上 下
30 / 66

30.記憶を、取り戻したいと思いますか?

しおりを挟む
「……どうかしましたか?」

彼の反応が心配になって尋ねると、彼はなにか言おうとして──口を閉ざした。
そして、短く首を横に振る。

「すみません。少し、物思いに」

「そうですか」

明らかに、何かありそうだ、とは思ったが彼が言わないことを選択したのなら、しつこく聞かない方がいいだろう。

私は社交界で記憶喪失を公言していない。

記憶が無いなど、社交界で言えるはずがないからだ。
記憶が無いということは、それは私の弱みに繋がる。

過去の記憶が無いのをいいことに、覚えのない濡れ衣を着せられても、記憶のない私は反論もできない。
様々な可能性を考慮した上で、シャロン公爵家は私の記憶喪失について公言しないと決めたのだ。

だけど、ヴェリュアンは、私の夫となるひとだし、何より私は彼を信じている。
だからこのことを伝えてもいいだろうと思った。

私は指先を顎に当てて、空を見上げた。
昨日とは打って変わって快晴だ。
だけど、山は天気が崩れやすい。
またいつ雨が降ってくるか分からない。
早いうちに移動した方が良さそうだ。
そう思い、私が腰をあげようとした時だった。

「シドローネは……記憶を、取り戻したいと思いますか?」

「え?」

浮かした腰を、また下ろす。
木の切り株に腰掛けた私を見て、ヴェリュアンが難しい──やけに、真剣な顔付きで私を見た。

「十年前、どうして記憶を無くすに至ったのか、あなたは知っているのですか?」

「それは……」

ざっくりとだが、もちろん経緯は知っている。
そう伝えると、ヴェリュアンはさらに尋ねてきた。
難しい顔のまま。

「あなたが怪我をした時、どういう状況だったのです?公爵家の一人娘が危ない目に遭うとは、簡単には考えられません」

「そう、ね……。幼い頃の私はとてもお転婆で、よくひとりで遊びに出かけていたようだから……。そこで、事件に巻き込まれたようなの」

「事件?」

「事件といっても、よくある話よ。物盗りに襲われて、そこで頭を打ったと聞いているわ」 

「物盗り……」

父から聞かされた話を思い出す。
私は覚えていないので、どこか他人事のように感じてしまう。
ヴェリュアンは私の話を聞いて、なにか思うことがあるのかまた黙り込んでしまった。

幼い頃、何度となく記憶を取り戻そうと試みたことがあった。
だけど、思い出そうとすれば頭が痛み、さらには発熱してしまったことをきっかけに、父を始めとした、お医者様までもが記憶を取り戻すのは諦めるように言った。
無理に思い出そうとするものでは無い、と。
私も、記憶を探ろうとすれば頭痛がするので、お父様の言葉に頷いて答えた。

思い出すことを拒絶するような記憶なら、きっと思い出さない方がいいのだろうと。
そう思って。




そのまま馬車を走らせれば、シャロン家有する別邸はすぐだ。

シャロン公爵家の別邸は、海に面する白亜の城だった。
白と青のコントラストが美しい、ロココ調の宮殿。
シャロン公爵家が所有する別邸の中でも、特に金をかけて造られたのだろう。
優雅な佇まいは、他国の城を彷彿とさせる気品があり、女主人の住まう城にぴったりだ。
しかし、シャロン公爵家本邸と変わらない大きさだ。
そのことに驚いて瞬いていれば、いつの間にか馬車は停車していた。

馬車が止まると、それを確認した年嵩のメイドがすぐに歩み寄ってくる。

馬車の扉が開かれ、まずヴェリュアンが降りる。
続いて私も、ヴェリュアンの手を借りて下車した。

メイドは、ハンナと名乗った。
アンナの母なのだそうだ。
驚く私に、アンナが苦笑する。

「私の一族は、代々シャロン家に仕えているのです」

私は覚えていなかったが、ハンナは私の乳母であったらしい。
ハンナは私を見て、泣きそうな顔をした。
顔をくしゃくしゃにする彼女を見ると、なんだか胸がざわざわする。
覚えていないけれど、十年前の私はきっと彼女にたくさん、お世話になったのだろう。

部屋に案内され、まず食事を摂ることになった。
街が近いこともあり、晩餐のメニューは王都で見るのとあまり変わらない。

トマトの風味が食欲を誘うトマトスープパスタは、バターとハーブの味が効いている。
山羊のチーズカプレーゼはトマト、パプリカがバジルソースと和えられていて、酸味が口に馴染む。
鶏肉のスープはシナモンで味付けをされているようで変わった味わいだったが、美味しくいただいた。
ステーキは味も質も上質で、口に入れると溶けてしまうほどに柔らかい。とろりととろける肉質と、バルサミコ酢ソースが絡み合い、ワインと相性がいい。
あまりの美味しさに、思わず頬が緩んでいたのかもしれない。
私を見て、ハンナが柔らかく微笑んだ。

「お口にあったようで何よりです。食事を終えたら、奥様にお会いください。お嬢様にお会い出来るのを、首を長くして待っていらっしゃいますから」

「ええ。そうするわ」

ナプキンで口元を拭い、頷いて答える。
母は、食事に同席しなかった。
体の弱い彼女は、私たちとは別の食事を摂るらしい。
確かに晩餐はとても美味しいけれど、体が弱っているひとには、重たいメニューだ。
私はステーキを切り分けるとまた、一口、口に運んだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫が幼馴染と不倫しました

杉本凪咲
恋愛
幸せは長くは続かなかった。 私は夫の不倫を目撃して、彼の両親へと相談する。 返ってきたのは辛辣で残酷な言葉。 「見なかったことにしてくれないか?」

寵妃にすべてを奪われ下賜された先は毒薔薇の貴公子でしたが、何故か愛されてしまいました!

ユウ
恋愛
エリーゼは、王妃になる予定だった。 故郷を失い後ろ盾を失くし代わりに王妃として選ばれたのは後から妃候補となった侯爵令嬢だった。 聖女の資格を持ち国に貢献した暁に正妃となりエリーゼは側妃となったが夜の渡りもなく周りから冷遇される日々を送っていた。 日陰の日々を送る中、婚約者であり唯一の理解者にも忘れされる中。 長らく魔物の侵略を受けていた東の大陸を取り戻したことでとある騎士に妃を下賜することとなったのだが、選ばれたのはエリーゼだった。 下賜される相手は冷たく人をよせつけず、猛毒を持つ薔薇の貴公子と呼ばれる男だった。 用済みになったエリーゼは殺されるのかと思ったが… 「私は貴女以外に妻を持つ気はない」 愛されることはないと思っていたのに何故か甘い言葉に甘い笑顔を向けられてしまう。 その頃、すべてを手に入れた側妃から正妃となった聖女に不幸が訪れるのだった。

物語のようにはいかない

わらびもち
恋愛
 転生したら「お前を愛することはない」と夫に向かって言ってしまった『妻』だった。  そう、言われる方ではなく『言う』方。  しかも言ってしまってから一年は経過している。  そして案の定、夫婦関係はもうキンキンに冷え切っていた。  え? これ、どうやって関係を修復したらいいの?  いや、そもそも修復可能なの?   発言直後ならまだしも、一年も経っているのに今更仲直りとか無理じゃない?  せめて失言『前』に転生していればよかったのに!  自分が言われた側なら、初夜でこんな阿呆な事を言う相手と夫婦関係を続けるなど無理だ。諦めて夫に離婚を申し出たのだが、彼は婚姻継続を望んだ。  夫が望むならと婚姻継続を受け入れたレイチェル。これから少しずつでも仲を改善出来たらいいなと希望を持つのだが、現実はそう上手くいかなかった……。

双子の転生者は平和を目指す

弥刀咲 夕子
ファンタジー
婚約を破棄され処刑される悪役令嬢と王子に見初められ刺殺されるヒロインの二人とも知らない二人の秘密─── 三話で終わります

英雄と呼ばれた破壊者の創るこの世界で

こうしき
ファンタジー
【これは俺が、世界と彼女を救いたかった物語──】 * 神話を元に描かれたと言われる この世の破滅を題材にした世界的に有名な絵本 「せかいのおわり」 絵本の登場人物は 水、雷、地、風、火 を司り それを操る力を神より授けられた、五つの種族の英雄達。 人間達の身勝手な振る舞いに激昂した五人は その力で世界を滅ぼしてしまう。 英雄と呼ばれていた彼らは いつしか破壊者と呼ばれるようになった。 それから数千年後。 賢者である父に憧れる少年ネス・カートス。 彼の十六歳の誕生日に現れた一人の女性。 彼女はその絵本が実話で、 半年後に世界が終わると言う。 そしてネスが水の破壊者の子孫だと告げる。 世界の終わりを止めるために ネスは彼女と聖地「ブエノレスパ」へ向かう。 旅の途中、ネスは彼女が呪われた運命に 苦しんでいることを知る。 そんな彼女をいつしかネスは救いたいと 思うようになっていた。 呪われた腕、兄との確執、迫り来る奇怪な追手 仕組まれた出会いに、変貌を遂げる己の体 複雑に絡み合う人間模様 そして明らかになる彼女の正体── それに子作り?! 少しずつ狂い始めるネスの運命の行方は── ・・・・・・・ 人の心の弱さ、汚さを描いた大人向けバトルファンタジーです。 前半はのんびり進みますが、三章中盤からどろどろしてきます。 ・・・・・・・ 「華々の乱舞」の1話から、22年後の世界を書いています(キャラの性格が違ったりするのは、そのせいです) ※なろう、カクヨムにも掲載し、完結しておりますが、1話から順に改稿してこちらに掲載しております※

「脇役」令嬢は、「悪役令嬢」として、ヒロインざまぁからのハッピーエンドを目指します。

三歩ミチ
恋愛
「君との婚約は、破棄させてもらうよ」  突然の婚約破棄宣言に、憔悴の令嬢 小松原藤乃 は、気付けば学園の図書室にいた。そこで、「悪役令嬢モノ」小説に出会う。  自分が悪役令嬢なら、ヒロインは、特待生で容姿端麗な早苗。婚約者の心を奪った彼女に「ざまぁ」と言ってやりたいなんて、後ろ暗い欲望を、物語を読むことで紛らわしていた。  ところが、実はこの世界は、本当にゲームの世界らしくて……?  ゲームの「脇役」でしかない藤乃が、「悪役令嬢」になって、「ヒロインざまぁ」からのハッピーエンドを目指します。 *「小説家になろう」様にも投稿しています。

ヒロインが迫ってくるのですが俺は悪役令嬢が好きなので迷惑です!

さらさ
恋愛
俺は妹が大好きだった小説の世界に転生したようだ。しかも、主人公の相手の王子とか・・・俺はそんな位置いらねー! 何故なら、俺は婚約破棄される悪役令嬢の子が本命だから! あ、でも、俺が婚約破棄するんじゃん! 俺は絶対にしないよ! だから、小説の中での主人公ちゃん、ごめんなさい。俺はあなたを好きになれません。 っていう王子様が主人公の甘々勘違い恋愛モノです。

今さらなんだというのでしょう

キムラましゅろう
恋愛
王宮で文官として新たに働く事になったシングルマザーのウェンディ。 彼女は三年前に別れた男の子供を生み、母子二人で慎ましくも幸せに暮らしていた。 そのウェンディの前にかつての恋人、デニス=ベイカーが直属の上官として現れた。 そのデニスこそ、愛娘シュシュの遺伝子上の父親で……。 家の為に政略結婚している筈のデニスにだけはシュシュの存在を知られるわけにはいかないウェンディ。 しかし早々にシュシュの存在がバレて……? よくあるシークレットベイビーもののお話ですが、シリアスなロマンス小説とはほど遠い事をご承知おき下さいませ。 完全ご都合主義、ノーリアリティノークオリティのお話です。 誤字脱字も大変多い作品となります。菩薩の如き広いお心でお読みいただきますと嬉しゅうございます。 性行為の描写はありませんが、それを連想させるワードや、妊娠出産に纏わるワードやエピソードが出てきます。 地雷の方はご自衛ください。 小説家になろうさんでも投稿します。

処理中です...