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47.記憶はなくても覚えてる

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食事を終えて、彼が言った。

「きみもブランと話してみる?」

「……できるの!?」

思わず、大きな声が出る。
その声の大きさに彼は少し驚いた様子を見せたが、すぐにふわりと笑った。
彼の──その、優しい瞳には、まだ慣れない。

「直接は無理だけど、俺が翻訳するから」

「で、でもいいの?あの、ブラン……彼女は嫌じゃないかしら?突然、人間がやってきて会話するなんて……。聖竜はとても警戒心の強い生き物なのでしょ?人間嫌いと言われているとも聞いたわ」

正直、話してみたいかと聞かれたら答えは『もちろん!』話してみたいに決まっている。
だけど、聖竜はなにかと気難しいと聞くし、そもそも人間を嫌っている竜も多いという。
竜と人間の歴史は長く、人間が一方的に聖竜を迫害しようとした過去もあった。
それを理由に、今も尚、人間を威嚇する聖竜は少なくないらしいのだ。
私が躊躇いながら聞くと、ヴェリュアンが顔を上げる。
そして、ブランに尋ねた。

「だって。どうする?」

恐る恐る、私もブランを見る。
彼女は瞳を細めて、私をじっと見ていた。
そしてゆっくり、その口が開く。

「ひゃっ」

思わず、驚いて声が出る。
大きな口に、鋭い牙が生え揃っている。
ギザギザの白い牙の奥で赤い舌がちろりと動いたのが見えた。
今にも食べられてしまいそうで驚くと、ヴェリュアンが私に言う。

「良いって」

「え?で、でも今のは威嚇じゃ……」

「今のは笑ったんだよ。ほかの聖竜は知らないけど、彼女はこう。ブランは珍しく機嫌がいいみたいだ。奥の部屋から出てくることなんて、滅多にないんだよ」

今のが、微笑みなのか。
表情が一切変わらないから、というより竜に表情はないのかもしれないが。
微笑んだようには全然見えなかった。
しかし、長い付き合いの彼が言うならきっとそうなのだろう。
ブランは、概ね私に好意的?なようだ。

私は勇気をだしてそっと、彼女に一歩踏み出した。
私の一挙手一投足を見るように、ブランがその黄色い瞳をこちらに向ける。

私は、彼女の力強い──さながら、捕食者のような瞳を持つブランから目を離さずに、そっとドレスの裾を摘んだ。
緊張に指先は震えたが、慣れた仕草を間違うことは無かった。

「前回は、ご挨拶ができず、大変申し訳ありませんでした。私はシドローネ・シャロンと申します。シャロン公爵家の──」

「ヴヴ……」

ブランがちいさく唸る。
それに驚いていると、ヴェリュアンがすぐに彼女の言葉を翻訳する。

「堅苦しい、だそうだよ」

「え?で、でも」

聖竜相手なのだ。
礼儀は必要だし、不遜な態度は取れない。
私が狼狽えていると、さらにブランがヴオオ……と上を向いて吠えた。
狼の遠吠えのようだ。
その音も、やはりひとならざるものであって、彼女がなにか反応を示す度に私はまじまじと彼女を見てしまう。
ヴェリュアンが、また彼女の意志を教えてくれる。

「つまらない会話をするなら帰る……って言ってる。シドローネは、彼女になにを聞きたい?話してみたいこと、聞きたいこと、あるんじゃない?」

ブランの意外な反応に私は驚いたが、ヴェリュアンに尋ねられ我に返る。

(彼女に尋ねたいこと……。聖竜に……)

尋ねたいこと、聞きたいこと。
考えてみても突然のことに、考えがまとまらない。いつか聖竜と話すことが出来れば、と思っていたが、なにを話すか明確に決めていなかった。

私は半ば混乱しながら、何とか彼女の瞳を見つめた。
きっと今の私は、誰が見てもわかるほどに狼狽えていることだろう。

考えて、考えて──人生でいちばん、私は頭を使っているのではないだろうか。
考えすぎのせいか、妙に視界が回る。
足元がおぼつかない感覚だ。
混乱にも似た衝動に襲われながら、私はようやく、質問をひとつに定めた。
勢い余って、つっかえてしまったが。

「ひっ……ひとは、好き、ですか……!?」

後から思い返して、もっとほかにあっただろうと、私は深く反省した。
だが言い訳をさせてもらうなら──その時の私は、いっぱいいっぱいだったのだ。

憧れと呼ぶには恐れが勝る、畏怖という言葉だけでは示せないほどの敬愛。
親愛にも似た、原始的な愛着を感じるのは、きっと私がラスザランの人間だから。
ラスザランを守る竜は、神聖な生き物なのだと、教わって生きてきたから。

聖竜への様々な感情をずっと、持ちながら生きてきた。
その相手と──聖竜と話す機会に恵まれるなど、思ってもみなかった。
私にとって聖竜は、信じていた妖精に会うに近しいものだった。

私の質問に、ブランが沈黙する。
尾をゆらり、と揺らした。

妙な沈黙が落ちて、その時になって私は、ようやく自分がとんちんかんな質問をしたのでは、と思い当たった。
冷や汗がたらり、と背筋を流れた時。

ブランがちいさく、鳴いた。

「……嫌いじゃない、って」

短く答えたヴェリュアンに、私は心から安堵のため息を零したのだった。
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