上 下
33 / 66

33.初恋の相手は 【ヴェリュアン】

しおりを挟む
「ふふ、嬉しいわ。アリアドネと……シドローネと、またあなたに会えるなんて」

公爵夫人、エリザベスはそう言うと、上品に笑った。
口元に手を添えて、瞳を細めてヴェリュアンを見る。
彼はそんな彼女の近くに用意された椅子に腰掛けた。
ハンナは、静かに壁際に控えている。
公爵夫人に長年仕えているだけあって、所作に無駄なものがない。

今も、ふたりの会話が聞こえない位置で待機している。
もっとも、大きな声で話せば聞こえてしまうだろうが。
公爵夫人は、どこか懐かしむようにヴェリュアンを見ていた。

「……公爵夫人は、」

「あら、お義母様、と呼んでくださっていいのよ?ヴェリュアンさん」

「…………」

茶目っ気たっぷりに言う夫人は、肯定以外の返答を受け入れる様子はなかった。
それに石を飲んだように固まったヴェリュアンは、だけどやがて、ぎこちなくその名を呼んだ。

「お義母……様」

「ええ、ええ!とてもよろしいわ。ヴェリュアンさん。それで、何かしら。シドローネについて?あの、すっかり大人っぽくなったわね。あのひとから毎年肖像画をいただいてはいるのだけど、やっぱり話してみると全然印象が違うわ。ヴェリュアンさんも、そう思ったのではなくて?」

「シドローネのことですか?」

「そうよ。昔はお転婆で、無茶ばかりして……公爵家の娘だというのに、ワンピースを泥だらけにして帰ってきたこともあったの」

くすくす、と夫人は上品に笑う。
シドローネと同じ青色の髪が、ゆるくカーブを描いて揺れる。

「それは……今の姿からは想像もつきませんね」

「あら?ヴェリュアンさんは知っているはずよ。何なら、あの時のいちばんの犠牲者……じゃなくて、連れ回されていたのはあなたでしょう?アリアドネ……シドローネが、無茶を言ってあなたを困らせたみたいで、ごめんなさいね。ずっと思ってたのよ」

「は……?俺…………?」

夫人の言葉に、ヴェリュアンは固まった。
見事に、石のように硬直した。
夫人相手に「は?」とは無礼にも程があるが、それ以外の言葉が出てこない。
頭は真っ白だ。

(連れ回されていた……俺が?)

そのフレーズだけが、やけに頭に残った。

あの夏の日。
ヴェリュアンは、突然現れた青髪の少女に連れられて、様々なところに行った。
それは、大人に危ないから行くな、と言われていた滝だったり、迷いの森と言われている場所だったり。
彼女──アリアドネは、珍しいものが大好きで。
特に、花や草など、目にしたことがないものを見れば、必ずそこで立ち止まった。
動揺し、息を飲むヴェリュアンに気づかないまま、夫人がころころ笑う。

「アリアドネったら、将来はあなたと結婚するって言って……。子供の約束だと思っていたのだけど、まさか本当に叶えてしまうなんて。ふふ、素敵な話だわ。あの時のアリアドネはほんとうに……ほんとうに、楽しそうで──…………。ヴェリュアンさん?」

そこで、ようやく夫人はヴェリュアンの様子がおかしいことに気がついたのだろう。
首を傾げて彼を見る。
だけど、ヴェリュアンは答えられなかった。

『きっと、聖竜騎士と結婚するんだから!』

怒ったように言う彼女を見て、聖竜騎士というものになろうと思った。
当時は、聖竜騎士がどういうものなのか、彼にはよくわかっていなかった。

『髪には、魔力が宿ると言われているのよ。だから、あなたが本当に聖竜騎士を目指すと言うなら──これを』

彼が聖竜騎士を目指すと言うと、彼女は嬉しそうにはにかんで、それから、彼女がいつも身につけていたリボンを、彼に託してくれた。
それが、いつも彼が使っている青のリボンだ。

点と点が、繋がっていく。
いや、前から薄々、その可能性に気がついてはいた。
だけど、確信はまだないと、自らその可能性を否定していた。
なぜなら──もしそれが、ただの仮定に過ぎず。

ほんとうの【アリアドネ】が現れたとしたら。

どうすればいいか、分からなかったから。
過去の記憶だけを頼りに、それだけを大切に、慈しみ、それだけの想いで素直に彼女を抱きしめられる自信は、もうなかった。
きっと、どこかで引っかかる。
自分は、思い出だけを追い求めて──ただ、それに拘っているのではないか、と。

シドローネと接する度に、彼女の素の性格を知る度に。
知らず知らずのうちに。

自分でも気が付かないほどに──心を、傾け始めていた。
だけどそれは、アリアドネへの裏切りになると、彼は意図的に自覚することを避けた。

だけど、それは、きっと正しい行いではない。
もし、ほんとうにアリアドネが彼女でなく、ほかの人間が『私がアリアドネよ』と出てきて。
彼女と結ばれたとしても──それは、きっと、偽りで、自分の感情すら誤魔化した上で成り立つものだ。

そして、そんな歪な感情は、ハリボテの関係は、いずれ瓦解するのが相場と決まっている。

いつかくる【終わり】を意識しながら、その日を少しでも後にする努力をする毎日など、虚しすぎる。
アリアドネにも、シドローネにも失礼だ。

彼は、誤魔化していた感情を、自身の狡さを、姑息さを自覚した。

ヴェリュアンが動揺し、思いもしない事実に衝撃を受けていると。
夫人が、ヴェリュアンをじっと見つめた。

「……どうか、したの?」

それにようやく、ヴェリュアンは我に返る。
慌てて顔を上げて、そして何を言えばいいかわからず、言葉を飲み込む。

そんな彼を心配そうに見ていた夫人だが、やがて、訳知り顔で何度か頷いて見せた。

「そうよね。あなたたちは若いのだから、まだまだ悩むし、考えることもたくさんあるでしょう。たくさん悩んで、考えて、きっと、遠回りもして。無駄な時間だと、後から思うようなこともあるでしょう。でも、その無駄だった時間すら、きっと、そこに辿り着くために必要な道だと私は思うの。それが分かるには、とても、それこそ私くらいの年齢になってからだと思うけど……でも、急がないで。急いで出した答えには、きっと、本心でないものも混ざってしまうから」

夫人は、瞳を細めて、やけに優しい顔で言った。
ヴェリュアンは、戸惑った。
彼の両親は、もう亡くなっている。
それは流行病によるものだったが、両親が亡くなって以降、彼にこうして優しく諭してくれたひとは──女性は、今までいなかった。
夫人は、まるでヴェリュアンを自身の子のように慈愛のこもった瞳で見つめた。

「老婆心からとやかく言ってごめんなさいね。でも、これは、親の欲目かもしれないけど──アリアドネは、彼女は、誰かのために優しく出来る娘なの。あなたには、それだけ知っていて欲しい……というのは、やっぱり親の欲目かしらね」

くすくす笑う夫人に、ようやくヴェリュアンは金縛りが解けたように、息ができるようになった。
そして、ようやく思考も回り出す。
強ばって、絡まりあっていた糸が解けるように、言葉の整理がつく。

「……十年前の夏の日。俺……私と、同じ時を過ごしてくれたのは、彼女ですか?」

そうだ。
聞きたいのはずっと、それだった。
夫人の言葉に、頭が冴えた気持ちだった。
ヴェリュアンの真っ直ぐな視線を受け、夫人は静かに頷いた。

「ええ。……そうよ。あの頃はあの娘は、アリアドネ、と名乗っていたようだけど。偽名のつもりだと、言っていたわ。真名を名乗って偽名も何も無いでしょうにね」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

白い結婚三年目。つまり離縁できるまで、あと七日ですわ旦那様。

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
異世界に転生したフランカは公爵夫人として暮らしてきたが、前世から叶えたい夢があった。パティシエールになる。その夢を叶えようと夫である王国財務総括大臣ドミニクに相談するも答えはノー。夫婦らしい交流も、信頼もない中、三年の月日が近づき──フランカは賭に出る。白い結婚三年目で離縁できる条件を満たしていると迫り、夢を叶えられないのなら離縁すると宣言。そこから公爵家一同でフランカに考え直すように動き、ドミニクと話し合いの機会を得るのだがこの夫、山のように隠し事はあった。  無言で睨む夫だが、心の中は──。 【詰んだああああああああああ! もうチェックメイトじゃないか!? 情状酌量の余地はないと!? ああ、どうにかして侍女の準備を阻まなければ! いやそれでは根本的な解決にならない! だいたいなぜ後妻? そんな者はいないのに……。ど、どどどどどうしよう。いなくなるって聞いただけで悲しい。死にたい……うう】 4万文字ぐらいの中編になります。 ※小説なろう、エブリスタに記載してます

──いいえ。わたしがあなたとの婚約を破棄したいのは、あなたに愛する人がいるからではありません。

ふまさ
恋愛
 伯爵令息のパットは、婚約者であるオーレリアからの突然の別れ話に、困惑していた。 「確かにぼくには、きみの他に愛する人がいる。でもその人は平民で、ぼくはその人と結婚はできない。だから、きみと──こんな言い方は卑怯かもしれないが、きみの家にお金を援助することと引き換えに、きみはそれを受け入れたうえで、ぼくと婚約してくれたんじゃなかったのか?!」  正面に座るオーレリアは、膝のうえに置いたこぶしを強く握った。 「……あなたの言う通りです。元より貴族の結婚など、政略的なものの方が多い。そんな中、没落寸前の我がヴェッター伯爵家に援助してくれたうえ、あなたのような優しいお方が我が家に婿養子としてきてくれるなど、まるで夢のようなお話でした」 「──なら、どうして? ぼくがきみを一番に愛せないから? けれどきみは、それでもいいと言ってくれたよね?」  オーレリアは答えないどころか、顔すらあげてくれない。  けれどその場にいる、両家の親たちは、その理由を理解していた。  ──そう。  何もわかっていないのは、パットだけだった。

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

あなたの妻はもう辞めます

hana
恋愛
感情希薄な公爵令嬢レイは、同じ公爵家であるアーサーと結婚をした。しかしアーサーは男爵令嬢ロザーナを家に連れ込み、堂々と不倫をする。

【完結】記憶が戻ったら〜孤独な妻は英雄夫の変わらぬ溺愛に溶かされる〜

凛蓮月
恋愛
【完全完結しました。ご愛読頂きありがとうございます!】  公爵令嬢カトリーナ・オールディスは、王太子デーヴィドの婚約者であった。  だが、カトリーナを良く思っていなかったデーヴィドは真実の愛を見つけたと言って婚約破棄した上、カトリーナが最も嫌う醜悪伯爵──ディートリヒ・ランゲの元へ嫁げと命令した。  ディートリヒは『救国の英雄』として知られる王国騎士団副団長。だが、顔には数年前の戦で負った大きな傷があった為社交界では『醜悪伯爵』と侮蔑されていた。  嫌がったカトリーナは逃げる途中階段で足を踏み外し転げ落ちる。  ──目覚めたカトリーナは、一切の記憶を失っていた。  王太子命令による望まぬ婚姻ではあったが仲良くするカトリーナとディートリヒ。  カトリーナに想いを寄せていた彼にとってこの婚姻は一生に一度の奇跡だったのだ。 (記憶を取り戻したい) (どうかこのままで……)  だが、それも長くは続かず──。 【HOTランキング1位頂きました。ありがとうございます!】 ※このお話は、以前投稿したものを大幅に加筆修正したものです。 ※中編版、短編版はpixivに移動させています。 ※小説家になろう、ベリーズカフェでも掲載しています。 ※ 魔法等は出てきませんが、作者独自の異世界のお話です。現実世界とは異なります。(異世界語を翻訳しているような感覚です)

【完結】お荷物王女は婚約解消を願う

miniko
恋愛
王家の瞳と呼ばれる色を持たずに生まれて来た王女アンジェリーナは、一部の貴族から『お荷物王女』と蔑まれる存在だった。 それがエスカレートするのを危惧した国王は、アンジェリーナの後ろ楯を強くする為、彼女の従兄弟でもある筆頭公爵家次男との婚約を整える。 アンジェリーナは八歳年上の優しい婚約者が大好きだった。 今は妹扱いでも、自分が大人になれば年の差も気にならなくなり、少しづつ愛情が育つ事もあるだろうと思っていた。 だが、彼女はある日聞いてしまう。 「お役御免になる迄は、しっかりアンジーを守る」と言う彼の宣言を。 ───そうか、彼は私を守る為に、一時的に婚約者になってくれただけなのね。 それなら出来るだけ早く、彼を解放してあげなくちゃ・・・・・・。 そして二人は盛大にすれ違って行くのだった。 ※設定ユルユルですが、笑って許してくださると嬉しいです。 ※感想欄、ネタバレ配慮しておりません。ご了承ください。

【完結】もうやめましょう。あなたが愛しているのはその人です

堀 和三盆
恋愛
「それじゃあ、ちょっと番に会いに行ってくるから。ええと帰りは……7日後、かな…」  申し訳なさそうに眉を下げながら。  でも、どこかいそいそと浮足立った様子でそう言ってくる夫に対し、 「行ってらっしゃい、気を付けて。番さんによろしくね!」  別にどうってことがないような顔をして。そんな夫を元気に送り出すアナリーズ。  獣人であるアナリーズの夫――ジョイが魂の伴侶とも言える番に出会ってしまった以上、この先もアナリーズと夫婦関係を続けるためには、彼がある程度の時間を番の女性と共に過ごす必要があるのだ。 『別に性的な接触は必要ないし、獣人としての本能を抑えるために、番と二人で一定時間楽しく過ごすだけ』 『だから浮気とは違うし、この先も夫婦としてやっていくためにはどうしても必要なこと』  ――そんな説明を受けてからもうずいぶんと経つ。  だから夫のジョイは一カ月に一度、仕事ついでに番の女性と会うために出かけるのだ……妻であるアナリーズをこの家に残して。  夫であるジョイを愛しているから。  必ず自分の元へと帰ってきて欲しいから。  アナリーズはそれを受け入れて、今日も番の元へと向かう夫を送り出す。  顔には飛び切りの笑顔を張り付けて。  夫の背中を見送る度に、自分の内側がズタズタに引き裂かれていく痛みには気付かぬふりをして――――――。 

我慢するだけの日々はもう終わりにします

風見ゆうみ
恋愛
「レンウィル公爵も素敵だけれど、あなたの婚約者も素敵ね」伯爵の爵位を持つ父の後妻の連れ子であるロザンヌは、私、アリカ・ルージーの婚約者シーロンをうっとりとした目で見つめて言った――。 学園でのパーティーに出席した際、シーロンからパーティー会場の入口で「今日はロザンヌと出席するから、君は1人で中に入ってほしい」と言われた挙げ句、ロザンヌからは「あなたにはお似合いの相手を用意しておいた」と言われ、複数人の男子生徒にどこかへ連れ去られそうになってしまう。 そんな私を助けてくれたのは、ロザンヌが想いを寄せている相手、若き公爵ギルバート・レンウィルだった。 ※本編完結しましたが、番外編を更新中です。 ※史実とは関係なく、設定もゆるい、ご都合主義です。 ※独特の世界観です。 ※中世〜近世ヨーロッパ風で貴族制度はありますが、法律、武器、食べ物など、その他諸々は現代風です。話を進めるにあたり、都合の良い世界観となっています。 ※誤字脱字など見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。

処理中です...