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氷を溶かす恋心

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三年前。
リズが十四歳、ヴェートルが十六歳。
ヴェートルの父、前ベロルニア公爵が病に倒れる前で、彼がまだ公爵位を継ぐ前のこと。
初めてあった夏の日から彼女は、定期的にリーズリー公爵家まで足を運ぶようになった彼になにかと構った。
彼の方も、城に訪れれば必ず彼女が彼の前に顔を出すので、いつしか彼女の姿を探すようになっていたようだった。

リズは彼が不思議でならなかった。
彼はどこからどう見ても人間だ。
話せば会話もできるし、恐ろしい牙やツノなどもないのに、手だって触ればしっかりと体温がある。
それなのに、彼はふとした時に人間離れした雰囲気を醸し出し、ここ最近彼に慣れてきたリズですら時々『ほんとうは妖精の取り替え子?』と疑ってしまう始末だ。
その日もリズは、見送りのためにヴェートルを玄関ホールまで送りながら、じっとヴェートルのことを観察していた。
彼女に、まるで実験動物の対象のように観察されるのは今に始まったことではない。
彼は慣れたように彼女を見た。

「今度はなんですか」

「ねえ、あなたの主食は氷ってほんとう?」

「…………」

また、藪から棒になにを……。
ヴェートルはそう思ったが、この少女の突拍子のないところは今に始まったことではない。
彼は目を細めて、物分りの悪い生徒に教えるように言った。

「氷を食べたいと思ったことも、食べたこともありませんね」

「じゃあ、クッキーは食べられる?」

「クッキー?」

思わぬ言葉にヴェートルは驚いたように瞬きを繰り返した。さながら、鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔だ。
しかし、リズは期待に満ちた目を彼に向けているのでいつまでも驚いていられない。
彼は長い髪を耳にかけると、一言答えた。

「魔物じゃないので、食べられますよ」

「!」

おおかた、リズはいつものように彼がほんとうに人間なのかと疑いを持ったのだろう。あるいは──彼女なりの情報網を使って、どこかから持ち帰った情報の真偽を確かめたかったのか。どちらにせよ、ヴェートルが氷を主食にしている、と考えた理由などそれしかない。
リズはヴェートルの言葉にぱっと嬉しそうな顔をすると彼に言った。

「わかったわ!いい?ここで待ってて!」

「………」

そうして、彼女はヴェートルの言葉を待つことなくその場を走り去ってしまった。
十五歳を迎える淑女にしてはお転婆がすぎる無鉄砲ぶりに、近くに控えていた彼女の父が頭を抱えてヴェートルの前まで歩みよった。

「……娘が申し訳ない。初めての女の子ということで、甘やかしすぎました」

「いえ。彼女のようなひとは、初めてで、私自身とても新鮮に思っていますよ」

変わらず無表情の彼のどこまでが本心なのか、公爵自身わからなかったが娘を邪険にしないところを見るに、彼なりに気に入ってくれているのだろう。
社交界デビューを控えているというのに、娘はいつまでたっても少女のまま。

(あの物怖じしない性格が、社交界で叩かれないといいが……)

父親が気を揉んでいると、階段をのぼりどこぞに消えていった娘が戻ってきた。
例により、駆け足である。公爵家の娘ならもう少し優雅さを身につけて欲しいものだが、あいにくのびのびと育った彼女をきつく咎める人間はいなかった。
彼女は、ハンカチを手にヴェートルの元まで戻ってきた。

「食べてみて!」

そして、手に持ったハンカチの包みをふわりと解く。そうすると、中には小麦色に焼けたクッキーが数枚出てきた。
それを見て目を見開いたのはヴェートルだ。
驚いたように固まる彼の横で、やはり公爵は冷や汗を流したようにハンカチを取りだし、額の汗を拭った。

「……では、いただきます」

驚きから冷めたのか、ヴェートルがその包みに手を伸ばす。形はハートのようだが、ところどころ歪で、左右非対称になっている。
シェフが焼いた訳では無いだろう。シェフならもっと上手く焼くはずだ。焼き目もばらばらで、素人目に見ても上手とは言えない出来だった。
クッキーを口に運ぶと、さく、という小気味いい音がする。
さすが、公爵家で作られただけあって使用された材料は完璧なのか、バターの味わいとシナモンの香りが鼻に抜ける。

「………」

黙って咀嚼していると、目の前から明らかに期待に満ちた視線を向けられた。
そわそわしている少女を見ながら、ヴェートルはほんのわずかに微笑んだ。
それは、気のせいかと思えるほどの儚い笑みで、次の瞬間には無表情に戻っている。

「美味しいですよ」

「ほんとう!?」

「ええ、ご令嬢が作ったにしてはとてもいいできかと思います」

「なっ……」

あまりにも分かりやすすぎるのだが、あっさり当てられてしまったリズは固まってしまったようだった。
どうやら、少女は自分で作ったことを隠したかったようだ。
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