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53.水遊び

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そして、完全に夜も深け、私と彼は眠りについた。
もっとも、私は【眠る】というより【気絶】と言った方が正しかったような気がする。

結婚式にパーティ、さらには初夜という人生でもっとも緊張する夜を過ごしたのだ。

もう私の気力体力は限界を超えて、体を清め、ふたたびベッドに横になると──途端、私の意識は落ちた。
目が覚めたら朝だったので、あれは気絶と言っていいと思う



また、リラントに来た。
ヴェリュアンは、長期の新婚休暇を取得していたようで、話を聞いた時は驚いた。
なんでも、聖竜騎士は仕事柄、あまり休みを取れないので新婚休暇くらいは長く取るものだという。
先輩騎士に勧められて、彼もまた長く休暇を取ったとのことだ。

『あの時はリラントにまた行くなんて考えてもなかったけど、長く取って良かった』

と、ヴェリュアンは笑って言った。



ふたたび訪れた私たちにお母様は驚いていたが、歓迎してくれた。
そして、おすすめの観光地をいくつもリストアップしてくれる。
長期休暇は長いのだ。
ヴェリュアンと行ってみようと思いながら、私はお母様からいただいた地図をアンナに預けた。

そして、今度は同じ部屋だ。
結婚したのだから、別室ではない。
結婚以来──彼とは同じ部屋で眠っているが、未だ慣れない。
彼が近くで寝ているのを見ると変わらず心臓は落ち着かないし、その距離に、香りに、頭がくらくらする。
結果、私は就寝前にリラックス効果のあるハーブティーを飲むようになった。それも、気休めに過ぎないが。

リラント滞在二日目。
私たちはまず、思い出の地を巡ることにした。
それで私の記憶が戻るかは分からないが──例え、戻らなかったとしても、私もまた知りたいと思ったのだ。

彼がまず連れて行ったのは、ダクス山の麓の湖だった。以前、ネトルを採ったところの、ちょうど裏手だ。
こんなところがあるなんて……と感動していると、彼が薄く笑った。

「昔も、シドローネはそういう顔したよ。俺が初めて案内した時」

「そうなの?やっぱり昔のことは思い出せないけど……でも、とても素敵だわ。夏なのに、ここは涼しいのね。湖も綺麗な色だわ。触れてもいいかしら?」

尋ねるとアンナは苦笑し、ヴェリュアンもまた、微笑んだ。

「今のきみはドレスでしょう?ドレスが濡れたら大変だ。触れるのは手だけにしてね」

まるで、ドレスをたくしあげて私が湖にでも入るのではないか──いや、入るかもしれないと思っているような声だった。
それを私は少し不満に思って彼に反論する。

「さすがにこの格好で足先を濡らそうなんて、しないわ。……でも、足を濡らすのはやってみたいかも。次来る時は薄手のワンピースにしましょう。ね、アンナ。それなら構わない?」

「…………構います」

溜息をつきながらアンナがやれやれと言った様子でいう。
やはりだめかしら……と思っていると、ヴェリュアンがアンナに言った。

「替えのワンピースを持ってきたらどうかな。このあたりは滅多にひとがこないし……シドローネが着替えている間は、俺や騎士たちが見張りをしていればいいんじゃない?どうかな、アンナ」

さらにヴェリュアンにまでそう提案され、さすがにアンナが眉を寄せる。
そしてやや葛藤しながら、彼女は言った。

「かしこまりました。他のものとも相談してみますね」

「本当?ありがとう。前向きにお願いね」

私が言うと、アンナがさらに困った顔をする。

公爵家の人間として、そして、既婚者として。
妻として。
湖に足をつける行為は許されないのだろうと思う。
それなのに、考えてみる、と言ってくれただけアンナは優しい。
そしてこれは──私の推測に過ぎないが、きっとアンナは許可を出してくれるような気がした。
こういう時、アンナは頭ごなしに否定しない。
私の求めを出来るかぎり叶えようとしてくれることを、私は既に知っている。

その後、私はヴェリュアンに誘われ湖のほとりを歩いた。澄んだ湖の空気は静かで、落ち着いている。
まるでここだけ別世界のようだ。

「ここで、俺たちはよく水遊びをしたんだ」

「水遊び……?水遊びって、どういうもの?」

言葉の意味を考えるも、上手く想像がつかない。
不思議に思って尋ねると、彼が笑った。
少し悪戯っぽい、悪い顔だった。

「それは今度、きみが湖に足を入れた時教えるよ」
「……今、教えてくれないの?」

「今は秘密。でもきっと、きみは気にいると思うよ」

彼がまた、柔らかく笑った。


その後、私は湖に手を差し入れて、その冷たさに驚いた。
目を丸くする私に、彼も私と同じように屈んで湖を見る。夏の湖は、色が濃い。

「どう?気に入った?」

「ええ!とても……!すごく、冷たいのね。ふふ、なんだか楽しい」

手を軽く動かすとぱしゃぱしゃと音がする。
そのまま、湖から手を抜いて自身の頬に押し当てると、その冷たさが気持ちよかった。

「ヴェリュアンのお家はこのあたりだったの?」

頬に押し当てながら彼に尋ねると、彼が瞳を細めて笑った。
それがあまりにも優しい顔だったから、思わずどきりとする。
彼はそっと私の手を取ると、その手の甲に口付けを落とした。
まるで、騎士の誓いのような。
初夜を過ごしてから、彼はよく私に触れるようになった。
それはごく僅かなスキンシップであったが、未だ私はそれに慣れることができない。
彼に触れられる度に、驚いて体が固まってしまう。
頬もじわじわと、熱が持つ。
そのまま顔を上げると、彼と視線がぱちり、ぶつかった。
そのまま、そっとまつ毛を伏せれば、やはり、くちびるが触れた。
触れるだけの、優しい口付けだ。
ここは外だし、ひとの目もある。
護衛騎士やアンナは少し離れた場所にいるとはいえ、さすがにこれは見られてしまっているだろう。
口付けが解かれて、思わず俯く。
彼が笑った気配がした。

「……きみは、昔もそうやって笑ってた。俺はきっと……その時から、こうしたかったんだと思う」

「……あなた、私と会った時……六歳だったのではないの?」

気恥しさにまつ毛を伏せながら、彼に答える。
今、彼を見ることは出来なかった。
私の言葉に、彼が静かに言った。

「あの時はよく分からなかった。……でも、今なら分かる。きっと俺は、こうしたかったんだよ」

ゆっくりと、彼が私の髪に触れる。
そのまま軽く撫でられて、彼の指先が頭をくすぐる。
それだけなのに、あの夜を知ってしまった私の体は、あっさりと期待してしまう。
自分が変わってしまったようで、いやらしくなってしまったようで、ますます恥ずかしい。

「……そろそろ行こうか?このままここにいると、これ以上のことがしたくなってしまうから」

ヴェリュアンが、手を引っ込めた。
そのまま立ち上がり、私に手を差し伸べる。
私はそれを見ながら、細く息を吐き出した。
燻った熱を逃がすように。

「……次はどこに行くの?」

彼の手を掴んで、私も立ち上がる。
湖に手を差し入れたばかりだと言うのに、私の手は既に熱を持っていた。
私が尋ねると、彼が微笑みを浮かべた。

「俺たちの出会いの場所」
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