上 下
38 / 66

38.探していた女性

しおりを挟む
それが、腹立たしい。
裏切られたように感じる。
彼だけは、ヴェリュアンだけは、無条件に信じても良い男性だと思ったのに。
異性愛はなくとも、夫婦の絆は、信頼は持てると、そう思っていたのに。
それすら、仮初のものだったのだろうか。

ヴェリュアンは言葉を探すように──私に言われっぱなしだったが、やがてちいさく息を吐いた。

「あなたの言うとおりです。俺は、あなたと過ごすうちに、自分でも気が付かない間に、あなたに惹かれていました。だけど俺は、それを自覚することを無意識に拒んでいたのです。それは、彼女への、裏切りになるから、と」

「…………」

「だけど、そこまで責められることでもないはずです。そもそも俺は、彼女と恋人ではない。それどころか、十年前に会ったきりなのですから」

「え……そう、なの」

初めて会った時の彼の言葉を思い出す。

『ただ、彼女──あるひとを探すために必死になっていたら、いつの間にか爵位を得ていただけの話』

それを聞いて、過去、恋人と離れ離れになったという経緯があったためにそう話しているのかと思った。
だけどまさか、恋人ですらなかったなんて。

それに、先程も聞いたが十年前とは結構な昔だ。
十年前といえば、ヴェリュアンは六歳。
彼は、六歳の時に会った女性を探しているのだろうか。それも、想いを伝えることなく別れることになった女性を?

それは何とも──いじらしいな、と思った。
そして、こうも思った。
十年前に会った女性のことを、彼は十年間探しているのだ。幼い初恋を、実らせるために。

「そうですか……」

私は、ちいさく呟いた。
十年。それはあまりにも長い。
彼が十年、その感情を抱いていたことの方が、よほど珍しい。
恋に愛に溢れている社交界で、その想いを抱いたままでいられるなんて。

「……ごめんなさい。さっき、私はとてもあなたを責めてしまったけど……私が言うことではありませんでした」

『私も、彼女も失いたくない』という彼の発言を聞いて、頭がカッとなった。
それはあまりにも都合がいいのではないか、と思って。

だけど彼も言ったとおり、私は彼を責める立場にはない。

たとえ、その彼女であったとしてもできないだろう。
なぜなら彼女とヴェリュアンは恋人という関係でもなければ、十年前に会ったきり、だというのだから。

誰も彼を責められない。
もし彼が責められるのだとしたら、彼以上に不義理を果たしている社交界の面々はみな処刑にされてしまうだろう。

それは分かっている。
理解している。
それでも、感情はうまく飲み下せない。
法的に問題は無いからと、誰も責めないからと、だからといって『あら、そうなのね』と受け入れることは、私にはできない。

「聞いてください。シドローネ。私は、シドローネという女性に惹かれました。でも確かに、彼女に、アリアドネに惹かれたのも、また事実です」

「アリアドネ……?」

急に私の真名が出てきたので、困惑する。

(あ……そういえば)

彼はやけに、アリアドネという名前を気にしていた。
社交界でその名を持つ女性は何人いるか、と尋ねられた時のことを思い出す。

『……知り合いにもその名を持つひとがいるので。少し気になっただけです』

あれはもしかして、彼の想い人のことを指していたのか。
今更ながら、答え合わせをしたような気持ちになった。
私が沈黙していると、彼が顔を上げた。
群青の瞳は、薄暗い部屋の中でいつもより暗く見える。
それでも、力強い光を宿して──彼が言った。

「公爵家の方々は、あなたに過去を……記憶を思い出させることを避けたがっている。ですが俺は……俺は、シドローネ。…………きみに、思い出して欲しい……」

ぽつり、呟くような声だった。

「思い、出して……?」

困惑した声が出る。
彼は、私の言葉に頷いて答えた。

「……十年前、俺が出会い、この十年間ずっと探していた【彼女】は──きみだよ、アリアドネ」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫が幼馴染と不倫しました

杉本凪咲
恋愛
幸せは長くは続かなかった。 私は夫の不倫を目撃して、彼の両親へと相談する。 返ってきたのは辛辣で残酷な言葉。 「見なかったことにしてくれないか?」

寵妃にすべてを奪われ下賜された先は毒薔薇の貴公子でしたが、何故か愛されてしまいました!

ユウ
恋愛
エリーゼは、王妃になる予定だった。 故郷を失い後ろ盾を失くし代わりに王妃として選ばれたのは後から妃候補となった侯爵令嬢だった。 聖女の資格を持ち国に貢献した暁に正妃となりエリーゼは側妃となったが夜の渡りもなく周りから冷遇される日々を送っていた。 日陰の日々を送る中、婚約者であり唯一の理解者にも忘れされる中。 長らく魔物の侵略を受けていた東の大陸を取り戻したことでとある騎士に妃を下賜することとなったのだが、選ばれたのはエリーゼだった。 下賜される相手は冷たく人をよせつけず、猛毒を持つ薔薇の貴公子と呼ばれる男だった。 用済みになったエリーゼは殺されるのかと思ったが… 「私は貴女以外に妻を持つ気はない」 愛されることはないと思っていたのに何故か甘い言葉に甘い笑顔を向けられてしまう。 その頃、すべてを手に入れた側妃から正妃となった聖女に不幸が訪れるのだった。

物語のようにはいかない

わらびもち
恋愛
 転生したら「お前を愛することはない」と夫に向かって言ってしまった『妻』だった。  そう、言われる方ではなく『言う』方。  しかも言ってしまってから一年は経過している。  そして案の定、夫婦関係はもうキンキンに冷え切っていた。  え? これ、どうやって関係を修復したらいいの?  いや、そもそも修復可能なの?   発言直後ならまだしも、一年も経っているのに今更仲直りとか無理じゃない?  せめて失言『前』に転生していればよかったのに!  自分が言われた側なら、初夜でこんな阿呆な事を言う相手と夫婦関係を続けるなど無理だ。諦めて夫に離婚を申し出たのだが、彼は婚姻継続を望んだ。  夫が望むならと婚姻継続を受け入れたレイチェル。これから少しずつでも仲を改善出来たらいいなと希望を持つのだが、現実はそう上手くいかなかった……。

双子の転生者は平和を目指す

弥刀咲 夕子
ファンタジー
婚約を破棄され処刑される悪役令嬢と王子に見初められ刺殺されるヒロインの二人とも知らない二人の秘密─── 三話で終わります

英雄と呼ばれた破壊者の創るこの世界で

こうしき
ファンタジー
【これは俺が、世界と彼女を救いたかった物語──】 * 神話を元に描かれたと言われる この世の破滅を題材にした世界的に有名な絵本 「せかいのおわり」 絵本の登場人物は 水、雷、地、風、火 を司り それを操る力を神より授けられた、五つの種族の英雄達。 人間達の身勝手な振る舞いに激昂した五人は その力で世界を滅ぼしてしまう。 英雄と呼ばれていた彼らは いつしか破壊者と呼ばれるようになった。 それから数千年後。 賢者である父に憧れる少年ネス・カートス。 彼の十六歳の誕生日に現れた一人の女性。 彼女はその絵本が実話で、 半年後に世界が終わると言う。 そしてネスが水の破壊者の子孫だと告げる。 世界の終わりを止めるために ネスは彼女と聖地「ブエノレスパ」へ向かう。 旅の途中、ネスは彼女が呪われた運命に 苦しんでいることを知る。 そんな彼女をいつしかネスは救いたいと 思うようになっていた。 呪われた腕、兄との確執、迫り来る奇怪な追手 仕組まれた出会いに、変貌を遂げる己の体 複雑に絡み合う人間模様 そして明らかになる彼女の正体── それに子作り?! 少しずつ狂い始めるネスの運命の行方は── ・・・・・・・ 人の心の弱さ、汚さを描いた大人向けバトルファンタジーです。 前半はのんびり進みますが、三章中盤からどろどろしてきます。 ・・・・・・・ 「華々の乱舞」の1話から、22年後の世界を書いています(キャラの性格が違ったりするのは、そのせいです) ※なろう、カクヨムにも掲載し、完結しておりますが、1話から順に改稿してこちらに掲載しております※

「脇役」令嬢は、「悪役令嬢」として、ヒロインざまぁからのハッピーエンドを目指します。

三歩ミチ
恋愛
「君との婚約は、破棄させてもらうよ」  突然の婚約破棄宣言に、憔悴の令嬢 小松原藤乃 は、気付けば学園の図書室にいた。そこで、「悪役令嬢モノ」小説に出会う。  自分が悪役令嬢なら、ヒロインは、特待生で容姿端麗な早苗。婚約者の心を奪った彼女に「ざまぁ」と言ってやりたいなんて、後ろ暗い欲望を、物語を読むことで紛らわしていた。  ところが、実はこの世界は、本当にゲームの世界らしくて……?  ゲームの「脇役」でしかない藤乃が、「悪役令嬢」になって、「ヒロインざまぁ」からのハッピーエンドを目指します。 *「小説家になろう」様にも投稿しています。

ヒロインが迫ってくるのですが俺は悪役令嬢が好きなので迷惑です!

さらさ
恋愛
俺は妹が大好きだった小説の世界に転生したようだ。しかも、主人公の相手の王子とか・・・俺はそんな位置いらねー! 何故なら、俺は婚約破棄される悪役令嬢の子が本命だから! あ、でも、俺が婚約破棄するんじゃん! 俺は絶対にしないよ! だから、小説の中での主人公ちゃん、ごめんなさい。俺はあなたを好きになれません。 っていう王子様が主人公の甘々勘違い恋愛モノです。

今さらなんだというのでしょう

キムラましゅろう
恋愛
王宮で文官として新たに働く事になったシングルマザーのウェンディ。 彼女は三年前に別れた男の子供を生み、母子二人で慎ましくも幸せに暮らしていた。 そのウェンディの前にかつての恋人、デニス=ベイカーが直属の上官として現れた。 そのデニスこそ、愛娘シュシュの遺伝子上の父親で……。 家の為に政略結婚している筈のデニスにだけはシュシュの存在を知られるわけにはいかないウェンディ。 しかし早々にシュシュの存在がバレて……? よくあるシークレットベイビーもののお話ですが、シリアスなロマンス小説とはほど遠い事をご承知おき下さいませ。 完全ご都合主義、ノーリアリティノークオリティのお話です。 誤字脱字も大変多い作品となります。菩薩の如き広いお心でお読みいただきますと嬉しゅうございます。 性行為の描写はありませんが、それを連想させるワードや、妊娠出産に纏わるワードやエピソードが出てきます。 地雷の方はご自衛ください。 小説家になろうさんでも投稿します。

処理中です...