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大広間 (4)
しおりを挟む静かに響くリーゼロッテの声に、キャサリンの視線がむく。
キャサリンはリーゼロッテを見て警戒するような顔になった。無邪気な少女らしい彼女は、その実確かに無邪気だったのだろう。
考えるということを知らない。
御伽噺の物語をそのまま信じているかのような彼女は、現実を見ていないのだ。彼女は幼い、その心が。見た目は立派な淑女だがその中身はお子様もいいところだ。ちゃんと学んでこなかったのだろうか。貴族の階級とか、社交界について。
リーゼロッテは閉じたばかりの扇を開いてキャサリンを見た。キャサリンと視線が絡む。
「我が家が王家に貸し付けた金額は約5800万リント。お分かり?かの大戦で高額の金銭を必要とした王家が我が家に求めた金額ですの」
「そ、それがどうしたって言うんですか………」
5万リントで、およそ一ヶ月の家賃に近い金額となる。つまり5800万リントというのは途方もない大金なのだ。元から資金に溢れた公爵家ではそこまで大した額ではないが、一般的に見ればとてつもない金額。リーゼロッテはその数字を口にしながら、扇を伸ばした。それでキャサリンの頬をつぅ、となぞる。冷たい感触にキャサリンの体がはねた。
「あなたが愛だのなんだの仰るなら……………。筋を通してもらいましょうか?」
「な、なに…………」
「今すぐ5800万リント。耳を揃えて返してちょうだい。あなたが、今すぐに」
「な……………!?」
恐ろしいくらい静かな声で告げたリーゼロッテに、キャサリンは硬直した。普通に考えて無理だろう。キャサリンはただの子爵令嬢で、しかも養女。子爵家はそこそこ裕福といえど公爵家とは比べ物にならない。5800万リントなどすぐに用意できるはずがないのだ。それに元平民だったキャサリンには途方もない金額に思えただろう。それを今すぐ返せなど無理なことだとリーゼロッテは分かっていた。だからこそ彼女はにこりと笑って言葉をしめた。
「それが無理なら、余計な口出しはしないように。それが筋ってものでしょう?これは契約なの。言った通りにね」
「……………」
思わぬ金額を口にされ完全に怖気付いたキャサリンに、リーゼロッテは終わりを悟る。隣のリデルは楽しげにキャサリンを見ている。リーゼロッテはそんなリデルを冷めた目で見ながら、国王へと振り返った。
「では、陛下。今この場で、婚約者の変更についてお言葉を」
リーゼロッテに促された国王はその言葉に我に返ったようになり、ハッとしてように言葉を続けた。リデルは勝ち誇ったような楽しげな笑みを浮かべている。キャサリンは恐怖で固まっていて、カイゼルは茫然自失していた。その姿は、つい十数分前までリーゼロッテを糾弾しようとしていたようには見えない。
「う、うむ。ここにリーゼロッテ・デストロイ令嬢とカイゼル第二王子の婚約破棄を行い、第二王子カイゼルの婚約者には新たにリデルを据えることを表明するーーー」
国王の言葉に、静かに、だけど少しずつ拍手が沸き起こる。それはある意味舞台演劇のような場面を見た事に対するものに思えたが、リーゼロッテは笑って受け取っておいた。
ーーーちなみに、リデルの子はカイゼルの子ではない。
リーゼロッテだけはそれを知っている。頭が回らない妹はカイゼルの子だと信じて疑っていないが、リーゼロッテだけが知っている。リーゼロッテはカイゼル以外にもリデルが関係を持っていたことを知っていた。男を取っかえ引っ変えしているリデルに宿った子が、誰の血を引いているのか。それはリーゼロッテすら知らない。
だからリーゼロッテは楽しみなのだ。生まれてからのことが。おそらく子供は赤髪でも亜麻色だもないだろう。リデルが囲っていた男たちはみな奇抜な髪色で、亜麻色も赤髪もいなかった。
あの日、リーゼロッテがこの劇を仕組むとなってしたことはまずリデルに話を聞かせることだった。
ーーーあなたの子ね、おそらく………カイゼル様の子なんじゃないかしら
そういって、確定的なことは言わないようにしながらリデルを操った。リーゼロッテは妹を心配する姉の顔を作って彼女に言ったのだ。
ーーー数えるとあの聖夜の日になるのよ。だから………
それだけ言うと、リデルは愚かにも勘違いした。元々王子妃を狙っていたリデルだ。この機を逃さずに、リーゼロッテの企みに乗った。リーゼロッテはリデルのことを恨んでいた。突如としてできた妹のリデル。ある日突然妹だと教えられ会わされた妹は、確かに天使のようだった。だけど天使なのは見た目だけだった。
ーーーごめんなさいね、お姉様。また取っちゃった
それがリデルの口癖だった。とにかく、リデルは人のものーーー姉のものを盗るのが大好きだった。最初はお気に入りのぬいぐるみから始まり、カイゼルとの婚約がまとめられるまではリーゼロッテの友達すらリデルは奪っていった。気になる男の子もみなリデルにとられてしまう。リデルはひとりぽつんとするリーゼロッテを見て笑って言うのだ。
『ごめんなさいね、お姉様。また取っちゃった』
相談するにもできない婚約者のカイゼルと、人のものを奪って優越感に浸る妹。長女には全く興味のない後妻の義理の母。無関心な父親。そんな中、確かにリーゼロッテは苦しんでいた。
リーゼロッテはリデルを許したからこそ親身になったのではない。むしろ逆だ。復讐をしたいから、親身になったふりをした。
ーーー生まれてきた子供の髪色が両親どちらのものでもないとなったら、二人はどうするのかしら。瞳の色もそうよね。それに………肌の色だってそうだわ。リデルの囲った男の中には褐色の肌の人もいたはずだもの。
リーゼロッテは楽しみだった。生まれてからギスギスとした生活を過ごす彼らを。自分に見向きもせず、リーゼロッテを玩具のように扱うカイゼルも、人のものを盗ることしか楽しみを見い出せないリデルも、不幸になってしまえばいいと思った。リーゼロッテはその時初めて、綺麗な笑みを浮かべた。
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