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プロローグ

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土砂降りの雨が降っていた。
婚約者との結婚を指折り数えて待っていた彼女は、暇を持て余していた。
その日は大雨のため、いつも彼女に授業を行う通いの家庭教師が来られないと朝に連絡があった。
やることのなかった彼女は手持ち無沙汰に毛糸玉と針をメイドに用意させ、手慰めに指を動かしていた。
編み物は得意ではなかったが、暇つぶしにはちょうどいい。

外は生憎の空模様だが、彼女の心は浮き足立っていた。

(ヴェートル様と次お会いできるのはいつかしら?来週?再来週?)

ふふ、と彼女は恋を知ったばかりの乙女の顔で笑った。
そんな時だった。
不意に、燭台に乗った蝋燭の火が揺らめいた。

「……?」

窓も開けていないのに、風が通っているのだろうか?
不思議に思って顔を上げた彼女は──悲鳴を飲み込んだ。
いつの間にか、部屋には見知らぬ男が三人立っていたからだ。
思わずぽとりと、針を落としてしまったのがいけなかったのだろう。
後から思えば、男たちはたかが小さな針とはいえ、刃物を手に持つ彼女が針を手放すタイミングを見計らっていたのだ。

足の長い赤の絨毯に針が吸い込まれるように落ちた後、ゆらりと男のひとりが腰に指した剣を抜いた。

「い、いや……」

彼女は立ち上がり、後ずさろうとしたが安楽椅子に座っていた彼女はそれ以上後ろに下がることが出来ない。
悲鳴すらあげることができずに顔面を蒼白にした彼女に、男が剣を振りかぶる。

胸から鮮血が迸る。
赤い血しぶきがあがり、そこで初めて彼女は自分が切られたのだと知った。

「──」

ものもいえずに崩れ落ちる。
心臓はどくどくとうるさいのに、耳に聞こえる音はどこか遠い。
手足の感覚が薄くなり、切りつけられた胸元に重たく鈍い衝撃がどくどくと伝わっている。

「公女を早く連れ出せ」

「心臓を捧げよ」

「悪魔の儀式の生贄とするために」

声がバラバラに聞こえてくる。

生贄?……心臓?
彼女が虫の息で呼吸を繰り返していると、倒れ伏した彼女のそばに、またひとりの男が歩いてきた。手には抜き身の剣が握られている。

「悪く思うな、リーズリー家の生ける女神の依代よ。お前の死は無駄にはしまい」

何を……言ってるの?
メイドはどうしたのだろう。
執事は?護衛騎士は?
この騒ぎに彼らが気づいてないとは思えない。
彼女はよっぽどそう口にしたかったが、もうそれは言葉にならなかった。
男の持つ剣の先が、真っ直ぐ胸へと直角の角度に構えられる。

ああ、殺される。

それは分かっていのに、指先一本動かせない。

ふと、背後の男のひとりが激しく咳き込んだようだった。彼女を切り伏せた男だ。
その時にはもう彼女の耳は正常に機能しておらず、咳き込む動作だけが視界に入った。
男が体を丸め、咳き込むとその際に深く被っていたフードがはらりと取れた。

(………!)

彼女は目を見開いた。
その瞳の中で、銀色の刃が閃いた。
だけど彼女はそれどころではなかった。

(今……のは)

銀色の髪を、月光色の髪を、彼女が見違えるはずがない。
めずらしい色合いの髪を顎で切りそろえている男を、彼女はひとりしか知らいない。

(なぜ……?どうして……)

どうして。
彼女はもう自由の効かない体でめいっぱい目を見開いた。

(どうして……?ヴェートル様……)

その男は、彼女がつい先程まで恋焦がれていた相手であり──彼女の婚約者だった。

「ベルロニア公爵、どうしますか」

ベルロニアとは、ヴェートルのことだ。
彼は、手を上げて近くの男に何か言ったようだった。しかし、もう彼女の耳には届かない。何を言っているかも分からない。

「な……ぜ、」

途切れ途切れ、音になり損ねたような声がこぼれた。
その言葉の続きに何を発するつもりだったのか、それは彼女にも分からなかった。

なぜ、彼がそこにいるのか。
なぜ、彼女わたしを殺すのか。

疑問は耐えず、何を言葉にすればいいかすら分からない。
だけど、次の言葉が形になる前に、鈍い衝撃が彼女の胸を穿った。

「っ………」

真上から剣を突き刺された彼女は、その反動でわずかに仰け反り、血を吐いた。

(痛……くる、し)

疑問と混乱が渦巻く中、意識が強制的に落とされる。暗闇に潰されるように、視界が黒に塗りつぶされるように。世界は閉ざされた。

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