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話し合いは必要ない
しおりを挟むリュアンダル殿下は、少し疲れた顔をしていた。
いつもは綺麗に整えられた髪が、少し乱れている。
応接室で彼を待っていた私は、現れたリュアンダル殿下にほんの少し、緊張した。
なにせ、昨日の今日だ。
どんな顔をすればいいのだろうと身構える私に対し、リュアンダル殿下は悲しいほどにいつも通りだった。
だけど、いつもとは違うことが、ひとつ。
彼は、ソファに座る私の横に腰を下ろした。
そして、私の髪をすくい、背中に流す。
「顔色は?大丈夫……そうだね」
話しかけられて、ようやく我に返る。
彼は、ごくごく自然に、私の隣に座った。
「……殿下。近いのでは、ないでしょうか」
距離の近さに、体がこわばる。
私が言うと、彼は不思議そうに首を傾げた。
「近くても構わないでしょ。僕たちは近いうちに結婚するのだから」
「けっ……!?」
驚きのあまり息を呑む。
私たちの結婚は、殿下が二十、私が十七になった時と定められていた。本来なら、あと二年婚約期間があるはずだ。
それなのに、突然結婚とは。
困惑する私に、彼が言う。
「きみはもう、いつ僕の子を孕んでいてもおかしくないんだよ、シュネイリア。王太子の子を宿しているかもしれないのに、悠長に二年も婚約期間を取っていられるはずがない」
「で、ですが……。体裁が」
「体裁?そんなもの、どうとでもなる。むしろ、僕しか直系がいなくてさんざん問題視、不安視されてきたんだ。世継ぎが僕しかいない。これはヴィーリア国存亡の危機に直結する、社会問題だったんだよ。きみが僕の子を産めば、その懸念も少しは払拭される。いいことずくめだ」
なんてことないように、リュアンダル殿下は落ち着いた声で、穏やかな声で言う。
いつもと変わらないはずなのに、言っている内容はとんでもない。
こころがざわざわと騒ぐのを感じた。
嫌な予感がする。
そして、嫌な予感というものは得てして、当たってしまうものなのだと、私は知っている。
ソファの座面を握りしめ、リュアンダル殿下に訴えた。
「そんなはずありません。婚約期間を待たず、子ができてしまったなんて醜聞になります。いえ、それ以前に……」
そうだ。そもそも、まだ私の胎で実を結んでいるかも分からない。
それなのになぜ、もう妊娠したことを前提に話しているのだろう。
それにに気がついて、私は深く息を吸う。
「……まだ、私が子を宿しているかはわかりません。それがわかってからでもよろしいのではありませんか」
「分かってから動いても、遅いんだよ。シュネイリア。常に先手を打って動いておかなければ」
「…………」
リュアンダル殿下の言い分はわかるが、それでも早計だと思ってしまった。
昨日、確かに避妊の余裕もなく交わってしまった。
だけど、ただ一度の交わりで子ができる可能性は低いはずだ。
こればかりは女神様の思し召しだろうが、今の時点ではまだわからない。
わかった時に相談、という形ではいけないのだろうか。
婚約期間を短縮するという手段は、ひどくリスクが高い。
安易に選び取れる選択肢ではないはずだ。
私が嫁ぐのは、貴族の家ではない。
長い歴史を誇り、しきたりを重んじる、ヴィーリア王家だ。
従来通り、礼儀に則り、正しい手順を踏んで、婚姻するべきだと王家に仕えるものとして、理解している。
私ですらそう思うのだから、王家の生まれであり、王太子として育った彼がわからないはずがない。
しきたりを軽んじることが、どんなに批判を買う行為なのか。
手順を逸脱することは、王家の歴史に瑕疵を与えることと同義だ。
私は首を横に振る。
「いけません。少なくとも、あとひと月は、様子を見るべきです」
私は、私の行いのせいで責められる彼など見たくはなかった。
私が叱られるのは、責めを受けるのは、甘んじて受け入れよう。
これは私の招いた失態だ。
相応の叱責は受け入れようと思う。
だけど、リュアンダル殿下には不要な責めだ。
もとはといえば、彼が特性攻撃を受けることになったのは、私のせいだ。私が、無効の特性を使えなかったから。
媚薬を飲み、彼に抱いてもらうよう仕向けたのも、私。
彼に非はない。
それに、彼は、王太子で、いずれ国を継ぐひとだ。
貴族を率いる王家の人間として、彼らに付け入る隙を、弱みを、見せてはならない。
私が反論すると、彼は困ったように、出来の悪い娘を見るように瞳を細めた。
その冷たさに、一瞬こころが冷える。
「……あのね、シュネイリア。可哀想だけど、これは決定事項なんだ。陛下にも話は通してあるし、ヴァネッサ公爵にも、今朝方、親書を出してさっき話し合ってきた。もう変えられない」
「な──」
息を呑む。
あまりの手際の早さに驚いた。
殿下は、私に相談しているのではなかったのだ。
決定事項を、伝えていただけ。
私が受け入れるとか、受け入れないとかは関係がないのだ。
目を見開いた私に、リュアンダル殿下が笑った。
穏やかで、いつもの優しい微笑みなのに、どうしてだろう。
恐れを抱く。
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