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何の、変化?
しおりを挟む「おはよう、シュネイリア。よく眠れた?」
彼は柔らかな声で私に尋ねた。
胸が、弾む。
その声を聞いただけで、その瞳を見ただけで、安易に私のこころは囚われる。
「はい。……殿下も?」
「そうだね。いつもよりはいい目覚めだったかな」
なんてことなさそうに、彼は話す。
まるで昨夜のことなど幻だったかのよう。
ふと、彼がファラビア王女に視線を向けた。
「おはようございます、王女殿下。ずいぶん早いお目覚めですね。我が城のベッドはいかがだったでしょうか?」
「……ありがとうございます。あの、私」
「まだ日も昇りきっていないというのに、おひとりで行動されるのは良くありませんね。……ああ、ストールが引っかかってしまったのですか。それで、おひとりで」
彼は私たちの頭上に視線を向けて、それで全てを悟ったようだった。
理解が早いひとだ。
ファラビア王女がおずおずと頷くと、リュアンダル殿下がちいさく頷きを返す。
そして彼がつい、と人差し指を動かした。
途端、柔らかな風が吹く。
その風は枝葉を揺らし、ストールを落とした。
地面に落ちる直前、リュアンダル殿下がそれを掴んだ。
「これで問題ありませんね」
「あ、ありがとうございます。……あの、今のが殿下の持っていらっしゃる……特性?」
ファラビア王女は控えめに、だけどハッキリとした声で尋ねた。
それに、リュアンダル殿下がわずかに瞬きを繰り返す。
リュアンダル殿下の所持する特性は【全能】。
王家にのみ現れるとする、王位そのものを象徴する特性だ。
この国に住む貴族の人間なら誰しもが知ること。
それを、わざわざ聞かれたことがないので、驚いたのだろう。
リュアンダル殿下は、ファラビア王女の問いに笑みを持って答えた。
その手に、赤のストールを持って。
「……ええ、そうです。私の特性は色々と小回りが効くので、こういう時、便利なんですよ」
赤のストールを、ファラビア王女に手渡す。
それは、なんてことのない仕草だったのだろうけど、私はそれに意味を見出してしまった。
いずれ、赤のストールは、リュアンダル殿下からファラビア王女に渡されるのだろう。
あの予知が、真実になるのであれば。
ファラビア王女は、彼の妻に、そして王妃になるひとだ。
マーセルの王女が、赤を纏う。
それが意味することはひとつしかない。
胸が、痛い。
じわじわと、切りつけられたかのごとく。
ファラビア王女は、リュアンダル殿下からストールを手渡されると、俯きがちにさらに尋ねた。
「……殿下は、お力を初めて使われた時、何を思われましたか?」
「……私ですか?」
リュアンダル殿下が僅かに驚いた様子を見せる。
私は、ファラビア王女の言葉に、彼女の意図を察した。
ファラビア王女は、マーセルで唯一能力が使えないと話していた。
だからこそ、同じ王族であるリュアンダル殿下に尋ねているのだろう。
そういえば、リュアンダル殿下が特性を発現されたのは、十二歳。
私と婚約を結んでから、四年後のことだったはず。
貴族は、そのほとんどが十歳までに特性を発現することを考えると、殿下の十二歳での特性発現は、少し遅いと考えられる。
当時は気が付かなかったが、陛下や宰相、貴族たちはさぞ気を揉んだことだろう。
そして、殿下もまた、悩んだはずだ。
その時、その気持ちに寄り添えなかったことに気が付いて、私は唇を噛んだ。
周囲の心配を跳ね飛ばすように、彼は特性を発現させた。それも、【全能】の特性を。
彼の特性が【全能】だと知れてからは、一気に状況は変化した。
不安定だった王太子という立場が磐石となったのも、彼の特性ゆえに、だ。
ふと、そこで気がついた。
似ている、のだ。
ふたりは。
リュアンダル殿下と、ファラビア王女。
ともに、王族の身でありながら、能力の発現が遅かった。
王族だからこそわかる、重圧があるのだろう。
そしてそれは、私には理解できない。
リュアンダル殿下が、思い出すような、懐かしむような声で、言った。
「……私は、当時、能力の発現が遅れていたために、とてもひねくれ、やさぐれ、あまりにも可愛げのない子供でしたよ。今の王女殿下の方がよっぽどご立派だ。そう思うくらいには」
「そう……なのですか?」
ファラビア王女の言葉に、リュアンダル殿下が頷いて答える。
そしてふと、彼と視線が交わった。
「ええ。婚約者のシュネイリアは、とてもよく出来た令嬢ですから──何の罪もない彼女に八つ当たりをしました」
「え……?」
思わず、驚きの声が出る。
そんな私を見て、彼が過去に思いを馳せるように、その薄青の瞳を細めた。
「シュネイリアは、私より、ずっと大人だった。鬱屈して、ひねくれていた私より、ずっと。……恥ずかしく思いましたよ。彼女は、私よりも三つも年下なのに、まだ子供なのに、誰よりもずっと、分かっていた。自身に望まれたもの。何をすればいいのか、何を求められているのか。……私は、彼女に救われたようなものなんですよ」
「…………」
リュアンダル殿下の言葉の意味が気になったが、ファラビア王女との会話を邪魔することは出来ない。
だから視線だけ向ければ、彼が私を見て、優しく微笑んだ。
とても、優しく。
不思議なひとだ、と思った。
リュアンダル殿下は、微笑みひとつで、視線ひとつで、その場の空気を支配してしまう。
花の散った、新緑の夏だというのに、今、この場には薔薇が絢爛豪華に咲き誇っているのではないかという錯覚すら、覚えてしまうのだから。
彼には、薔薇が良く似合う。
それは、薔薇を愛する女神の国、ヴィーリアの王太子だから、そう思うのだろうか。
「ですから、ファラビア王女。あなたも焦らず、今のご自身を見つめてくれる相手をしっかり向き合うことがよろしいのでないか、と思いましたが──失礼。私の、勘違いでしたか?」
リュアンダル殿下が、ファラビア王女に向き直って、言葉を続ける。
彼女は赤のストールを掴みながらも、ぽかんとしていた。
彼女らしくない、素の表情だと思った。
「…………い、いいえ。あり、ありがとうございます。とても……参考になりまし……た?」
彼女は妙に動揺しながらも、ぎこちなく頷いて見せた。気まずそうに、視線を逸らしている。
「…………?」
不思議に思っていると、背後から声がかかった。
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