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30.記憶を、取り戻したいと思いますか?

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「……どうかしましたか?」

彼の反応が心配になって尋ねると、彼はなにか言おうとして──口を閉ざした。
そして、短く首を横に振る。

「すみません。少し、物思いに」

「そうですか」

明らかに、何かありそうだ、とは思ったが彼が言わないことを選択したのなら、しつこく聞かない方がいいだろう。

私は社交界で記憶喪失を公言していない。

記憶が無いなど、社交界で言えるはずがないからだ。
記憶が無いということは、それは私の弱みに繋がる。

過去の記憶が無いのをいいことに、覚えのない濡れ衣を着せられても、記憶のない私は反論もできない。
様々な可能性を考慮した上で、シャロン公爵家は私の記憶喪失について公言しないと決めたのだ。

だけど、ヴェリュアンは、私の夫となるひとだし、何より私は彼を信じている。
だからこのことを伝えてもいいだろうと思った。

私は指先を顎に当てて、空を見上げた。
昨日とは打って変わって快晴だ。
だけど、山は天気が崩れやすい。
またいつ雨が降ってくるか分からない。
早いうちに移動した方が良さそうだ。
そう思い、私が腰をあげようとした時だった。

「シドローネは……記憶を、取り戻したいと思いますか?」

「え?」

浮かした腰を、また下ろす。
木の切り株に腰掛けた私を見て、ヴェリュアンが難しい──やけに、真剣な顔付きで私を見た。

「十年前、どうして記憶を無くすに至ったのか、あなたは知っているのですか?」

「それは……」

ざっくりとだが、もちろん経緯は知っている。
そう伝えると、ヴェリュアンはさらに尋ねてきた。
難しい顔のまま。

「あなたが怪我をした時、どういう状況だったのです?公爵家の一人娘が危ない目に遭うとは、簡単には考えられません」

「そう、ね……。幼い頃の私はとてもお転婆で、よくひとりで遊びに出かけていたようだから……。そこで、事件に巻き込まれたようなの」

「事件?」

「事件といっても、よくある話よ。物盗りに襲われて、そこで頭を打ったと聞いているわ」 

「物盗り……」

父から聞かされた話を思い出す。
私は覚えていないので、どこか他人事のように感じてしまう。
ヴェリュアンは私の話を聞いて、なにか思うことがあるのかまた黙り込んでしまった。

幼い頃、何度となく記憶を取り戻そうと試みたことがあった。
だけど、思い出そうとすれば頭が痛み、さらには発熱してしまったことをきっかけに、父を始めとした、お医者様までもが記憶を取り戻すのは諦めるように言った。
無理に思い出そうとするものでは無い、と。
私も、記憶を探ろうとすれば頭痛がするので、お父様の言葉に頷いて答えた。

思い出すことを拒絶するような記憶なら、きっと思い出さない方がいいのだろうと。
そう思って。




そのまま馬車を走らせれば、シャロン家有する別邸はすぐだ。

シャロン公爵家の別邸は、海に面する白亜の城だった。
白と青のコントラストが美しい、ロココ調の宮殿。
シャロン公爵家が所有する別邸の中でも、特に金をかけて造られたのだろう。
優雅な佇まいは、他国の城を彷彿とさせる気品があり、女主人の住まう城にぴったりだ。
しかし、シャロン公爵家本邸と変わらない大きさだ。
そのことに驚いて瞬いていれば、いつの間にか馬車は停車していた。

馬車が止まると、それを確認した年嵩のメイドがすぐに歩み寄ってくる。

馬車の扉が開かれ、まずヴェリュアンが降りる。
続いて私も、ヴェリュアンの手を借りて下車した。

メイドは、ハンナと名乗った。
アンナの母なのだそうだ。
驚く私に、アンナが苦笑する。

「私の一族は、代々シャロン家に仕えているのです」

私は覚えていなかったが、ハンナは私の乳母であったらしい。
ハンナは私を見て、泣きそうな顔をした。
顔をくしゃくしゃにする彼女を見ると、なんだか胸がざわざわする。
覚えていないけれど、十年前の私はきっと彼女にたくさん、お世話になったのだろう。

部屋に案内され、まず食事を摂ることになった。
街が近いこともあり、晩餐のメニューは王都で見るのとあまり変わらない。

トマトの風味が食欲を誘うトマトスープパスタは、バターとハーブの味が効いている。
山羊のチーズカプレーゼはトマト、パプリカがバジルソースと和えられていて、酸味が口に馴染む。
鶏肉のスープはシナモンで味付けをされているようで変わった味わいだったが、美味しくいただいた。
ステーキは味も質も上質で、口に入れると溶けてしまうほどに柔らかい。とろりととろける肉質と、バルサミコ酢ソースが絡み合い、ワインと相性がいい。
あまりの美味しさに、思わず頬が緩んでいたのかもしれない。
私を見て、ハンナが柔らかく微笑んだ。

「お口にあったようで何よりです。食事を終えたら、奥様にお会いください。お嬢様にお会い出来るのを、首を長くして待っていらっしゃいますから」

「ええ。そうするわ」

ナプキンで口元を拭い、頷いて答える。
母は、食事に同席しなかった。
体の弱い彼女は、私たちとは別の食事を摂るらしい。
確かに晩餐はとても美味しいけれど、体が弱っているひとには、重たいメニューだ。
私はステーキを切り分けるとまた、一口、口に運んだ。
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