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42.恋愛結婚

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次の日、私とヴェリュアンはお母様に挨拶をして、別邸を出立した。

お母様はベッドから起き上がることが難しいので、見送りには出られない。
そのため、部屋で挨拶をしたのだが──部屋を出る際。

「シドローネ、近くへ」

私だけ、呼び止められた。
なにか伝え忘れていたことがあるのかと近くによれば、お母様が声を潜めて私に言った。

「良かったわね、シドローネ」

「え……?」

「あなた昔、彼と結婚するって言っていたじゃない。あなたは公爵家の娘だし……平民の彼との結婚は難しいと思っていたのだけど……。まさかほんとうに実現させるなんて。素敵だわ。さすが、私の娘ね」

「……」

お母様の意外な言葉に、私は硬直した。

……結婚するって、言っていた?

……私、が?

『じゃなかったら、あんなことは言わない』

ヴェリュアンの言葉を思い出す。
【あんなこと】の意味が分からず困惑していたが──もしかして、私は今、その答えを知ったのではないだろうか。

昔の私は、お母様に彼と結婚すると公言していたのだ。
彼にも、それに似たことを言っていてもおかしくない。

頭を抱えたい気分だった。
昔の私は、私の思った以上に奔放なようだった。
自由気ままというか、自然体というか。

正直あまり、想像がつかない。
もしかして、棒を振り回して遊ぶような少女だったのだろうか。

公爵家の娘として、さすがにそれはないと思いたい。

私の沈黙をどう受けとったのか、お母様は首を傾げて私を見た。

「あら。……あなたも知っているでしょう?堅物で、なかなか靡かなかったお父様を、言いくるめ……頑張って説得して、ようやく、あのひとと結婚したの。ふふ、私の粘り強さの勝利ね。懐かしいわ。あなたも、やっぱり私の血を引いているのね。狙った獲物は逃がさない、その心は私譲りだわ」

「…………」

両親の馴れ初めを聞いたのは初めてだったが、恋愛結婚であったことに驚いた。
お父様は王家の出で、現国王陛下の実弟だ。
陛下が王位を継承される前は、ロザリアンの第二王子、という立場だった。
そしてお母様は、ロザリアンでも屈指の名家であるシャロン公爵家の長女。

公爵家と王族の結婚なので、てっきり政略結婚だろうと思っていたのだけど──お母様がお父様を好きになったことで結ばれた結婚だとは。
思いもしなかった。
恋愛結婚であったことに驚いたが、驚きが覚めるにつれ、私は違うことが気になった。

(……獲物?)

お母様は、今、獲物と言わなかっただろうか。
困惑した思いを抱えながら顔を上げると、お母様がにっこりと笑って言った。

「おめでとう。シドローネ。幸せに、なりなさいね。……安心なさい。結婚すれば、もう誰にも取られることはありませんから」

「…………」

もしかして、お母様のお父様への愛は、私が考えるよりもずっとずっと、重いのかもしれない。
両親の恋愛事情に思いを馳せて、私はなんだか酸っぱいものでも食べたような気持ちになった。



部屋を出ると、ヴェリュアンが壁に背を預けて立っていた。
私を見て、柔らかく微笑む。

それを見て、私はまた、落ち着かなくなる。

彼は、昨夜話をしてから──様子が変わったように見えた。
以前までは、見えない壁を作ってるように見えたのに、今はそれがない。

柔らかくなったと思う。
笑い方とか、話し方とか、私を見る、その瞳とか。
仕草も、声も、穏やかで、優しくて、妙に落ち着かない。

まるでひとが変わったよう……というのは、言い過ぎかもしれないけれど、それでも以前と比べれば確かな変化で。
私はなかなか慣れることができずにいた。

「お母君の話は何だった?」

「……結婚のお祝いをしてもらったわ」

「そっか。きみを幸せにできるよう、頑張るよ」

「…………」

てらいなく、そういう──いわゆる口説き文句のような言葉にされると、途端、私はどうしたらいいのかわからなくなる。
社交界で、美辞麗句を並び立てる紳士と話す機会はたくさんある。
その中には、あからさまに夜の誘いや、私を口説く言葉を口にするひとだっている。
今まで私は、それらに対し、ある程度、余裕をもって対処することができていた。

それなのに、今はそれができない。
なぜか、恥ずかしさが込み上げて、まともな言葉が思いつかなくなるのだ。

黙り込んでしまった私を気にすることなく、ヴェリュアンが窓辺に歩いていった。
不思議に思って私も彼の後に続く。
彼は、窓の外に視線を向けていた。

「……帰りは、リベルア邸宅じゃなくて、少し寄り道をして帰らない?」

ふと、彼が言った。

「寄り道、ですか?」

顔を上げる。
ヴェリュアンは未だ、窓の外を見ていた。
窓の外には、緑が生い茂り、美しい山並みが広がっていた。
遠くの方で、空が灰色に染まっている。
雨雲だろうか。
私が尋ねると、彼が口端を持ち上げ──いたずらっぽく笑った。

「リラント地方は、俺の故郷だから。従者、御者よりもこの土地に詳しい自信がある」

彼は言葉を区切ってから、また話を続けた。

「ここから北に行くと、少し大きな街があるんだ。リラントに住む人間ならみんな知ってる。せっかく、リラントに来たんだからさ。行きとは違う道で帰ろうよ。きみに、リラントの街並みを見てほしい」

彼がわずかに苦笑した。

「……すぐに昔のことを思い出すのは難しいと思う。それに、きみも言ったとおり思い出せない可能性だってある。でも、今、また新しい思い出を築くことはできるはずだ。……俺は、今のきみとまた、思い出を作りたい」

私たちは窓辺で話しているから、お母様の部屋を守る騎士たちには聞こえていないだろう。
メイドも下がって私たちを待っている。
だから、昨夜の延長線の話を、私たちだけしか知らない話をすることができる。

私は何と言葉を返すべきか、返答に迷った。

そして私は、なぜ彼の言葉に動揺してしまうのか。
その理由に気が付いた。

──彼の言葉は、あまりに真っ直ぐすぎるのだ。
真摯で、丁寧で、裏がない。

優しさと本心からそう言っているのだというが伝わってきて──だからこそ、私も、軽い気持ちで返事をしてはいけないと思う。
その場しのぎの誤魔化しの言葉ではなく、私もまた、本心を、言わなければならないと、そう、思う。

私は、言葉に悩んで視線を彷徨わせ──窓の外を見た。

窓の向こうに、抜けるような青空が見える。
雲ひとつない、晴れ渡った空色。
その空のすぐ下に、群生している木々が連なっている。森林と、青空のコントラストは目に冴える美しさで、私はそれに少し──勇気づけられた。
開放的で、爽やかで、さんさんと陽が降りしきる外を見ながら、私はそのまま気持ちを言葉にした。
素直に。取り繕うことなく。誤魔化すことなく。

「……ありがとう。嬉しいです。……あなたから見たリラントを、私にも教えてください」

短くなってしまったが、これが今の私に答えられる精一杯だった。

私が言うと、彼がまた笑った。
とても短く、端的な言葉になってしまったのに。
彼からもらったたくさんの言葉に比べたら、あまりに簡素なものなのに。
それなのに彼は、嬉しそうに、眩しそうに、笑うのだ。
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