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独りよがりの酷い女

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それに、驚く。
リュアンダル殿下の手は、燃えるような熱があった。
その手の熱さに息を呑む。
彼は、私の手をしっかりと握り、じっと至近距離で私を見つめた。

「……僕は、出ていけと、言った。シュネイリア嬢」

彼の瞳は熱によるものか潤んでいる。
春の湖を思わせるような空色の瞳は、今にも決壊しそうだ。
手が、震える。
彼の熱に呑まれないようにしながらはっきりと答える。

「少しだけ、大人しくしてください」

私の言葉にリュアンダル殿下が何か言いたげに眉を寄せ、口を開いたところで──私は、自身の特性を解放した。
意図的に特性を使用する。
僅か数秒のこと。
だけど、特段変化は見られなかった。
特性を使用してから、私はまた彼を見上げた。
リュアンダル殿下は苦しげに眉を寄せ、荒く呼吸をしている。
まるで、体調不良のようだが、そうでないことを私は知っている。

「……やはり、だめか」

宰相閣下がつぶやくように言う。
それが、答えだった。
一度付加された特性攻撃は、私の【無効】では解除できない。では、どうするか。

「……ともかく、特性が記憶を操作するものでなくて良かった。性欲でしたらいずれ収まるでしょうし、殿下、これ以上は言わずとも分かりますね」

「シュネイリア嬢。きみはもう戻っていい」

宰相閣下の言葉を無視して、リュアンダル殿下が私に言った。いや、命じた、と言った方が正しいだろう。
私は彼の言葉を受けて動揺した。
ここで私が帰される、ということはつまり──。
リュアンダル殿下は、私以外の女性を抱くつもりなのだ。
おそらくは、後々問題にならない手練の女性を。
彼が、女性にその手で触れて、愛を交わす。
口付けをして、肌に触れて、情欲を共にする。
私には望めない、濃い夜を過ごすのだろう。

彼の手は、私に触れない。
私には、望めない。

「…………」

「シュネ、」

殿下が驚いたように目を見開いた。
不思議に思って、私は自分の頬に触れてみた。

「…………?」

濡れていた。
知らないうちに、私は涙を流していた。
気が付かなかった。勝手に涙が零れてしまうなんてことが本当に有り得るとは思わなかった。
涙を零した理由より、涙が零れたことに、私は動揺した。

どうして私は泣いてるの。
そんな場合じゃないのに。
こんな時に泣くなんて、どうかしている。
私が悲嘆に暮れてどうする。
そもそもこの事態を招いてしまったのは私だというのに。

誤魔化すように乱暴に目元を拭った。
安易に泣いてしまう自分が、心底嫌いだ。
まるで彼の気を引きたいみたいじゃない。
狡い自分に腹が立つ。
私はくちびるを引き結ぶと、リュアンダル殿下に向き直った。

「私のせいで、申し訳ございませんでした。失礼します」

「──」

リュアンダル殿下が眉を寄せ、何か言おうと口を開いたがそれは言葉にならなかったようだ。
苦々しげに彼は口を閉じた。
そのまま踵を返そうとしたところで、それまで沈黙を守っていた宰相閣下が割り込むように言った。

「お待ちください、ヴァネッサ公爵令嬢。このままあなたを返すと話が膠着状態に陥る可能性があります。言質はしっかりとらせていただきますよ、殿下。閨の手解きを担う貴族の婦人でも構いませんが、そうすると後々障りがあるでしょう。高級娼館の女を手配しますが、よろしいですね」

「……ゲイル」

ゲイルとは、宰相閣下の名前だ。
苦々しげに、嫌悪感すら感じさせる声でリュアンダル殿下は彼を呼んだが、宰相閣下は何処吹く風だった。

「あなたにはふたつの選択肢しかありません。婚約者のヴァネッサ公爵令嬢か、後腐れのない女を選ぶか。……宛があるなら第三の選択でも構いません。ですが、後々の面倒ごとは殿下ご自身がお引き受けくださいね」

「…………」

苦々しげにリュアンダル殿下は顔を顰めた。

「おおかたヴァネッサ公爵令嬢を帰してこのまま引きこもるおつもりだったのでしょう。ですが、再三お伝えしているとおり発情付加の特性は時間経過でどうにかなるものと思えません。ひたすら欲を解放するのです。それが最善の解決策となります」

「いい加減にしろ、宰相。……っは、まだ、発狂死するとは、限っていない……っ、それより、お前と話しているほうがよほど疲弊する!父上に伝えろ、女は不要だ、と!」

徐々に、リュアンダル殿下の声が上ずり、呼吸もさらに荒くなってくる。
発情付加の特性が現れているのだ。
彼は扉に額を押し付けるようにしながら、弱々しく、だけどその空色の瞳は力強さをもって宰相閣下を睨みつけた。
まるで、触れれば殺す、とでも言わんばかりだ。
それは手負いの獣のようでもあった。

「それで殿下の身になにかあったらどうなさるのですか!」

宰相閣下の言葉に、リュアンダル殿下が笑う。
嘲笑うかのような、皮肉げな笑い方だった。
彼は扉に背を預け、苦しそうにしながら言葉を紡ぐ。

「王家の直系が失われる、か?だがヴァーゼルがいるだろう?宰相」

「直系が絶えることは、王家の正当性を損なうことを意味します!……そうではなく!ヴァネッサ公爵令嬢、あなたからもお伝えください!このままでは殿下は廃人まっしぐらですよ!」

「え……」

突然話を振られた私は動揺したが、これ以上話を続けても無意味だと悟った。完全に膠着状態だ。リュアンダル殿下は寝室にひとを入れることを拒んでいるし、宰相閣下はもうこの際何でもいいから、女性を抱いて欲を発散しろと言っている。
このまま押し問答を続けていたらいずれ──。

(殿下は廃人になってしまうかもしれない……)

一年後、死ぬ可能性があることを考えたら私が彼の相手をするのは悪手だ。
だけど、ほかの女性を勧めるのは……。
例え、彼のためだとしても、私から言うことはどうしても出来なかった。
……どうしても。

そこまで、私は割り切れた人間になれなかった。
そこまで、私はできた人間にはなれなかった。
酷い女だ。狡い女だ。卑怯な女だ。
自覚している。それでも。

くちびるを強く噛み、私は覚悟を決めた。
くるりと彼らに背を向ける。宰相閣下が驚いたように私を呼んだ。

「ヴァネッサ公爵令嬢!?」

「少し、待っていてください……!」

私は、彼を助けたい。

その気持ちに偽りはない。
私は彼の盾となり、彼を守るために【婚約者】という肩書きを与えられた。
役に立つと信じられたから、彼の隣にいることを許されたのだ。
強くくちびるを噛みすぎてしまったようで、口内に鉄の味が苦く、広がった。
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