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彼の、愛するひと
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「殿下は認めないでしょうね。あなたは誰より、その立場を、肩書きの重要性を理解されている方です」
「……いつか、とか、もしかしたら、とか。現実味のない未来の話をするつもりはない。僕はね、シュネイリア。決めたんだよ」
彼の服の裾を掴んでいた手首を掴まれて、逆に引き寄せられる。
腰を抱かれて、顎を持ち上げられた。
彼と視線が、交わる。
「待つばかりでは、大事なものはてのひらから零れ落ちてしまう。大切にしたいなら、大切にしたいからこそ、ちゃんと隠し通し、守らなければならない。そこに、きみの意見は不要だ」
私は彼の言葉に違和感を持った。
リュアンダル殿下は、こんな独善的な考えを持つひとではなかったはずだ。
だけど、思い直す。
私のせいだ。
私が、彼を反吐が出るほど嫌いだと、言ったから。
だから、彼を傷つけ、歪めてしまった。
私がもたらした変化は、さながら傷口のようで、苦々しさが込み上げた。
「独りよがりの自己満足だと罵ってくれていいよ。それでも僕は、きみがこの王城に留まり、僕のそばにいることに安心する。目の届く範囲にいれば、少なくともきみを傷つけ、不必要に追い詰めるやつは現れない」
「……なにを」
殿下のその感情は、家族愛によるものだ。
もどかしかった。
私のことを愛していないなら、愛していないと突きつけて欲しかった。
最後通牒のように、現実を思い知らせてほしかった。
こうやって、まるで私を想っているかのような素振りを見せるから、私はその度に浮き足立ってしまうのだ。
愚かな私は、恋心を未だに腐らせている私は、ほんの些細なことでも喜びを見出し、そこに愛を探してしまうから。
「僕のために、僕のそばにいてくれるよね。シュネイリア?」
彼は、わかっていて言っている。
私が、否と言えないことを。
王太子妃の義務として逆らえないことを知っていて、そう言っている。
ひどいひとだ。
ほんとうに、ひどい。
でも、いちばん酷いのは──。
彼のそばにいれることを喜ぶ、私。
この期に及んで、彼への想いを捨てきれない、私だ。
☆
マーセルの使節団が到着した。
先に国王陛下ご夫妻が労いの言葉をかけて、リュアンダル殿下が挨拶をするという。
まだ王太子の婚約者に過ぎない、一貴族の私は夜会まで、彼らに会うことはできない。
今、あの王女も謁見室にいるのだろう。
彼女に会って、リュアンダル殿下はどう思うだろうか。
恋を、するのだろうか。
窓辺の椅子に座りながら、外に景色を眺めた。
予知で見た時のような、美しい湖が眼下に広がっている。
もやもやする。
胸が、苦しい。
「……いや、だな」
ぽつり、言葉をこぼす。
何が嫌なのかは、明確にはわからなかった。
王女を──ファラビア殿下に恋をするリュアンダル殿下を見たくないのか。
それとも、死にたくないのか。
私の死後、ふたりが惹かれ合うのが嫌なのか。
おそらく、その全てだ。
胸がもやもやとして、思わず胸元を摩る。
少し遅れていたが、月のものは無事、といっていいのか。
先日訪れた。
メイドから、リュアンダル殿下にも報告がいっているだろう。
彼が宣言したとおりなら、いつ彼が寝室に訪れてもおかしくないのだ。
「…………」
太陽の光が、きらきらと湖面を照らし、輝いていた。
☆
マーセルの使節団を招いた夜会は、とても豪勢なものだった。
突如、決定したものとは思えない。
リュアンダル殿下にエスコートされて、大広間に向かうとその煌びやかさに目を奪われた。
デビュタントの時以上の賑わいだ。
楽団が華やかな音楽を奏で、使節団員と思われるひとたちが、グラス片手に歓談していた。
マーセル国は、過去、幾度となく水害に悩まされてきた歴史があるためか、水を司る神を祀っていると聞いている。
そのため、彼らは水を表す青の天鵞絨を肩に羽織っている。
青は、水を意味している。
青のシュールコーを羽織っているものは皆、マーセルの国の人々だ。
マーセルと地続きのヴィーリア国は、女神の誕生と共に生まれた薔薇を国花としている。
そのためヴィーリアの王族は、マーセルの青に対し、赤のシュールコーを纏っている。
赤と青、示し合わせたわけでもないのに、見事な対比だ。
流れるような美しい青の天鵞絨が固まっている場所に目を向ける。
どうやら、そこにマーセルの使節団が集まっているようだった。
ちら、とそちらに視線を向けると、リュアンダル殿下が落ち着いた声で言った。
「あちらには、マーセルの末の王女、ファラビア王女殿下がいらっしゃるんじゃないかな。さっき、僕も顔を合わせた」
ファラビア王女。
予知を見て、マーセルの歴史図鑑を見て、彼女が存在しているのは知っていた。
だけど、リュアンダル殿下がその名を口にした時、私は戦慄にも似たものを感じた。
彼は、知ってしまった。
ファラビア王女を、見てしまった。
彼の腕に触れた手が、強ばる。
彼は私と同じように、マーセルの使節団が集まる場所に視線を向けた後、静かに言った。
「少し疲れていたようだし、使節団に気遣ってもらってるんじゃないかな。シュネイリア、きみも挨拶しておこうか」
「…………はい」
嫌だと、言えるはずがない。
顔を合わせたくないと、言えるはずがない。
王女と、リュアンダル殿下が言葉を交わすところを、私はどんな思いで見ていればいいのだろうか。
「……いつか、とか、もしかしたら、とか。現実味のない未来の話をするつもりはない。僕はね、シュネイリア。決めたんだよ」
彼の服の裾を掴んでいた手首を掴まれて、逆に引き寄せられる。
腰を抱かれて、顎を持ち上げられた。
彼と視線が、交わる。
「待つばかりでは、大事なものはてのひらから零れ落ちてしまう。大切にしたいなら、大切にしたいからこそ、ちゃんと隠し通し、守らなければならない。そこに、きみの意見は不要だ」
私は彼の言葉に違和感を持った。
リュアンダル殿下は、こんな独善的な考えを持つひとではなかったはずだ。
だけど、思い直す。
私のせいだ。
私が、彼を反吐が出るほど嫌いだと、言ったから。
だから、彼を傷つけ、歪めてしまった。
私がもたらした変化は、さながら傷口のようで、苦々しさが込み上げた。
「独りよがりの自己満足だと罵ってくれていいよ。それでも僕は、きみがこの王城に留まり、僕のそばにいることに安心する。目の届く範囲にいれば、少なくともきみを傷つけ、不必要に追い詰めるやつは現れない」
「……なにを」
殿下のその感情は、家族愛によるものだ。
もどかしかった。
私のことを愛していないなら、愛していないと突きつけて欲しかった。
最後通牒のように、現実を思い知らせてほしかった。
こうやって、まるで私を想っているかのような素振りを見せるから、私はその度に浮き足立ってしまうのだ。
愚かな私は、恋心を未だに腐らせている私は、ほんの些細なことでも喜びを見出し、そこに愛を探してしまうから。
「僕のために、僕のそばにいてくれるよね。シュネイリア?」
彼は、わかっていて言っている。
私が、否と言えないことを。
王太子妃の義務として逆らえないことを知っていて、そう言っている。
ひどいひとだ。
ほんとうに、ひどい。
でも、いちばん酷いのは──。
彼のそばにいれることを喜ぶ、私。
この期に及んで、彼への想いを捨てきれない、私だ。
☆
マーセルの使節団が到着した。
先に国王陛下ご夫妻が労いの言葉をかけて、リュアンダル殿下が挨拶をするという。
まだ王太子の婚約者に過ぎない、一貴族の私は夜会まで、彼らに会うことはできない。
今、あの王女も謁見室にいるのだろう。
彼女に会って、リュアンダル殿下はどう思うだろうか。
恋を、するのだろうか。
窓辺の椅子に座りながら、外に景色を眺めた。
予知で見た時のような、美しい湖が眼下に広がっている。
もやもやする。
胸が、苦しい。
「……いや、だな」
ぽつり、言葉をこぼす。
何が嫌なのかは、明確にはわからなかった。
王女を──ファラビア殿下に恋をするリュアンダル殿下を見たくないのか。
それとも、死にたくないのか。
私の死後、ふたりが惹かれ合うのが嫌なのか。
おそらく、その全てだ。
胸がもやもやとして、思わず胸元を摩る。
少し遅れていたが、月のものは無事、といっていいのか。
先日訪れた。
メイドから、リュアンダル殿下にも報告がいっているだろう。
彼が宣言したとおりなら、いつ彼が寝室に訪れてもおかしくないのだ。
「…………」
太陽の光が、きらきらと湖面を照らし、輝いていた。
☆
マーセルの使節団を招いた夜会は、とても豪勢なものだった。
突如、決定したものとは思えない。
リュアンダル殿下にエスコートされて、大広間に向かうとその煌びやかさに目を奪われた。
デビュタントの時以上の賑わいだ。
楽団が華やかな音楽を奏で、使節団員と思われるひとたちが、グラス片手に歓談していた。
マーセル国は、過去、幾度となく水害に悩まされてきた歴史があるためか、水を司る神を祀っていると聞いている。
そのため、彼らは水を表す青の天鵞絨を肩に羽織っている。
青は、水を意味している。
青のシュールコーを羽織っているものは皆、マーセルの国の人々だ。
マーセルと地続きのヴィーリア国は、女神の誕生と共に生まれた薔薇を国花としている。
そのためヴィーリアの王族は、マーセルの青に対し、赤のシュールコーを纏っている。
赤と青、示し合わせたわけでもないのに、見事な対比だ。
流れるような美しい青の天鵞絨が固まっている場所に目を向ける。
どうやら、そこにマーセルの使節団が集まっているようだった。
ちら、とそちらに視線を向けると、リュアンダル殿下が落ち着いた声で言った。
「あちらには、マーセルの末の王女、ファラビア王女殿下がいらっしゃるんじゃないかな。さっき、僕も顔を合わせた」
ファラビア王女。
予知を見て、マーセルの歴史図鑑を見て、彼女が存在しているのは知っていた。
だけど、リュアンダル殿下がその名を口にした時、私は戦慄にも似たものを感じた。
彼は、知ってしまった。
ファラビア王女を、見てしまった。
彼の腕に触れた手が、強ばる。
彼は私と同じように、マーセルの使節団が集まる場所に視線を向けた後、静かに言った。
「少し疲れていたようだし、使節団に気遣ってもらってるんじゃないかな。シュネイリア、きみも挨拶しておこうか」
「…………はい」
嫌だと、言えるはずがない。
顔を合わせたくないと、言えるはずがない。
王女と、リュアンダル殿下が言葉を交わすところを、私はどんな思いで見ていればいいのだろうか。
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