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氷を溶かす恋心 ⑶
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ヴェートル・ベロルニアは魔術師の職についているらしい。
リズもうすらとした知識しか持ち合わせていないが、魔術師というのはどこの軍の管轄でもなく、国王直属の独立した組織だという。
構成も、業務内容も、全くもって不明。
魔術師は、白のチュニックの合わせを青のブローチで留め、上に紺のサーコートを羽織るものらしい。
リズがヴェートルと初めて会った日に『暑苦しい』と感じた服は、魔術師の正装だったのだ。
リズは、父公爵からデビュタントのエスコートをヴェートルに頼んだと聞いて、浮き足立っていた。ヴェートルと社交界。
いったい、社交界とはどういうものなのだろうか。お茶会とはなにが違うのだろう。
もの慣れない彼女をエスコートするのが、ヴェートルの役割なのだ。彼もきっと社交界は得手としていないだろうに、リズのために気を使ってくれるだろう。それを想像すると、リズは早くも心が踊った。
しかし、リズの夢想した未来は思いがけないところで打ち砕かれた。
「……え?」
「……だから、ベロルニア公爵家から返答があった。エスコートは受けられない、とのことだ」
「………」
最初、リズは父親が冗談を言っているのだと思った。この父は厳しい顔をしているが、こんな冗談を口にすることもあるのだな、と彼女は考えたのだ。
しかし、続いた父公爵の言葉でそれは決して娘をからかう言葉なのではなく、真実なのだと知った。
「今度のデビュタントは、私の知り合いに頼むことにする。くれぐれも失礼な真似は──」
「いやよ!会ったこともないひとにお願いするなんて!」
「わがままも程々にしなさい、リズレイン。断られたのだから仕方ないだろう」
聞き分けの悪い子供に言うように父公爵が諭す。リズはくちびるを噛んだ。
「でも」
「でもじゃない。いいか、お前のエスコートは私が手配する。公爵家の娘にふさわしい相手をな、しっかりと吟味して──」
「……やっぱりいや!」
「リズ!」
「納得いかないわ。理由も聞かないまま諦めるなんてそんなこと絶対いや!ねえ、お父様。次ヴェートル様がいらっしゃるのはいつ?わたし、直接聞いてみるわ」
娘の聞かん気な様子に父はため息をついたようだった。昔からこうだ。
娘は、両親ともに甘やかして育ててしまったせいか、既に生みの母を喪い、後妻の夫人に遠慮している雰囲気のある長男に比べて、あれがしたいこれがしたいと弁えることはなかった。
そして、一度言い出したら聞かないということも父である彼は知っていた。
頭痛がするのか、額を抑える素振りをしながら彼は呻いた。
「……分かった。好きにしなさい」
「お父様!」
「ただし、ヴェートル殿に直接断られたら食い下がるような真似はしないように。公爵家の恥になる」
「分かったわ!ありがとう、お父様。大好きよ!」
この娘は非常に現金だ。
都合がいい娘に、公爵は疲れた様子だった。
投げキスまで飛ばして見せた娘を、それでも可愛いと思ってしまうのは彼が親バカだからだろう。
そして後日。
定期的にリーズリー公爵家を訪れるヴェートルを捕まえると、リズは父公爵より先に彼に話を切り出した。
邸宅の馬車留めから降りた彼は、いつから待ってたのか、衛兵の隣にちょこんと並ぶ少女にすぐに声をかけられたのだ。
「来たわね!」
まるで、敵を打ち倒そうと待ち伏せしていた賊のような台詞である。そんな言葉を投げつけられたヴェートルだが、彼はリズに慣れてきている。
また、このお転婆な少女がなにか仕掛けてきたと思い、彼はゆっくりと振り向いた。
「どうかしたんですか?」
「率直に尋ねるわ。あなた、どうして私のデビュタントのエスコートを断ったの?」
強気な瞳が真っ直ぐにヴェートルを見つめる。
彼女は堂々と尋ねておきながらも、その答えを知るのが怖かった。
(嫌だったから、なんて答えられたらどうしよう……)
潔く切り込んでみたはいいものの、彼女は内心怯えていた。
もし彼に嫌われていたのだとしたら。リズがこうしてヴェートルに付き纏うことは迷惑だと思われていたら。
不安を隠すように胸の前でぎゅっと手を握る。
そんな彼女に、ヴェートルはほんの僅かな間を開けた後、ふいに空を見上げた。
「今日は天気がいいですね」
「え?あ……そうね?でも、そんなことより──」
「こんな晴れた空の下、長く外に出るのは感心しませんね。頬が赤くなってますよ」
彼の指先が、そっと伸びてきてリズの頬を撫でた。彼女の頬は、りんごのように赤くなっていた。明るい太陽の下、日焼け対策もせずに長く立っていたのだから当然だ。
これもまた、メイド長に見られたら卒倒されるだろう。
ヴェートルがふいにあたりを探るように視線を遠くに投げた。
リズもうすらとした知識しか持ち合わせていないが、魔術師というのはどこの軍の管轄でもなく、国王直属の独立した組織だという。
構成も、業務内容も、全くもって不明。
魔術師は、白のチュニックの合わせを青のブローチで留め、上に紺のサーコートを羽織るものらしい。
リズがヴェートルと初めて会った日に『暑苦しい』と感じた服は、魔術師の正装だったのだ。
リズは、父公爵からデビュタントのエスコートをヴェートルに頼んだと聞いて、浮き足立っていた。ヴェートルと社交界。
いったい、社交界とはどういうものなのだろうか。お茶会とはなにが違うのだろう。
もの慣れない彼女をエスコートするのが、ヴェートルの役割なのだ。彼もきっと社交界は得手としていないだろうに、リズのために気を使ってくれるだろう。それを想像すると、リズは早くも心が踊った。
しかし、リズの夢想した未来は思いがけないところで打ち砕かれた。
「……え?」
「……だから、ベロルニア公爵家から返答があった。エスコートは受けられない、とのことだ」
「………」
最初、リズは父親が冗談を言っているのだと思った。この父は厳しい顔をしているが、こんな冗談を口にすることもあるのだな、と彼女は考えたのだ。
しかし、続いた父公爵の言葉でそれは決して娘をからかう言葉なのではなく、真実なのだと知った。
「今度のデビュタントは、私の知り合いに頼むことにする。くれぐれも失礼な真似は──」
「いやよ!会ったこともないひとにお願いするなんて!」
「わがままも程々にしなさい、リズレイン。断られたのだから仕方ないだろう」
聞き分けの悪い子供に言うように父公爵が諭す。リズはくちびるを噛んだ。
「でも」
「でもじゃない。いいか、お前のエスコートは私が手配する。公爵家の娘にふさわしい相手をな、しっかりと吟味して──」
「……やっぱりいや!」
「リズ!」
「納得いかないわ。理由も聞かないまま諦めるなんてそんなこと絶対いや!ねえ、お父様。次ヴェートル様がいらっしゃるのはいつ?わたし、直接聞いてみるわ」
娘の聞かん気な様子に父はため息をついたようだった。昔からこうだ。
娘は、両親ともに甘やかして育ててしまったせいか、既に生みの母を喪い、後妻の夫人に遠慮している雰囲気のある長男に比べて、あれがしたいこれがしたいと弁えることはなかった。
そして、一度言い出したら聞かないということも父である彼は知っていた。
頭痛がするのか、額を抑える素振りをしながら彼は呻いた。
「……分かった。好きにしなさい」
「お父様!」
「ただし、ヴェートル殿に直接断られたら食い下がるような真似はしないように。公爵家の恥になる」
「分かったわ!ありがとう、お父様。大好きよ!」
この娘は非常に現金だ。
都合がいい娘に、公爵は疲れた様子だった。
投げキスまで飛ばして見せた娘を、それでも可愛いと思ってしまうのは彼が親バカだからだろう。
そして後日。
定期的にリーズリー公爵家を訪れるヴェートルを捕まえると、リズは父公爵より先に彼に話を切り出した。
邸宅の馬車留めから降りた彼は、いつから待ってたのか、衛兵の隣にちょこんと並ぶ少女にすぐに声をかけられたのだ。
「来たわね!」
まるで、敵を打ち倒そうと待ち伏せしていた賊のような台詞である。そんな言葉を投げつけられたヴェートルだが、彼はリズに慣れてきている。
また、このお転婆な少女がなにか仕掛けてきたと思い、彼はゆっくりと振り向いた。
「どうかしたんですか?」
「率直に尋ねるわ。あなた、どうして私のデビュタントのエスコートを断ったの?」
強気な瞳が真っ直ぐにヴェートルを見つめる。
彼女は堂々と尋ねておきながらも、その答えを知るのが怖かった。
(嫌だったから、なんて答えられたらどうしよう……)
潔く切り込んでみたはいいものの、彼女は内心怯えていた。
もし彼に嫌われていたのだとしたら。リズがこうしてヴェートルに付き纏うことは迷惑だと思われていたら。
不安を隠すように胸の前でぎゅっと手を握る。
そんな彼女に、ヴェートルはほんの僅かな間を開けた後、ふいに空を見上げた。
「今日は天気がいいですね」
「え?あ……そうね?でも、そんなことより──」
「こんな晴れた空の下、長く外に出るのは感心しませんね。頬が赤くなってますよ」
彼の指先が、そっと伸びてきてリズの頬を撫でた。彼女の頬は、りんごのように赤くなっていた。明るい太陽の下、日焼け対策もせずに長く立っていたのだから当然だ。
これもまた、メイド長に見られたら卒倒されるだろう。
ヴェートルがふいにあたりを探るように視線を遠くに投げた。
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