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親愛か、性愛か
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十年後の未来と比べ、十五歳のヴァーゼルは幼さを顔に残している。少年期から青年期に差し掛かっているためか、大人になりつつも、あどけなさがあるのだ。
無意識に十年後の彼と比べてしまい、心臓がどくどくと忙しない。
ヴァーゼルが、グラスを手に持ったまま首を傾げた。
「シュネイリア?……なんだか、顔色が悪いけど」
ヴァーゼルの言葉に、リュアンダル殿下が私の顎をすくいとって、顔をあげさせる。
ぱちり、と彼の薄青の──春の空を切り取ったような瞳と目が合う。
彼は私を見て、僅かに眉を寄せた。
「……ほんとうだ。疲れてしまったかな。もう、下がろうか」
「いえ。大丈夫です。まだデビュタントのダンスもしていませんし」
「それなら、予定をはやめよう。楽団に言って、ダンスの時間を──」
「ありがとうございます。ですが、ご心配には及びません。……会場の、煌びやかな雰囲気にすこし当てられただけですから。あ、グラスいただきますね。喉が渇いていたのかもしれません」
私はそう言って、彼からグラスを受け取った。
そのまま口をつければ、さっぱりとした冷水とほんのりとした桃の甘味を口内に感じる。
「少し話を……と思ったんだけど、シュネイリアの体調が悪そうだから早めに退散するとしようかな。シュネイリア、次は僕とも踊ってね」
ヴァーゼルが片目を瞑って私を見る。
彼のその、エメラルドグリーンの瞳は代々ルディグラン家でしか見られないものだと聞いている。
私は、ぎこちなさを隠すように頷いて見せた。
未だ、衝撃を拭いきれない。
彼を見ると、否応なく予知夢を思い出してしまう。
予知の中で、彼は達観したように、割り切った紳士の、大人の顔をして言っていた。
『死んだ人間を思い続けるなど、無益な話』
彼は、私を過去のものとして受け入れていた。
当然だ。十年前に死んだ人間をいつまでも心に残しておく方が、不健全だ。
だけど、それでも、私は彼のその冷たさを帯びた声を聞いた時、ぞくりと背筋が凍った。
ばからしい、とでも言うような冷たい声だった。
私の知るヴァーゼル、という人間は、普段卒なく物事をこなしていながら、裏では「やってられねー」と愚痴をこぼすひとだった。
そして、それを聞いていた私や、もうひとつの三大公爵家の子息である彼にしっかり口止めする。そんなひとだ。
表向きしっかりと振る舞ってみせるものの、実は茶目っ気に溢れるひと、それがヴァーゼルだ。
そんな彼が、十年後には感情を一切見せない、冷徹さすら感じる青年貴族になっていたことに、私は驚いたのだ。
もっとも、十年という月日が流れればそれも当然なのかもしれないが。
その後、予定通りに楽団がワルツの曲を奏で初め、ダンスの時間となった。
私はリュアンダル殿下にエスコートされて、レッスンで習ったとおりにステップを踏む。
最初のダンスは、王太子とその婚約者が踊ると定められている。
私とリュアンダル殿下は、会場の人々に見守られながら優雅にダンスを踊った。
人々の視線が私たちに集中していることに緊張を抱いたが、この数年、死にものぐるいで努力したこともあり、大きな失敗もなくダンスを終えることが出来た。
安堵していると、曲の最後のメロディが奏でられた。
彼の胸に手をついて胸を撫で下ろしていると、不意にリュアンダルがそっと、周りからは気づかない程度の力で私の腰を抱き寄せた。
「リュア──」
「今日のドレス、よく似合ってる。その黄の差し色は僕に合わせてかな。シュネイリア嬢は美人だから、その形のドレスもよく似合ってるね」
そっと、囁くような声で言われてびくりと背筋が震えた。
まるで──睦言のような、そんな甘さを含んでいるように、感じたからだ。
驚いて固まっていると、彼が体を離した。
じわじわと頬が熱を持つのを感じて、私は戸惑い気味に彼を見上げた。
だけどリュアンダル殿下は涼しい顔で周囲を見渡して、ぽつりと言った。
「いつまでもこうしていたいけど、後が押してるから。仕方ないね」
彼の言葉を受けて私も視線をめぐらせると、次は私と踊るのだと言わんばかりにデビュタントの令嬢がそれとなく周囲を囲んでいる。
しかも、互いに目配せをして牽制までしている始末だ。おそらく、誰が最初に踊るかを競っているのだろう。
それを目の当たりにし、ようやく私は平静を取り戻した。
「……楽しいひと時でした。ありがとうございました」
「シュネイリア嬢」
「はい」
彼に呼びかけられて顔を上げると、リュアンダル殿下がにこりと笑う。
柔らかい微笑みに、互いを互いに牽制し合っていた令嬢が色めき立つのが分かる。
「そのドレス、きみによく似合ってるけど……次からは首元まで覆うようなデザインにしてね。レースでもシフォンでも構わないから。……少し、肌が出過ぎている」
「え……」
「きみは綺麗だから、そんな姿を安易にほかの男に見せたらいけない、と言いたいんだ」
「わ、分かりました。メイドと相談します」
驚きと戸惑いで彼の言葉を完全に理解できずにいるものの、とりあえず頷いておく。
どちらにせよ、私が彼の言葉を拒否できるはずがない。
私の言葉に、リュアンダル殿下がよく出来ました、とても言いたげに微笑んだ。
先程まで、じんじんと痛んでいた胸は、ぞくぞくとした、掻痒に変わっていた。
無意識に十年後の彼と比べてしまい、心臓がどくどくと忙しない。
ヴァーゼルが、グラスを手に持ったまま首を傾げた。
「シュネイリア?……なんだか、顔色が悪いけど」
ヴァーゼルの言葉に、リュアンダル殿下が私の顎をすくいとって、顔をあげさせる。
ぱちり、と彼の薄青の──春の空を切り取ったような瞳と目が合う。
彼は私を見て、僅かに眉を寄せた。
「……ほんとうだ。疲れてしまったかな。もう、下がろうか」
「いえ。大丈夫です。まだデビュタントのダンスもしていませんし」
「それなら、予定をはやめよう。楽団に言って、ダンスの時間を──」
「ありがとうございます。ですが、ご心配には及びません。……会場の、煌びやかな雰囲気にすこし当てられただけですから。あ、グラスいただきますね。喉が渇いていたのかもしれません」
私はそう言って、彼からグラスを受け取った。
そのまま口をつければ、さっぱりとした冷水とほんのりとした桃の甘味を口内に感じる。
「少し話を……と思ったんだけど、シュネイリアの体調が悪そうだから早めに退散するとしようかな。シュネイリア、次は僕とも踊ってね」
ヴァーゼルが片目を瞑って私を見る。
彼のその、エメラルドグリーンの瞳は代々ルディグラン家でしか見られないものだと聞いている。
私は、ぎこちなさを隠すように頷いて見せた。
未だ、衝撃を拭いきれない。
彼を見ると、否応なく予知夢を思い出してしまう。
予知の中で、彼は達観したように、割り切った紳士の、大人の顔をして言っていた。
『死んだ人間を思い続けるなど、無益な話』
彼は、私を過去のものとして受け入れていた。
当然だ。十年前に死んだ人間をいつまでも心に残しておく方が、不健全だ。
だけど、それでも、私は彼のその冷たさを帯びた声を聞いた時、ぞくりと背筋が凍った。
ばからしい、とでも言うような冷たい声だった。
私の知るヴァーゼル、という人間は、普段卒なく物事をこなしていながら、裏では「やってられねー」と愚痴をこぼすひとだった。
そして、それを聞いていた私や、もうひとつの三大公爵家の子息である彼にしっかり口止めする。そんなひとだ。
表向きしっかりと振る舞ってみせるものの、実は茶目っ気に溢れるひと、それがヴァーゼルだ。
そんな彼が、十年後には感情を一切見せない、冷徹さすら感じる青年貴族になっていたことに、私は驚いたのだ。
もっとも、十年という月日が流れればそれも当然なのかもしれないが。
その後、予定通りに楽団がワルツの曲を奏で初め、ダンスの時間となった。
私はリュアンダル殿下にエスコートされて、レッスンで習ったとおりにステップを踏む。
最初のダンスは、王太子とその婚約者が踊ると定められている。
私とリュアンダル殿下は、会場の人々に見守られながら優雅にダンスを踊った。
人々の視線が私たちに集中していることに緊張を抱いたが、この数年、死にものぐるいで努力したこともあり、大きな失敗もなくダンスを終えることが出来た。
安堵していると、曲の最後のメロディが奏でられた。
彼の胸に手をついて胸を撫で下ろしていると、不意にリュアンダルがそっと、周りからは気づかない程度の力で私の腰を抱き寄せた。
「リュア──」
「今日のドレス、よく似合ってる。その黄の差し色は僕に合わせてかな。シュネイリア嬢は美人だから、その形のドレスもよく似合ってるね」
そっと、囁くような声で言われてびくりと背筋が震えた。
まるで──睦言のような、そんな甘さを含んでいるように、感じたからだ。
驚いて固まっていると、彼が体を離した。
じわじわと頬が熱を持つのを感じて、私は戸惑い気味に彼を見上げた。
だけどリュアンダル殿下は涼しい顔で周囲を見渡して、ぽつりと言った。
「いつまでもこうしていたいけど、後が押してるから。仕方ないね」
彼の言葉を受けて私も視線をめぐらせると、次は私と踊るのだと言わんばかりにデビュタントの令嬢がそれとなく周囲を囲んでいる。
しかも、互いに目配せをして牽制までしている始末だ。おそらく、誰が最初に踊るかを競っているのだろう。
それを目の当たりにし、ようやく私は平静を取り戻した。
「……楽しいひと時でした。ありがとうございました」
「シュネイリア嬢」
「はい」
彼に呼びかけられて顔を上げると、リュアンダル殿下がにこりと笑う。
柔らかい微笑みに、互いを互いに牽制し合っていた令嬢が色めき立つのが分かる。
「そのドレス、きみによく似合ってるけど……次からは首元まで覆うようなデザインにしてね。レースでもシフォンでも構わないから。……少し、肌が出過ぎている」
「え……」
「きみは綺麗だから、そんな姿を安易にほかの男に見せたらいけない、と言いたいんだ」
「わ、分かりました。メイドと相談します」
驚きと戸惑いで彼の言葉を完全に理解できずにいるものの、とりあえず頷いておく。
どちらにせよ、私が彼の言葉を拒否できるはずがない。
私の言葉に、リュアンダル殿下がよく出来ました、とても言いたげに微笑んだ。
先程まで、じんじんと痛んでいた胸は、ぞくぞくとした、掻痒に変わっていた。
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