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64.過去と未来を繋ぐ約束のリボン

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行為が終わると、どうしてこうも恥ずかしさが去来するのだろうか。
なんだかすごいことをしてしまった……という気持ちになるのだ。
そして今日のは、以前よりも激しかったような気がする。
あまりはっきりとは覚えていないがずいぶん、嬌声をあげたような気がする。

交わっていた視線を、どちらともなく逸らす。
そこで、ヴェリュアンがふは、と笑った。
その笑い声に釣られ、私も彼を見た。

ヴェリュアンは笑っていた。
まるで、十一年前の彼のように。屈託なく、楽しそうに。

「なんで俺たち、したあとにこんな恥ずかしがってんの?」

「………恥ずかしいものは恥ずかしいもの。まだまだ慣れないわ」

「そう?俺は慣れてきたけどな。むしろ、興味が湧いた」

(きょ、興味……)

彼はサイドテーブルから手巾を取り出して、私の肌を拭いながら言葉を続けた。

「俺もきみもまだ初心者だからさ。ゆっくり、学んでいこう?俺はきみのペースに合わせるし、同じ速度で、ゆっくり、楽しめばいいと思うんだよね。つまり」

何がつまり、なのだろうか。
私は戸惑いを覚えて、瞬きを繰り返しながら彼を見る。
ヴェリュアンはそんな私を満足そうに見た。

「……騎士見習いだった時、『女を覚えた男は猿のようになる』って先輩に言われたんだよね。きみとして……確かに、と思うくらいには気持ちが良かった。頭がばかになるんじゃないかってくらいにはね。でも、体だけじゃない。なんかさ……心が、気持ちいいんだよ。すごく、満たされている感じがする」

「……うん」

彼が言わんとしていることを読み取って、私もまた、ちいさく頷いた。

「だから……ゆっくり、ふたりで……きみと、知っていければいいと思うんだよ。他がどうかは知らないけど、俺たちは俺たちのペースで、やっていこう。焦らずにさ……。…………」

彼はそのあとも、言葉を探そうとしていたようだったけど、やがて諦めたように深くため息を吐いた。

「……元々、俺は口がそんなに上手いほうじゃないんだ。多分、シドローネも知ってると思う」

確かに、十一年前の彼は言葉数が少なく、物言いも辛辣で、あまり優しいとはいえなかった。
だからこそ、記憶を取り戻してから──優しい彼に、びっくりしたのだけど。
でも、根は変わっていないということは、慣れないながらも言葉を探して、伝えようと努力してくれているのだろう。
それが分かって、また私はちいさく笑う。
微笑ましい、と思ったのだ。
それは、昔──十一年前に、私と一緒にレモングラスを探してくれた、少年のぶっきらぼうな優しさに、よく似ている。
私が笑うと、ヴェリュアンが私をじろりと睨んだ。

「だから、言葉で伝える努力もするけど同じくらい、きみに触れて、伝えることにする」

その言葉に、私は笑いを引っこめることになった。口元に手を添えてくすくす笑っていた私は、その仕草のまま、固まった。

「え……?……え?」

触れ……て?
瞬きを繰り返すばかりの私に、彼が笑う。

「もう、女の子と誤解されたくないし」

「それは……」

そもそも、初めて出会った時に勘違いしただけで、それ以降誤解することはなかったはずだ。
言い淀む私に、ヴェリュアンが額を合わせる。

至近距離で、視線が交わる。
近くで見る彼の瞳が、私は好きだ。
黄昏のような空の色に、月が出ているような。
星が瞬いているような、そんな瞳。
私は昔から──彼のその瞳に、囚われている。
きっと、初めて出会った時から。

思えば、彼と再会した時も、私は彼の瞳が気になっていた。
リベルアの邸宅で、彼と厨房に向かった時。
不意に彼に手を握られて──私は彼の瞳に魅せられたことを思い出した。

彼の瞳は、氷によく似ている。
彼とふたたび出会い、過去の記憶を持たない私は、彼のことをそう思った。

だけどその氷は、煌めきを帯びた水晶のようだと、思った時にはきっと、もう。
彼の瞳に、魅せられていた。

それに気がついて、私はひとり苦笑する。
ヴェリュアンとの思い出を忘れてなお、私は彼のその、特徴的な瞳を忘れることは無かったらしい。きっと、どこかで覚えていた。
この、瞳を。

私は群青の瞳を見つめながら、過去の優しい記憶に思いを馳せた。

いつものようにあの草原に出かけると、ヴェリュアンは妙に硬い表情をしていた。
彼らしくない。
そう思っていた私に、彼が真剣な声で言った。

『俺、聖竜騎士になるよ』

私は驚いた。
突然のことだったから。
理由を尋ねると、ヴェリュアンはぶっきらぼうに言った。

『どうしても何も、別にいいだろ。……アリアドネは、聖竜騎士と結婚するんだろ?』

確かに、そうだ。
私は公爵家の娘だし、いずれは権力者の子息と結婚することになるだろう。その最有力候補が、聖竜騎士だ。
まだ、私の年齢に近い聖竜騎士は現れていないが、いつか現れたら、きっとそのひとが、私の旦那様になる。
だから私は、ヴェリュアンにもそう言っていた。
私は彼の言葉を受けて考えた。
彼が、聖竜騎士になったら──。
ヴェリュアンが、旦那様になったら。
それはとても、素敵なことだと思った。

彼は飾らない物言いをして、私にお世辞を言わない。
対等に話せる子供、というのが当時の私には新鮮だった。
そして同時に私は、彼が隠す優しさにも気がついていた。
ヴェリュアンは、辛辣な言葉を言うが、冷たくはない。一緒にレモングラスを探してくれたし、私に水遊びを教えてくれた。
冷たい泉では、ふたりで陽が陰るまで遊んだものだ。
だから私は、彼に託した。
私がずっと使っていた、当時いちばんのお気に入りだった青のリボンを。
当時の私は、今よりも髪色が薄く、春の空のような色合いをしていた。
空色の髪に濃い青のリボンは、自分でも似合うと思うほど気に入っていたものだった。
それを手放して、彼に渡したのだ。

『髪には、魔力が宿ると言われているのよ。だから、あなたが本当に聖竜騎士を目指すと言うなら──これを』

髪に魔力が宿る、というのは迷信だが、ロザリアンに住むひとなら誰もが知っていることだった。
だから私は、それを願った。
彼が、私の旦那様になれたらいいのに。
そう、思って。
微かな希望だった。
私が公爵家の娘で、ヴェリュアンが平民である以上、難しいとも思っていた。
でも、信じたかった。

私はヴェリュアンの手を軽く握り、彼の指先に口付けた。

「……ありがとう。私を、見つけてくれて。……探してくれて。……願いを、叶えてくれて」

彼が、瞳を細める。
こういう時の彼は、何を考えているか分からない。
でも優しいひとだから、きっと。

「願いを叶えてもらったのは、俺の方だよ。……きみのおまじないは、確かだったね」

彼が優しく笑う。
彼もまた、私が渡したリボンのことを思い出しているのだろう。
ふたりで同じ記憶を回顧していることにまた、笑みがこぼれた。
嬉しくて。

「……大好きよ。今も、昔も」

ちいさな声は、いつもなら聞こえなかったかもしれない。
だけどこの距離だ。
しっかりとヴェリュアンにも聞こえたらしい。

彼は私を抱き寄せて、私の髪先に触れた。
あの──夏の日の記憶にある、空の色のような青の髪に口付けて、彼も言った。

「俺も。……今も昔も、きみだけを愛してる」

それはとても真摯で、丁寧な声だった。
ふたりしてじっと見つめあって、また、微笑みあった。



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