2 / 9
獲物を狩る準備
しおりを挟む
私の名前は、ルナマリア・ルーゼン。
ジェラルド様と結婚し、ルーゼン伯爵夫人となった。
年齢は、十八。
私とジェラルド様の結婚は、完全に政略結婚だった。互いに愛はない、──と思っていたのだけど、彼はそう考えていなかったようだ。
ルナマリアは、彼のことが好きで好きでたまらない、といつの間にか、彼の頭ではそうなっていたらしい。
愛の言葉はもちろん、それらしいことなど一切したことがないのに、だ。婚約が結ばれた際に定められた、定期の逢瀬くらいしか関わりはなかったというのに、彼はあたかもそれが真実かのように思い込んでいる。なにが、思い込みの理由となったのかは、わからない。
何度、嫉妬からの言葉ではないと伝えても、意味はなかった。彼は、私の言葉を全て【嫉妬から来るもの】と処理してしまうからだ。
自室に戻った私は、ふと窓の向こうに視線を向けた。そこには、旦那様の恋人であるフローレンス様が。
フローレンス様を待たせている旦那様は今頃、大慌てて支度を進めているのだろう。
寒空の下、白い息をてのひらに吹きかけているフローレンス様は、たいへん可憐だ。
十人が十人、見れば『愛らしい』と表現するであろう、容姿。エメラルドのような緑の髪に、星屑のような紺青の瞳。いつも露出の多いドレスを身につけているというのに、婀娜めいた雰囲気はなく、可憐な少女のように、見えるのは彼女が持つオーラがそうさせているのだろう。
なんとなく、彼女を見ていると、不意に彼女はパッと顔を上げた。目を輝かせて、見つめた先には──。
彼女はそのまま、駆けていった。
淑女としてはとんでもない失態だが、恋人の前なのだ。これくらいはご愛嬌、というものなのだと思う。
雪が降り始めた。
粉雪は、はらはらと舞い降りて、ふたりの頭上を彩った。久しぶりの逢瀬、というわけでもないのにフローレンス様と彼──ジェラルド様は熱く見つめあっている。
ふたりを見ていると、とてつもない肩透かし感──虚しさすら感じてくる。
私は、女の幸せというものを求めているつもりはなかった。ただ、自身に与えられた責務をこなそうと、先代伯爵との約束を守ろうと、しただけだったのに。
「はあああーー」
感傷に浸っていても仕方ない。もとより、そんなメソメソとした性格でもない。
私は、疲れを吐き出すようにため息を吐いてからカウチに腰を下ろした。
(次の夜会は明後日……)
きっと、次もジェラルド様は当然とばかりにフローレンス様をエスコートするのだろう。周囲の視線を思うと、頭が痛い。
ジェラルド様の問題はそれだけではない。彼は、他にもとんでもないやらかしをしている。
それは──。
借金問題、である。
彼は、気の強い性格が仇となったのか、たいへんな負けず嫌いである。そのくせ、そんなに勝負には強くない。夜会に参加する度にえらい負債を抱えてくるので、それも頭痛の種だった。
とはいえ、私に注意されるのは彼のプライドが許さないようだった。私の注意の言葉すらも【私が彼の恋人に嫉妬して駆られた言葉】として処理されてしまうのである。
(……やってられるか!)
何度、拳を握ったかわからない。
ぎりぎりのところで手を出すことだけは避けられているものの、これ以上私の忍耐を試すのはやめていただきたい。
というわけで。私は水面下でゆっくりと動かしていた計画を進めることにした。
対話を拒否するのなら、拒否せざるを得ない状況に持ち込むだけ。
──正直、獲物を駆り立てるのは、得意分野ではありますもの。
私の生家、フェリア家は金で爵位を買った、いわゆる成金貴族である。金はあるが、歴史はない。社交界での権力、発言力を求めるには、金だけでは足りない。
そういった経緯で、結ばれたのがルーゼン伯爵家との婚約。歴史だけはあるものの金銭事情は火の車のルーゼン家と、金だけはあるものの歴史はないフェリア男爵家。
互いに都合が良かったのだ。
ジェラルド様に引き合わされたのは、私が十三歳、ジェラルド様が十六歳の頃。
その頃の私は、なんというか──とても、男勝りな娘だった。
もともと、我が家は金だけはあるという状態だったので、常日頃から【自分の身は自分で守れるように】というのが家訓だった。
そしてそれは、家の一人娘であった私と例外ではなく、私は幼い頃から剣を持たされ、体を鍛えて過ごしていたのだ。
それに対し、ジェラルド様は生粋の貴族。貴族の嗜みとして剣は使えるものの、毎日鍛錬に励んでいるわけではない。それなのに、自分より数個も年下の少女が剣を提げ、とうぜんのように『打ち合いをしたい』などと言ってきたら──まあ、結果は火を見るより明らかである。
ジェラルド様は、女の身でありながら剣を持つ私に唖然とし、嫌悪感を示した。おそらく、私と彼の間に恋愛めいた感情が生まれなかったのは、初対面の印象が互いにさいあくだったせいだと思われる。
『女のくせに剣を持つのか?お前の家は、それほどまでに野蛮な家なのか!?』
というのは、忘れもしないジェラルド様の言葉である。今より五歳若かった私は、フェリア家を馬鹿にされたことに腹を立てた。
そして、思いのままに言い返してしまったのである。
『我が家では、自分の身は自分で守るように、と教育されます。家柄ばかり立派な貴族の方には、分からないと思いますけど』
と、幼さも手伝って棘のある言い方をしてしまったのだった。その後の時間は、互いに腹を立て会話らしい会話をしないまま、解散。
その時の空気を、今もなお引きずっているような気がする。
とはいえ、今思い返しても仕方の無いことだ。
(選択肢のうちのひとつ……と用意したものだったけど、こんなに早く使うことになるなんて)
獲物を仕留める際、用意する手段は決してひとつではない。むしろ、失敗を前提として準備をする──武人なら当然の心得である。
ジェラルド様と結婚し、ルーゼン伯爵夫人となった。
年齢は、十八。
私とジェラルド様の結婚は、完全に政略結婚だった。互いに愛はない、──と思っていたのだけど、彼はそう考えていなかったようだ。
ルナマリアは、彼のことが好きで好きでたまらない、といつの間にか、彼の頭ではそうなっていたらしい。
愛の言葉はもちろん、それらしいことなど一切したことがないのに、だ。婚約が結ばれた際に定められた、定期の逢瀬くらいしか関わりはなかったというのに、彼はあたかもそれが真実かのように思い込んでいる。なにが、思い込みの理由となったのかは、わからない。
何度、嫉妬からの言葉ではないと伝えても、意味はなかった。彼は、私の言葉を全て【嫉妬から来るもの】と処理してしまうからだ。
自室に戻った私は、ふと窓の向こうに視線を向けた。そこには、旦那様の恋人であるフローレンス様が。
フローレンス様を待たせている旦那様は今頃、大慌てて支度を進めているのだろう。
寒空の下、白い息をてのひらに吹きかけているフローレンス様は、たいへん可憐だ。
十人が十人、見れば『愛らしい』と表現するであろう、容姿。エメラルドのような緑の髪に、星屑のような紺青の瞳。いつも露出の多いドレスを身につけているというのに、婀娜めいた雰囲気はなく、可憐な少女のように、見えるのは彼女が持つオーラがそうさせているのだろう。
なんとなく、彼女を見ていると、不意に彼女はパッと顔を上げた。目を輝かせて、見つめた先には──。
彼女はそのまま、駆けていった。
淑女としてはとんでもない失態だが、恋人の前なのだ。これくらいはご愛嬌、というものなのだと思う。
雪が降り始めた。
粉雪は、はらはらと舞い降りて、ふたりの頭上を彩った。久しぶりの逢瀬、というわけでもないのにフローレンス様と彼──ジェラルド様は熱く見つめあっている。
ふたりを見ていると、とてつもない肩透かし感──虚しさすら感じてくる。
私は、女の幸せというものを求めているつもりはなかった。ただ、自身に与えられた責務をこなそうと、先代伯爵との約束を守ろうと、しただけだったのに。
「はあああーー」
感傷に浸っていても仕方ない。もとより、そんなメソメソとした性格でもない。
私は、疲れを吐き出すようにため息を吐いてからカウチに腰を下ろした。
(次の夜会は明後日……)
きっと、次もジェラルド様は当然とばかりにフローレンス様をエスコートするのだろう。周囲の視線を思うと、頭が痛い。
ジェラルド様の問題はそれだけではない。彼は、他にもとんでもないやらかしをしている。
それは──。
借金問題、である。
彼は、気の強い性格が仇となったのか、たいへんな負けず嫌いである。そのくせ、そんなに勝負には強くない。夜会に参加する度にえらい負債を抱えてくるので、それも頭痛の種だった。
とはいえ、私に注意されるのは彼のプライドが許さないようだった。私の注意の言葉すらも【私が彼の恋人に嫉妬して駆られた言葉】として処理されてしまうのである。
(……やってられるか!)
何度、拳を握ったかわからない。
ぎりぎりのところで手を出すことだけは避けられているものの、これ以上私の忍耐を試すのはやめていただきたい。
というわけで。私は水面下でゆっくりと動かしていた計画を進めることにした。
対話を拒否するのなら、拒否せざるを得ない状況に持ち込むだけ。
──正直、獲物を駆り立てるのは、得意分野ではありますもの。
私の生家、フェリア家は金で爵位を買った、いわゆる成金貴族である。金はあるが、歴史はない。社交界での権力、発言力を求めるには、金だけでは足りない。
そういった経緯で、結ばれたのがルーゼン伯爵家との婚約。歴史だけはあるものの金銭事情は火の車のルーゼン家と、金だけはあるものの歴史はないフェリア男爵家。
互いに都合が良かったのだ。
ジェラルド様に引き合わされたのは、私が十三歳、ジェラルド様が十六歳の頃。
その頃の私は、なんというか──とても、男勝りな娘だった。
もともと、我が家は金だけはあるという状態だったので、常日頃から【自分の身は自分で守れるように】というのが家訓だった。
そしてそれは、家の一人娘であった私と例外ではなく、私は幼い頃から剣を持たされ、体を鍛えて過ごしていたのだ。
それに対し、ジェラルド様は生粋の貴族。貴族の嗜みとして剣は使えるものの、毎日鍛錬に励んでいるわけではない。それなのに、自分より数個も年下の少女が剣を提げ、とうぜんのように『打ち合いをしたい』などと言ってきたら──まあ、結果は火を見るより明らかである。
ジェラルド様は、女の身でありながら剣を持つ私に唖然とし、嫌悪感を示した。おそらく、私と彼の間に恋愛めいた感情が生まれなかったのは、初対面の印象が互いにさいあくだったせいだと思われる。
『女のくせに剣を持つのか?お前の家は、それほどまでに野蛮な家なのか!?』
というのは、忘れもしないジェラルド様の言葉である。今より五歳若かった私は、フェリア家を馬鹿にされたことに腹を立てた。
そして、思いのままに言い返してしまったのである。
『我が家では、自分の身は自分で守るように、と教育されます。家柄ばかり立派な貴族の方には、分からないと思いますけど』
と、幼さも手伝って棘のある言い方をしてしまったのだった。その後の時間は、互いに腹を立て会話らしい会話をしないまま、解散。
その時の空気を、今もなお引きずっているような気がする。
とはいえ、今思い返しても仕方の無いことだ。
(選択肢のうちのひとつ……と用意したものだったけど、こんなに早く使うことになるなんて)
獲物を仕留める際、用意する手段は決してひとつではない。むしろ、失敗を前提として準備をする──武人なら当然の心得である。
285
お気に入りに追加
967
あなたにおすすめの小説
【片思いの5年間】婚約破棄した元婚約者の王子様は愛人を囲っていました。しかもその人は王子様がずっと愛していた幼馴染でした。
五月ふう
恋愛
「君を愛するつもりも婚約者として扱うつもりもないーー。」
婚約者であるアレックス王子が婚約初日に私にいった言葉だ。
愛されず、婚約者として扱われない。つまり自由ってことですかーー?
それって最高じゃないですか。
ずっとそう思っていた私が、王子様に溺愛されるまでの物語。
この作品は
「婚約破棄した元婚約者の王子様は愛人を囲っていました。しかもその人は王子様がずっと愛していた幼馴染でした。」のスピンオフ作品となっています。
どちらの作品から読んでも楽しめるようになっています。気になる方は是非上記の作品も手にとってみてください。
年に一度の旦那様
五十嵐
恋愛
愛人が二人もいるノアへ嫁いだレイチェルは、領地の外れにある小さな邸に追いやられるも幸せな毎日を過ごしていた。ところが、それがそろそろ夫であるノアの思惑で潰えようとして…
しかし、ぞんざいな扱いをしてきたノアと夫婦になることを避けたいレイチェルは執事であるロイの力を借りてそれを回避しようと…
【完結】元妃は多くを望まない
つくも茄子
恋愛
シャーロット・カールストン侯爵令嬢は、元上級妃。
このたび、めでたく(?)国王陛下の信頼厚い側近に下賜された。
花嫁は下賜された翌日に一人の侍女を伴って郵便局に赴いたのだ。理由はお世話になった人達にある書類を郵送するために。
その足で実家に出戻ったシャーロット。
実はこの下賜、王命でのものだった。
それもシャーロットを公の場で断罪したうえでの下賜。
断罪理由は「寵妃の悪質な嫌がらせ」だった。
シャーロットには全く覚えのないモノ。当然、これは冤罪。
私は、あなたたちに「誠意」を求めます。
誠意ある対応。
彼女が求めるのは微々たるもの。
果たしてその結果は如何に!?
【完結】婚約破棄した元婚約者の王子様は愛人を囲っていました。しかもその人は王子様がずっと愛していた幼馴染でした。
五月ふう
恋愛
「君を愛するつもりも婚約者として扱うつもりもないーー。」
婚約者であるアレックス王子が婚約初日に私にいった言葉だ。
愛されず、婚約者として扱われない。つまり自由ってことですかーー?
それって最高じゃないですか。
愛されなかった公爵令嬢のやり直し
ましゅぺちーの
恋愛
オルレリアン王国の公爵令嬢セシリアは、誰からも愛されていなかった。
母は幼い頃に亡くなり、父である公爵には無視され、王宮の使用人達には憐れみの眼差しを向けられる。
婚約者であった王太子と結婚するが夫となった王太子には冷遇されていた。
そんなある日、セシリアは王太子が寵愛する愛妾を害したと疑われてしまう。
どうせ処刑されるならと、セシリアは王宮のバルコニーから身を投げる。
死ぬ寸前のセシリアは思う。
「一度でいいから誰かに愛されたかった。」と。
目が覚めた時、セシリアは12歳の頃に時間が巻き戻っていた。
セシリアは決意する。
「自分の幸せは自分でつかみ取る!」
幸せになるために奔走するセシリア。
だがそれと同時に父である公爵の、婚約者である王太子の、王太子の愛妾であった男爵令嬢の、驚くべき真実が次々と明らかになっていく。
小説家になろう様にも投稿しています。
タイトル変更しました!大幅改稿のため、一部非公開にしております。
【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。
つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。
彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。
なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか?
それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。
恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。
その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。
更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。
婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。
生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。
婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。
後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。
「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。
拝啓 お顔もお名前も存じ上げない婚約者様
オケラ
恋愛
15歳のユアは上流貴族のお嬢様。自然とたわむれるのが大好きな女の子で、毎日山で植物を愛でている。しかし、こうして自由に過ごせるのもあと半年だけ。16歳になると正式に結婚することが決まっている。彼女には生まれた時から婚約者がいるが、まだ一度も会ったことがない。名前も知らないのは幼き日の彼女のわがままが原因で……。半年後に結婚を控える中、彼女は山の中でとある殿方と出会い……。
【完結】恋人との子を我が家の跡取りにする? 冗談も大概にして下さいませ
水月 潮
恋愛
侯爵家令嬢アイリーン・エヴァンスは遠縁の伯爵家令息のシリル・マイソンと婚約している。
ある日、シリルの恋人と名乗る女性・エイダ・バーク男爵家令嬢がエヴァンス侯爵邸を訪れた。
なんでも彼の子供が出来たから、シリルと別れてくれとのこと。
アイリーンはそれを承諾し、二人を追い返そうとするが、シリルとエイダはこの子を侯爵家の跡取りにして、アイリーンは侯爵家から出て行けというとんでもないことを主張する。
※設定は緩いので物語としてお楽しみ頂けたらと思います
☆HOTランキング20位(2021.6.21)
感謝です*.*
HOTランキング5位(2021.6.22)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる