ため息をついたロビンがリリズを見た。
「ここは目立つ。移動するぞ」
「どこに?」
「テラス」
短く言葉を返すロビンの後を追って、リズもホールから抜け出した。バルコニーからテラスに踏みいれば、涼しい風が頬を撫でる。
外に出て気がついたが、室内は招待客の熱気がこもり、室温が上がっていたようだ。春の夜はまだ冷たく、いつもなら肌寒く感じるところだが火照った肌には気持ちがいい。
「飲み物を取ってくる。お前はここから動くなよ」
「わかったわ」
「果実水でいいな」
「お酒で構わないのに」
「だめだ。お前はまだデビューしてそんなに経たないだろう」
押さえつけるような声で言うと、ロビンはリズの言葉を待つことなくホールに戻って行った。兄はいつまで経ってもリズを子供扱いする。
(もう成人したというのに……)
その対応にすこしむくれていると、すぐに足音が帰ってきた。思ったよりも早いが、リズを気にしてくれたのだろうか。
ロビンは大雑把で雑なのでわかりにくいが、それでも妹のリズを大切にしてくれている。
「お兄様、私お酒でも構わないって──」
兄が戻るなり、すぐに反論しようとしたリズの言葉は、途切れてしまった。
兄だと思って振り向いたのに、そこにいたのはロビンではなかったからだ。真紅色の瞳を見開いて、リズは言葉を無くす。
「……………ヴェートル、さま」
ようやく、ぽつりと言葉がこぼれた。
気づかないうちに、彼女は彼を呼んでいた。無意識だ。
「……兄君に無理を言って、あなたとの時間を作っていただくようお願いしました。リズ、一度ちゃんと話し合いましょう」
そこにいたのは、記憶と寸分変わらずどこもかしこも真っ白な男、ヴェートルが立っていた。手にはグラスがあり、ロビンに頼まれて持ってきたのだろう。グラスの中身は薄桃色をしている。ワインではないようなので、果実水だろう。
お酒で構わないと言ったのに、と彼女はほんとうにどうでもいいことを考えた。
リズは彼を見ると苦しくなる。
忘れられない大きすぎる恋心が、裏切りという変形を超えて、胸に収まりきらない痛みを生み出す。
胸が掴まれたようだ。
堪えきれない血がどんどん零れ落ちるかのごとく、傷を増やしていく。
リズは彼と会うと弱くなってしまう。
リズは彼と会うまでは恐れを知らなかった。ひとに拒絶される恐怖を知らなかった。
だけど今は。
「…………」
いつもはヴェートルが何を言わずとも言葉をとぎらせることのない彼女が、言葉を失ってただ、痛いくらいに傷ついた瞳で彼を見上げる。
言葉はなく、重たい沈黙が静かに伸し掛る。
「……私が嫌いですか?」
ヴェートルがつぶやくように尋ねた。
弾かれるようにリズはなにか言おうと口を開いたが、それは声にはならない。
「──」
「あなたが、私の顔を見ることすら苦痛だと、苦しみを覚えるのであれば……私はもう、あなたの前に現れることをやめましょう」
「………」
はくはくとくちびるは動くのに、声は出ない。
何を言いたいかも分からない。
でも、違った。違うのだ。
リズはヴェートルをいたずらに傷つけたいのではない。ただ、そう。知りたいのだ。
でも──その事実が、リズを傷つけるものだったら。
『悪魔の生贄』にリズが必要だったから彼女に近づいた、など言われたらきっと彼女は立ち直れないほどにショックを受けるだろう。それが分かっているからこそ。
「ですが……その前に、ひとつだけ」
「………」
「リズ。最後に私と踊ってくれませんか。……あなたとの思い出の、終わりに」
グラス片手にちびりちびりと舐めるようにワインを飲み進めていたリズは、たくさんの人が参加する夜会で息を潜めるようにして周囲を警戒した。
ヴェートルに会うわけにいかないし、ビビアンは論外だ。
アスベルトに忠告され、それから何度となくビビアンと顔を合わせる機会はあったが彼が言った通りに彼女は苛烈な性格をしていて、似た性質をしているリズでさえ彼女に辟易した。
腹が立つと口が回るリズと違い、ビビアンの方は手が出るタイプの人間だったのも相性の悪さに拍車をかけたのだろう。
ビビアンは気に入らないことがあるとものや周囲にあたる、当たり屋みたいな人間だ。
盛況な夜会で、寂しい妹のおもりを押し付けられたロビンは、あちこちに視線を走らせてはウィンクを投げたり、思わせぶりな笑みを向けたりしている。リズがいなければきっと、とてもこの夜会をとても楽しんでいただろう。
「私に構わず行ってくださってもいいのよ?」
リズが水を向けると、ちらりとロビンは眉を寄せて彼女を見下ろした。
「お前は公爵家の娘なんだ。そうはいかないだろうが」
「………」
今更ながら兄に半ばむりやりエスコートを頼み込んだのは悪いことをしたとリズがばつの悪い顔をしていると、ため息をついたロビンがリリズを見た。
「ここは目立つ。移動するぞ」
「どこに?」
「テラス」
短く言葉を返すロビンの後を追って、リズもホールから抜け出した。バルコニーからテラスに踏みいれば、涼しい風が頬を撫でる。
外に出て気がついたが、室内は招待客の熱気がこもり、室温が上がっていたようだ。春の夜はまだ冷たく、いつもなら肌寒く感じるところだが火照った肌には気持ちがいい。
「飲み物を取ってくる。お前はここから動くなよ」
「わかったわ」
「果実水でいいな」
「お酒で構わないのに」
「だめだ。お前はまだデビューしてそんなに経たないだろう」
押さえつけるような声で言うと、ロビンはリズの言葉を待つことなくホールに戻って行った。兄はいつまで経ってもリズを子供扱いする。
(もう成人したというのに……)
その対応にすこしむくれていると、すぐに足音が帰ってきた。思ったよりも早いが、リズを気にしてくれたのだろうか。
ロビンは大雑把で雑なのでわかりにくいが、それでも妹のリズを大切にしてくれている。
「お兄様、私お酒でも構わないって──」
兄が戻るなり、すぐに反論しようとしたリズの言葉は、途切れてしまった。
兄だと思って振り向いたのに、そこにいたのはロビンではなかったからだ。真紅色の瞳を見開いて、リズは言葉を無くす。
「……………ヴェートル、さま」
ようやく、ぽつりと言葉がこぼれた。
気づかないうちに、彼女は彼を呼んでいた。無意識だ。
「……兄君に無理を言って、あなたとの時間を作っていただくようお願いしました。リズ、一度ちゃんと話し合いましょう」
そこにいたのは、記憶と寸分変わらずどこもかしこも真っ白な男、ヴェートルが立っていた。手にはグラスがあり、ロビンに頼まれて持ってきたのだろう。グラスの中身は薄桃色をしている。ワインではないようなので、果実水だろう。
お酒で構わないと言ったのに、と彼女はほんとうにどうでもいいことを考えた。
リズは彼を見ると苦しくなる。
忘れられない大きすぎる恋心が、裏切りという変形を超えて、胸に収まりきらない痛みを生み出す。
胸が掴まれたようだ。
堪えきれない血がどんどん零れ落ちるかのごとく、傷を増やしていく。
リズは彼と会うと弱くなってしまう。
リズは彼と会うまでは恐れを知らなかった。ひとに拒絶される恐怖を知らなかった。
だけど今は。
「…………」
いつもはヴェートルが何を言わずとも言葉をとぎらせることのない彼女が、言葉を失ってただ、痛いくらいに傷ついた瞳で彼を見上げる。
言葉はなく、重たい沈黙が静かに伸し掛る。
「……私が嫌いですか?」
ヴェートルがつぶやくように尋ねた。
弾かれるようにリズはなにか言おうと口を開いたが、それは声にはならない。
「──」
「あなたが、私の顔を見ることすら苦痛だと、苦しみを覚えるのであれば……私はもう、あなたの前に現れることをやめましょう」
「………」
はくはくとくちびるは動くのに、声は出ない。
何を言いたいかも分からない。
でも、違った。違うのだ。
リズはヴェートルをいたずらに傷つけたいのではない。ただ、そう。知りたいのだ。
でも──その事実が、リズを傷つけるものだったら。
『悪魔の生贄』にリズが必要だったから彼女に近づいた、など言われたらきっと彼女は立ち直れないほどにショックを受けるだろう。それが分かっているからこそ。
「ですが……その前に、ひとつだけ」
「………」
「リズ。最後に私と踊ってくれませんか。……あなたとの思い出の、終わりに」
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