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57.夏の日、出会い 【回想】

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「ねえ、ハンナ。お母様にね、ハーブを採ってこようと思うの」

十歳の夏の日。
私はメイドのハンナにそう言った。
ハンナは、お母様付きのメイドだ。
私の言葉にハンナは、驚いた顔をする。
そして、私と目線を合わせるためか、腰をかがめて、私を見た。

くるくるとカールしたハンナの髪は、いつ見ても可愛くて羨ましい。
私は生まれつき髪質が真っ直ぐなのか、癖を付けようとしても数時間後には戻ってしまうのだ。
ハンナは、前髪もくるくるしている。
お母様より少し年上のハンナは、瞳を弛めて私を見た。

「どうしてそう思われたのですか?」

「だって、お母様は体がお悪いじゃない?だから、私が元気になるハーブを採ってこようと思うの!お母様はレモングラスが好きなのでしょ?お部屋にたくさんあるわ!」

「奥様を想ってのことですね。そのお気持ちは素晴らしいのですが──」

ハンナの答えは、否、だった。
当然だ。
十歳の、公爵家のただひとりの娘が、ひとりで外出するなんて許されるはずがない。
だけど私は、毎日来る日も来る日も部屋にこもりっきりなお母様に、外の世界から持ってきたものを見せてあげたかった。
お母様の部屋にはたくさんのお花が飾られているし、レモングラスで造られた飾りだってある。
それでも、私が持ってきたかったのだ。
思い出話とともに。
外はこんなにきらきらしてるのよ、と伝えたい。
きっとお母様は、その話を嬉しそうに聞いてくれると思うから。

だけど、外出したいという私の言葉はすげなく却下された。
むくれた私に、ハンナが苦笑する。

「ほら、奥様のところに行きましょう。お嬢様を待っておられますよ」

「……お母様は、いつも元気がないの。楽しそうにしてるけど……咳をしていることが多いし、体だって細いわ。……お日様を見せてあげることは出来ないの?」

「それは……」

ハンナが困ったように口ごもる。
その時、後ろから声が聞こえてきた。

「シドローネ。それくらいにしなさい」

「お父様!」

振り返ると、そこにはお仕事から戻ってきたお父様がいた。黒の帽子キャロットを執事に預けている。
私が目を輝かせてお父様の元まで駆けると、お父様がため息を吐いた。

「お前はいつまで経っても淑女らしくならないな……」

「そう?でも私、ティーパーティーなんかではちゃんとしてるわ?先生ガヴァネスにも滅多に叱られないんだから」

お母様やお父様の前ではこうだけど、外ではちゃんとしているつもりだ。
公爵家の娘として、恥じない振る舞いを。
私の失態は、お母様やお父様の評判にも関わるのだから。
お母様が病気で本邸にいないから、私のマナーがなっていないのだと、言われたくはなかった。
私がむっとして反論すると、お父様はますます困った顔をした。

「そうじゃなくて。プライベートでも、淑女らしくしなさい」

「どうして?」

「それは将来、わかるはずだよ」

「…………」

ますます私はむっとした。
私はよほど、納得のいっていない顔をしていたのだろう。
眉を寄せていると、お父様が私の頭を撫でた。
優しい感覚に、片目を瞑る。

「お前はほんとうに……エリザベスにそっくりだな。性格も、髪も、顔も」

「お母様に?」

「彼女はお前ほど、お転婆ではなかったと思うけどね」

お父様はそう言いながらも、わたしの頭を撫でることをやめない。
こんなに撫で回されたら、せっかくハンナに髪を整えてもらったの乱れてしまう。
私はお父様の手を抑えた。

「もう、子供扱いしないで!私は立派な淑女レディなのよ」

「なら、もう少し落ち着きを持ちなさい。淑やかさも」

「むー……」

正論を返されて、反論できない。
でも素直には頷きにくくて、私は口をとがらせた。

大人しく、お淑やかに。
淑女らしくしなさい。
それがお父様の口癖だ。

でも、お母様は私が楽しそうに話すと、とても喜ぶから。
体の弱いお母様は、なかなか外に出ることが出来ない。
だから、私が別邸に来るまでの旅の話をすると、とても嬉しそうに、時には驚いて、私の話を聞いてくれるのだ。
そんなお母様を見ていると、もっと元気にさせたい、と思う気持ちが抑えられない。
お母様は明るく振舞っているけれど、生まれつき体が弱いのもあって、少し無理をするとすぐに熱を出してしまう。
熱を出した日は、お母様にあまり会えない。
お母様はその時、いつも申し訳なさそうな、悲しそうな、そんな顔をする。
そして、言うのだ。

『ごめんなさいね、シドローネ。せっかく来てくれたのに……。あなたと話せないなんて』

『大丈夫よ。それより、お母様はゆっくり休んで。次は、王都の流行りを教えるから!』

今朝交わした会話だ。
今朝も、お母様は熱を出した。
昨日私が長居して、疲れさせてしまったせいかもしれない。

「……お母様は、どうしたら体が良くなるの?」

気がついたら、私はお父様にそう尋ねていた。
私の言葉に、お父様は驚いた顔をした。
だけどすぐに、瞳を細めて微かに笑い──私の前に、膝をついた。

「いいかい。シドローネ。エリザベスは……彼女は、お前がそばにいてくれるのがいちばん、体のためになる」

「私、負担になってない?」

「どこでそんな言葉を……」

お父様は苦々しく言ったが、すぐに答えてくれた。

「そんなわけはないだろ。……私はあまり、彼女のそばにいれないからね。代わりにお前がいてくれて、助かってるよ」

「……うん」

ちいさく頷いた私を見て、またお父様が言う。

「大丈夫。エリザベスは良くなるよ」

「……本当?」

「ああ。お父様を信じなさい」

お父様の力強い言葉に、私は安心した。
お母様が今日、急に発熱したのは昨日、私がお母様と長く話して疲れさせてしまったからではないかとずっと考えていたからだ。
お父様の言葉に、ほっと息を吐く。
明日になったら、きっとお母様の体調は良くなる。
こんなにいい天気なのだ。
お母様の体も直ぐに──。

そう思っていた私の予想は、しかし呆気なく覆される。
お母様の体調はどんどん悪化していった。
朝は少し熱がある程度だったのに、お昼には高熱となり、話すことが出来ないほどだった。
お医者様が、疲れが関係しているのだろうと話しているのを、廊下の影で聞いてしまった。

(……私のせいだ)

お父様はああ言ったけど、やっぱり私のせいだったのだ。
そう思うと、いてもたってもいられなくて。
早くお母様に良くなって欲しくて。
私は早足で、来た道を戻った。
メイドや従僕が出入りする裏口に向かい、人の目が無くなったタイミングを見計らって別邸を飛び出す。

いつか、お母様が言っていた。

『いつか、私も外に出てみたいわ。リラントの夏の空はね、とっても青いの。……そうね、私の髪くらいには』

私が外に出て、外の話をしたらお母様は喜んでくれるかもしれない。
お母様の好きなレモングラスを摘んで持って帰れば、具合が良くなるかも。
そう思って、私は後先考えずに外に出たのだ。

そして──彼に、出会った。
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