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もう、わからない
しおりを挟む従僕に案内され、ミレーゼの元に行く。
彼女は私を見ると、ぱっとその大きなオリーブの瞳を輝かせた。
「ごきげんよう、ミレーゼ」
「シュネイリア様!今宵の夜会もいちだんと美しくいらっしゃいますわね」
周囲を気にしているのだろう。
彼女は畏まった口調で私に話しかけた。
ミレーゼは、周囲を取り囲んでいた令嬢たちに何言か声をかけると、するりとその輪から抜け出した。
通りかかった従僕からグラスをふたつ受け取り、そのひとつを、私に手渡してくる。
そしてふと、彼女はなにかに気がついたようにダンスホールに視線を向けた。
「……あら。なるほどね。今宵の騎士は私というわけね?」
どうやら、周囲の注目をさらって踊るリュアンダル殿下とファラビア王女を見て、色々と悟ったようだった。
話が早いのは助かるが、いくら何でも鋭すぎる。
私は苦笑した。
「お邪魔してしまったかしら。ごめんなさいね」
「いーえ?つまらないやり取りに飽き飽きしていたところなの。どうにか抜けられないものかと画策していたのよ。あなたが話しかけてくれて助かったわ。リュアンダル殿下のご采配に感謝ね」
茶目っ気交じりに彼女は言うと、開放されたテラスの手前で立ち止まった。
大きく開け放たれた扉の向こうに、人影がぽつぽつと見える。逢い引きをしている恋人たちだろうか。
私たちは、夜空を背にする形で、互いにグラスを軽く掲げた。
「あなたが幸せそうで何よりだわ。周囲の重圧に苦しんでいるかもと心配していたのだけど……」
「重圧?」
首を傾げると、ミレーゼは眉を寄せた。
「……あら?もしかして、それが誤りだったのかしら」
ミレーゼの話す言葉は意図が読めない。
「ミレーゼ、私にもわかるように話して」
「そうね。あなたが知らないとは思わなかったの。……ええと、あなたとリュアンダル殿下のご婚約期間が早められたのは、私達も既に知っているのよ。公に周知されたものね。その理由も、含めて」
「…………」
ミレーゼはどう思っただろうか。
私とリュアンダル殿下の婚約期間が短縮されたのは、婚前交渉が理由だ。
先日、月のものが訪れたので結婚式とほど変わらずに出産、という状況は避けられたように思う。
だけど、そもそも婚前交渉を行ってしまったこと自体が問題なのだ。
特に、リュアンダル殿下は王族なのだから。
ミレーゼはちらりと周囲に視線を向けると、さらに声を潜めた。
「……シュネイリア、あなたにどう伝わっているかは分からないけど、王家は世継ぎの誕生を急がせるために婚約期間を短くした、と発表したのよ。つまり、次の次の代──リュアンダル殿下の血を引く子を早く産むようあなたに求めていると宣言したも同然なの」
「え……?」
ミレーゼの言葉に、私は動揺した。
ミレーゼは心配そうに私を見ている。
私とリュアンダル殿下の婚前交渉は公にはなっていない……?
王家は、その事実を隠蔽するつもりなのだ。
ミレーゼは顎に指先を当てると、短く唸った。
「長年のしきたりを王家が破ったってことは、相当にまずい状況なのよ。少なくとも社交界の人間はそう勘ぐってしまうわね。それもあって、世継ぎの子を産むのは何も王太子妃だけでなくてもいいでしょ!と言わんばかりに第二妃や妾を狙う令嬢も多くいるし……」
ちら、とミレーゼは私を見た。
そのシトリンによく似た瞳は、私を案じているようだった。
「だから、早く子を成さなければならないという重圧にあなたが苦しんでいるのでは、と思ったのよ。……でも、そうでないなら良かったわ。さすが、リュアンダル殿下ね」
「…………」
「シュネイリア?どうかした?」
ミレーゼに呼びかけられて、ハッと我に返る。
つまり、王家は、王家の抱える問題のためにこの婚約を短縮したと社交界に公表したのだ。
実際の事実とは、異なるというのに。
動揺に息を飲む。
戸惑いと驚愕に、思考がまとまらない。
それに、いや、それ以上に。
王家の継承問題に触れるということは、国王陛下ならびに王妃陛下への批判にも繋がる。
事実のみを羅列するのであれば、現状の世継ぎ問題を生み出してしまったのは、国王陛下ご夫妻だ。
子は女神様からの授かりもの。
意図的に子を成すことは叶わない。
それは周知の事実だが、だからといって、子を産まなかったことが許される世界でもない。
王妃陛下は、リュアンダル殿下しか子を産めなかったことを痛烈に批判されたと聞く。
王妃陛下以外に妃を娶らず、妾も持たなかった国王陛下も同様に貴族から批判されたと聞くが、その声は王妃陛下ほどではなかったようだ。
もともと、王妃陛下がリュアンダル殿下以外にも男子を産めればそれで済んだ話なのだ、と彼らは考えたようだった。
ひとの心を容易く壊す残酷さだ。
だけど、それが社交界であり、ヴィーリアの貴族社会であることを、私は既に知っている。
今はリュアンダル殿下が成人を迎え、王太子として責務を果たされているからか、その声はずいぶん少なくなったようだ。
それでも未だ、ぜろではない。
静かな悪意に苛まれた王妃陛下はとても辛かったはず。
それは、私の想像を絶するものだろう。
子がひとりしか生まれず、王妃の責務を果たしていないと自身を罵る、声なき声が常に聞こえてくるのだから。
私は想像することしかできないが、それでもその環境がいかに悪意に満ちたものかは、分かる気がした。
王妃陛下が病弱な理由は、産後の肥立ちが悪かったのに加え、そういった心労もひとつの原因なのではないだろうか。
国王ご夫妻の過去を思うと、世継ぎ問題のためにリュアンダル殿下と私の婚約期間を短縮すると発表したのは、とても辛いことだったはずだ。
それなのに、発表した。
私とリュアンダル殿下の醜聞を公にしないために。
「ミレーゼ、あのね……。…………」
私は、言おうとした。
婚約期間を短縮したのは、王家の世継ぎ問題のためではない。
私とリュアンダル殿下が婚前交渉を行ってしまったからだ。
考えるよりも先に言葉が零れ、だけどすぐに気がついた。
王家が、隠そうとした事実だ。
婚前交渉という事実を隠し、王家のタブーとも言われる世継ぎ問題に王家自身が言及した。
その気遣いを、無駄にしてはならない。
私が真実を口にすれば、王家の思いやりを蔑ろにすることになる。
私に呼びかけられたミレーゼが、不思議そうに首を傾げた。
「……どうかした?何だか今日のシュネイリアは、不安そうな顔をしているわ。迷子の子供みたい……」
「…………」
ミレーゼの言葉は、正しいように感じた。
今の私は、もう、どう動けばいいかわからない。
私は何をしたいのか。
何をすればいいのかも。
灯火を失った暗闇にひとり放り込まれたように、歩む先が分からない。
道が、見えないのだ。
ふと、視線の先に水色の長髪が見えた。
……ミャーラルだ。
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