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49.気持ちの伝え方はひとそれぞれ
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びっくりした。
彼は、こんな笑い方もするのか。
ハンカチを彼の頬に当てたまま固まる私の手に、彼が頬をすり寄せてくる。
まるで、犬が──飼い主に甘えてみせるように。
そう思って、彼を犬に例えるのは失礼だったかと思い直す。
しかし、もはやそうにしか見えない。
「……会いたかったんだ。ずっと……。会いたくて、会いたくて……。……不安だった。あの日の約束を覚えているのは、俺だけなんじゃないかって……。きみは、子供の戯言に付き合っただけで、本気でそう言ったわけではなかったんじゃないかと……そう思うと、いてもたってもいられなくなった。見つけた時、きみが既に結婚していたらどうしようと考えた時もあった。何度も、何度も、考えた。……だけど、答えは得られなかった。きみが結婚していて、他に想う男がいて、幸せそうに暮らしていたら……俺は、どうするんだろう、と」
「どう……していました?」
もし、そうであったなら。
私の問いに、彼はまつ毛を伏せた。
涙の飛沫が、煌めきのように弾けた。
「分からない。……でも俺は、きっと……」
「…………」
「きみの幸せを、願うと思う」
「……そう」
「俺は……きみの幸せを壊してまで、きみが欲しいんじゃない。きみが要らないというなら、俺はきっと諦める。……きみが本当に、幸せなのか、それを確かめたいとは思うかもしれないけど」
「……あなたは、どうしてそこまで……。私を想ってくれるのですか?私は過去の記憶を思い出せません。だから、あなたがなぜ私を好きでいてくれるのかも、分からないのです」
私の言葉に、彼が顔を上げた。
そしてまた、困ったように、眉を下げて笑った。
初めて会った時、彼がこんなに笑うひとだと思いもしなかった。
きっとあの時は、彼も隠していたのだろう。
本当のヴェリュアン・ヴィネハスはこんなにも優しくて──あたたかいひとだ。
「……大した話じゃない。……だけど、俺にとってきみは……。夏の、太陽のようなものだったから」
「太陽……」
「惹かれたことに対する理由は持たない。なぜ、好きになったかなんて、俺にも分からない。ただ、細かいひとつひとつの出来事が重なって、形になった。それだけなんだ」
彼が私の手を頬から離し──変わらず、私の手に触れたまま、言った。
「きみを……抱きしめてもいい?」
「──」
「今の……きみに触れたいんだ」
希うように、彼が私の髪に触れる。
髪の一房をすくい、何度も何度も、願うように撫でている。
それを見て私は──。
ぐ、っと足に力を込めて。
私から、彼を抱きしめた。
彼の背に手を回す。
彼は、男性にしては華奢に見えるが、やはり男性だ。
骨はしっかりとしていて、柔らかさがない。
肩幅も、私よりずっと広い。
抱きしめると、びっくりしたように彼の体が強ばった。
今までたくさん、彼の気持ちを教えてもらった。
たくさん、言葉をもらった。
今度は、私の番だと思ったから。
私も確かに──彼に、惹かれているのだろう。
だからこそ、こんなにも彼に──心を、動かされる。
私が知るヴェリュアンというひとは、なんてことないことにも気遣いを働かせるひとで、思いやりの心を持っているひとだ。
ネトルを教えてくれた時もそう。
馬車に乗る際、私を抱き上げた時もそう。
女性に慣れている社交界の男性なら、きっとキザな言葉を口にして、女性を口説いていたであろう場面。彼は、ただ私の足元を心配して、馬車に運んでくれただけだった。
彼の言葉には裏表がない。
意図を含んだ言葉を戯れにすることも、言葉遊びをする必要もない。
それは、社交界ではとても珍しいことだった。
言葉の裏を探る必要のないやり取りに、私はすぐに心地良さを感じたし、彼に心を許していたのだ。
気が休まることの無い社交界でも、彼とふたりで話している時だけは違った。
いつも屈託のない会話をかわし、穏やかな時を過ごした。
きっと、もうずっと前から、私は彼に対し気を許していたのだろう。
彼に愛を告白された夜。
すぐに否定せず、私は返答までの時間を設けた。
思えば、それが答えだったのだと思う。
その時点で、彼の気持ちを断る、という選択肢を選ばなかった以上──ここに行き着くのも、また必然だった。
私は彼の背に手を回したまま、彼の胸元に顔を埋めた。
ボタンが頬に触れて、少し冷たい。
「シドローネ……?」
「……ヴェリュアン、少し、屈んでもらえますか」
素直に気持ちを言葉にすることができない私は、彼にそうお願いした。
私の言葉に、ヴェリュアンが困惑したようだった。
だけど彼は、疑問に思いながらも私の言葉に従ってくれた。
腰を曲げ、屈んでくれる。
顔の距離が、近い。
至近距離で彼と視線がぶつかり、先に視線を逸らしたのは私だった。
「……これでいい?」
彼も、気恥しさを感じるようで、声がかすれている。
白い頬も、薄く朱に染っていた。
私はそんな横目で見てから──えい、とその白い襟元を両手でつかんだ。
驚いて目を見開く彼の群青の瞳を最後に見留めてから、私は目を瞑った。
そして、ぐいっと彼の襟元を引き寄せて、勢いに任せて。
くちびるを押し付けた。
「──」
少し、目標から外れ、彼の口端に私のくちびるは触れた。
だけど、もう一度やり直すことはさすがの私にもできない。
炎で炙られたかのように、顔が熱を持つ。
今の私は、きっと顔が真っ赤だ。
私は、彼の白い襟元から手を離した。
緊張のためか、手は強ばっている。
「……これが、私の気持ち。……うまく、言えないのだけど……」
ぎこちなく言葉を重ねながら、そっと彼を見る。
彼は、私以上に顔が真っ赤だった。
彼は、こんな笑い方もするのか。
ハンカチを彼の頬に当てたまま固まる私の手に、彼が頬をすり寄せてくる。
まるで、犬が──飼い主に甘えてみせるように。
そう思って、彼を犬に例えるのは失礼だったかと思い直す。
しかし、もはやそうにしか見えない。
「……会いたかったんだ。ずっと……。会いたくて、会いたくて……。……不安だった。あの日の約束を覚えているのは、俺だけなんじゃないかって……。きみは、子供の戯言に付き合っただけで、本気でそう言ったわけではなかったんじゃないかと……そう思うと、いてもたってもいられなくなった。見つけた時、きみが既に結婚していたらどうしようと考えた時もあった。何度も、何度も、考えた。……だけど、答えは得られなかった。きみが結婚していて、他に想う男がいて、幸せそうに暮らしていたら……俺は、どうするんだろう、と」
「どう……していました?」
もし、そうであったなら。
私の問いに、彼はまつ毛を伏せた。
涙の飛沫が、煌めきのように弾けた。
「分からない。……でも俺は、きっと……」
「…………」
「きみの幸せを、願うと思う」
「……そう」
「俺は……きみの幸せを壊してまで、きみが欲しいんじゃない。きみが要らないというなら、俺はきっと諦める。……きみが本当に、幸せなのか、それを確かめたいとは思うかもしれないけど」
「……あなたは、どうしてそこまで……。私を想ってくれるのですか?私は過去の記憶を思い出せません。だから、あなたがなぜ私を好きでいてくれるのかも、分からないのです」
私の言葉に、彼が顔を上げた。
そしてまた、困ったように、眉を下げて笑った。
初めて会った時、彼がこんなに笑うひとだと思いもしなかった。
きっとあの時は、彼も隠していたのだろう。
本当のヴェリュアン・ヴィネハスはこんなにも優しくて──あたたかいひとだ。
「……大した話じゃない。……だけど、俺にとってきみは……。夏の、太陽のようなものだったから」
「太陽……」
「惹かれたことに対する理由は持たない。なぜ、好きになったかなんて、俺にも分からない。ただ、細かいひとつひとつの出来事が重なって、形になった。それだけなんだ」
彼が私の手を頬から離し──変わらず、私の手に触れたまま、言った。
「きみを……抱きしめてもいい?」
「──」
「今の……きみに触れたいんだ」
希うように、彼が私の髪に触れる。
髪の一房をすくい、何度も何度も、願うように撫でている。
それを見て私は──。
ぐ、っと足に力を込めて。
私から、彼を抱きしめた。
彼の背に手を回す。
彼は、男性にしては華奢に見えるが、やはり男性だ。
骨はしっかりとしていて、柔らかさがない。
肩幅も、私よりずっと広い。
抱きしめると、びっくりしたように彼の体が強ばった。
今までたくさん、彼の気持ちを教えてもらった。
たくさん、言葉をもらった。
今度は、私の番だと思ったから。
私も確かに──彼に、惹かれているのだろう。
だからこそ、こんなにも彼に──心を、動かされる。
私が知るヴェリュアンというひとは、なんてことないことにも気遣いを働かせるひとで、思いやりの心を持っているひとだ。
ネトルを教えてくれた時もそう。
馬車に乗る際、私を抱き上げた時もそう。
女性に慣れている社交界の男性なら、きっとキザな言葉を口にして、女性を口説いていたであろう場面。彼は、ただ私の足元を心配して、馬車に運んでくれただけだった。
彼の言葉には裏表がない。
意図を含んだ言葉を戯れにすることも、言葉遊びをする必要もない。
それは、社交界ではとても珍しいことだった。
言葉の裏を探る必要のないやり取りに、私はすぐに心地良さを感じたし、彼に心を許していたのだ。
気が休まることの無い社交界でも、彼とふたりで話している時だけは違った。
いつも屈託のない会話をかわし、穏やかな時を過ごした。
きっと、もうずっと前から、私は彼に対し気を許していたのだろう。
彼に愛を告白された夜。
すぐに否定せず、私は返答までの時間を設けた。
思えば、それが答えだったのだと思う。
その時点で、彼の気持ちを断る、という選択肢を選ばなかった以上──ここに行き着くのも、また必然だった。
私は彼の背に手を回したまま、彼の胸元に顔を埋めた。
ボタンが頬に触れて、少し冷たい。
「シドローネ……?」
「……ヴェリュアン、少し、屈んでもらえますか」
素直に気持ちを言葉にすることができない私は、彼にそうお願いした。
私の言葉に、ヴェリュアンが困惑したようだった。
だけど彼は、疑問に思いながらも私の言葉に従ってくれた。
腰を曲げ、屈んでくれる。
顔の距離が、近い。
至近距離で彼と視線がぶつかり、先に視線を逸らしたのは私だった。
「……これでいい?」
彼も、気恥しさを感じるようで、声がかすれている。
白い頬も、薄く朱に染っていた。
私はそんな横目で見てから──えい、とその白い襟元を両手でつかんだ。
驚いて目を見開く彼の群青の瞳を最後に見留めてから、私は目を瞑った。
そして、ぐいっと彼の襟元を引き寄せて、勢いに任せて。
くちびるを押し付けた。
「──」
少し、目標から外れ、彼の口端に私のくちびるは触れた。
だけど、もう一度やり直すことはさすがの私にもできない。
炎で炙られたかのように、顔が熱を持つ。
今の私は、きっと顔が真っ赤だ。
私は、彼の白い襟元から手を離した。
緊張のためか、手は強ばっている。
「……これが、私の気持ち。……うまく、言えないのだけど……」
ぎこちなく言葉を重ねながら、そっと彼を見る。
彼は、私以上に顔が真っ赤だった。
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