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祈りの魔法 ⑵
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「アスベルト・アズレンだ。知らずともいい。僕はあまり公の場に足を向けないからな」
「……恐れ入ります」
名前がわからない、というリズの無作法ぶりを許してくれるらしい。もっとも、リズに限らずこの王子は存在感が薄いので他の誰もが、彼を見てぱっと名を答えることは難しいと思われるが。
アスベルトと名乗った王子は目を細めてリズを見ると、ついでヴェートルに視線を向けた。
「今夜はお前たちの話でもちきりだ。ついに、ベロルニア公爵の息子が花嫁を定めたとな」
「!」
その言葉に耳まで赤く染めたのはリズだ。対してヴェートルは変わらず涼しい顔でアスベルトの言葉を受け流した。
「そうですか」
「そうですかじゃない。お前、こうなることは分かってただろ」
「……だとして、それになにか問題が?」
僅かに眉を寄せて、言外に『お前になにか関係あるのか』と言われたアスベルトは驚きに目を見開いた。王子としてあまりに間の抜けた顔をしていたアスベルトはすぐにハッとするとまじまじとヴェートルを見る。
「……へえ、そう。そうか。まあ、おめでとう?」
「……なにが仰りたいのか分かりかねますが、そのような言葉をかけるためだけにこちらまでいらっしゃったのですか」
ため息混じりに言われて、ようやくアスベルトも本題に入ろうという気になったらしい。ちらりとリズを気にするように彼女に視線を向けた後、用件を口にする。
「陛下がお呼びだ。その間、ご令嬢は僕が見ているから行ってくるといい」
目をすっと細めたヴェートルは少し考えたようだったが、諦めたのかため息を吐き、頷いて答えた。
「……わかりました。すぐ戻ります。リズ、殿下と待っていてください。ここから離れないように」
「分かったわ」
「すぐ戻れるよう、こちらも手短に話をまとめます。飲み物や軽食は私が戻ってきてからご一緒しますので、それまでは殿下とお話していてください。悪い人ではありませんので」
リズは頷いて答えたが、その隣でアスベルトは苦笑していた。ヴェートルはアスベルトから国王の居場所を尋ねてから、その場を去った。
その後ろ姿を目で追っていたリズは、身を乗り出すようにして顔を寄せたアスベルトにびっくりして体を引く。
「リーズリー公爵家の姫君だっけ。あの血も涙もないと言われる冷血男をあそこまで骨抜きにするなんて、きみたちの関係に僕、興味あるんだけど」
「血も涙もない……?ヴェートル様がですか?」
「あれ、姫君はそう思わない?」
首をかしげるアスベストにリズは頷いて答えた。
ヴェートルが冷酷だと囁かれ、悪魔のように怖がられているのを知っている。
だけど、それはあくまで噂話で、その範疇を出ない。彼の人間離れした圧倒的な雰囲気から勝手にひとり歩きした結果だ。
実際の彼は話すと普通だし、ちゃんとひとりの男性だ。リズにとっては、彼は分かりにくいけれど彼女に優しくしてくれる年上の男性だった。
「……きみが変わってるのか、きみが特別なのか……」
「?」
「まあいいや。ご令嬢、きみは社交界デビューしたばかりで知らないだろうから、先輩からのアドバイスだ」
アスベストはそこで言葉を止めると、急に声を潜めた。眉を寄せ、今までの軽薄じみた雰囲気が消え失せる、真剣な話なのだということはリズにも理解出来た。
「ビビアン・ビリーには気をつけた方がいい」
「ビビアン……」
「あれ、今日の夜会にはまだ来てないみたいだけどもう知ってる?」
アスベストが首を傾げるので、リズは慌てて顔を横に振る。
さっきの令嬢たちと話している時に話題に上がった人物ではあるが、リズはビビアンと面識がない。
過去、ティーパーティーで顔を合わせたことはあるかもしれないが、リーズリー公爵家とビリー伯爵家は付き合いが希薄なこともあり、わざわざ挨拶をすることはなかった。そのため、リズはビビアン・ビリーと聞いても直ぐにその顔を思い浮かべることが出来ない。
否定する彼女を見て彼は納得したように、安心したように何度も頷いて見せた。
「極力会わない方がいい。あの女は劇薬だからね」
「劇薬ですか?」
「そう。あの女は、ヴェートルに執着してる」
「え……」
「ああ、ヴェートルと何かあったっていうわけじゃない。ただのビビアンの片思いだ」
「か、片思い?」
リズは上ずった声で繰り返した。
(どういうこと?ヴェートル様は社交界で恐れられているのでないの?それが実際は、憧れを向けられる相手ということ?)
目を白黒させて動揺する彼女に、アスベストがふっと笑った。その笑みは、今まで見たどれよりも優しい顔だった。軽薄さを感じさせない、真摯な表情だ。
「きみは本当にヴェートルを慕っているんだね」
「い、いけませんか」
直接尋ねられては照れが勝るというもので、ややカタコトになりながら反論するとアスベストは首を横に振る。
「いや、よかったと思って。……えーと、ビビアンの話だっけ。彼女はただ、あいつに一方的な感情を向けているだけさ。ヴェートルはあの容姿だろう?だいたいの人間は、あの見た目に恐れを抱くんだけど、それと同じくらい強い興味も抱くんだよ。きみもそうじゃなかった?」
「それは……」
その通りだ。リズは最初、彼が魔物ではないかと疑ったし、その人間離れした容姿が気になって、なにかと彼に構った。リズは彼の性格も好きだが、きっかけは見た目だと言うのは否めない。言葉を濁らす彼女に、アスベストは苦笑した。
「ああ、違う違う。責めてるわけじゃない。ただ、みんなそうだってだけだ。それでも直接的に行動に起こせる人間は限られてるからね。ほら、やっぱり怖がられもしてるから」
「……ヴェートル様の容姿はやはり、人間離れしていますよね?私、最初に彼を見た時、魔物かと思ってしまいました」
「え?魔物?命を摘み取りにきた天使と言われているのを聞いたことはあるけど、魔物は初めてかも」
「吸血鬼とか、アンデッドとか……そういう類かなと思いまして」
リズが正直に答えると、なにがツボに入ったのかアスベストは爆笑した。腰を折り曲げて笑う彼にリズは戸惑った。
「……恐れ入ります」
名前がわからない、というリズの無作法ぶりを許してくれるらしい。もっとも、リズに限らずこの王子は存在感が薄いので他の誰もが、彼を見てぱっと名を答えることは難しいと思われるが。
アスベルトと名乗った王子は目を細めてリズを見ると、ついでヴェートルに視線を向けた。
「今夜はお前たちの話でもちきりだ。ついに、ベロルニア公爵の息子が花嫁を定めたとな」
「!」
その言葉に耳まで赤く染めたのはリズだ。対してヴェートルは変わらず涼しい顔でアスベルトの言葉を受け流した。
「そうですか」
「そうですかじゃない。お前、こうなることは分かってただろ」
「……だとして、それになにか問題が?」
僅かに眉を寄せて、言外に『お前になにか関係あるのか』と言われたアスベルトは驚きに目を見開いた。王子としてあまりに間の抜けた顔をしていたアスベルトはすぐにハッとするとまじまじとヴェートルを見る。
「……へえ、そう。そうか。まあ、おめでとう?」
「……なにが仰りたいのか分かりかねますが、そのような言葉をかけるためだけにこちらまでいらっしゃったのですか」
ため息混じりに言われて、ようやくアスベルトも本題に入ろうという気になったらしい。ちらりとリズを気にするように彼女に視線を向けた後、用件を口にする。
「陛下がお呼びだ。その間、ご令嬢は僕が見ているから行ってくるといい」
目をすっと細めたヴェートルは少し考えたようだったが、諦めたのかため息を吐き、頷いて答えた。
「……わかりました。すぐ戻ります。リズ、殿下と待っていてください。ここから離れないように」
「分かったわ」
「すぐ戻れるよう、こちらも手短に話をまとめます。飲み物や軽食は私が戻ってきてからご一緒しますので、それまでは殿下とお話していてください。悪い人ではありませんので」
リズは頷いて答えたが、その隣でアスベルトは苦笑していた。ヴェートルはアスベルトから国王の居場所を尋ねてから、その場を去った。
その後ろ姿を目で追っていたリズは、身を乗り出すようにして顔を寄せたアスベルトにびっくりして体を引く。
「リーズリー公爵家の姫君だっけ。あの血も涙もないと言われる冷血男をあそこまで骨抜きにするなんて、きみたちの関係に僕、興味あるんだけど」
「血も涙もない……?ヴェートル様がですか?」
「あれ、姫君はそう思わない?」
首をかしげるアスベストにリズは頷いて答えた。
ヴェートルが冷酷だと囁かれ、悪魔のように怖がられているのを知っている。
だけど、それはあくまで噂話で、その範疇を出ない。彼の人間離れした圧倒的な雰囲気から勝手にひとり歩きした結果だ。
実際の彼は話すと普通だし、ちゃんとひとりの男性だ。リズにとっては、彼は分かりにくいけれど彼女に優しくしてくれる年上の男性だった。
「……きみが変わってるのか、きみが特別なのか……」
「?」
「まあいいや。ご令嬢、きみは社交界デビューしたばかりで知らないだろうから、先輩からのアドバイスだ」
アスベストはそこで言葉を止めると、急に声を潜めた。眉を寄せ、今までの軽薄じみた雰囲気が消え失せる、真剣な話なのだということはリズにも理解出来た。
「ビビアン・ビリーには気をつけた方がいい」
「ビビアン……」
「あれ、今日の夜会にはまだ来てないみたいだけどもう知ってる?」
アスベストが首を傾げるので、リズは慌てて顔を横に振る。
さっきの令嬢たちと話している時に話題に上がった人物ではあるが、リズはビビアンと面識がない。
過去、ティーパーティーで顔を合わせたことはあるかもしれないが、リーズリー公爵家とビリー伯爵家は付き合いが希薄なこともあり、わざわざ挨拶をすることはなかった。そのため、リズはビビアン・ビリーと聞いても直ぐにその顔を思い浮かべることが出来ない。
否定する彼女を見て彼は納得したように、安心したように何度も頷いて見せた。
「極力会わない方がいい。あの女は劇薬だからね」
「劇薬ですか?」
「そう。あの女は、ヴェートルに執着してる」
「え……」
「ああ、ヴェートルと何かあったっていうわけじゃない。ただのビビアンの片思いだ」
「か、片思い?」
リズは上ずった声で繰り返した。
(どういうこと?ヴェートル様は社交界で恐れられているのでないの?それが実際は、憧れを向けられる相手ということ?)
目を白黒させて動揺する彼女に、アスベストがふっと笑った。その笑みは、今まで見たどれよりも優しい顔だった。軽薄さを感じさせない、真摯な表情だ。
「きみは本当にヴェートルを慕っているんだね」
「い、いけませんか」
直接尋ねられては照れが勝るというもので、ややカタコトになりながら反論するとアスベストは首を横に振る。
「いや、よかったと思って。……えーと、ビビアンの話だっけ。彼女はただ、あいつに一方的な感情を向けているだけさ。ヴェートルはあの容姿だろう?だいたいの人間は、あの見た目に恐れを抱くんだけど、それと同じくらい強い興味も抱くんだよ。きみもそうじゃなかった?」
「それは……」
その通りだ。リズは最初、彼が魔物ではないかと疑ったし、その人間離れした容姿が気になって、なにかと彼に構った。リズは彼の性格も好きだが、きっかけは見た目だと言うのは否めない。言葉を濁らす彼女に、アスベストは苦笑した。
「ああ、違う違う。責めてるわけじゃない。ただ、みんなそうだってだけだ。それでも直接的に行動に起こせる人間は限られてるからね。ほら、やっぱり怖がられもしてるから」
「……ヴェートル様の容姿はやはり、人間離れしていますよね?私、最初に彼を見た時、魔物かと思ってしまいました」
「え?魔物?命を摘み取りにきた天使と言われているのを聞いたことはあるけど、魔物は初めてかも」
「吸血鬼とか、アンデッドとか……そういう類かなと思いまして」
リズが正直に答えると、なにがツボに入ったのかアスベストは爆笑した。腰を折り曲げて笑う彼にリズは戸惑った。
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