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25.それはどういう感情?

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顔を上げると、ヴェリュアンも私を見ていた。
視線がぱちり、と交わる。
彼の群青の瞳を見ながら、私は彼に尋ねた。

「ヴェリュアンは、俺、と言うのですね」

「え?あ……。…………すみません。不快でしたか」

私に言われて、初めて気がついたように彼は気まずげにまつ毛を伏せた。
私は首を横に振って答えた。

「まさか。嫌なはずがありません」

彼はずっと、自分のことを【私】と呼んでいた。
それが【聖竜騎士】として弁えた──その身分からくるものであるなら、それを取り払った今、彼はただ、ヴェリュアン・ヴィネハスとして話していることになる。
つまり、彼は私に素の表情を見せてくれているのだ。

それが、嬉しい。
互いの距離感が縮まったように感じる。
何も知らない、他人の彼がほんの少し、近づいたように感じるのだ。
私はくすぐったくなって笑った。

「ですが、嬉しいです」

私が言うと、彼は気恥しそうに視線を逸らしながら、言いにくそうに言った。

「そう、ですか……」

「デボラの件は、分かりました。それで、ヴェリュアン。あなたの部屋が、使えないこととどういう関係が?……あっ。言いたくないことなら、いいのです。ただ気になって」

「大した話ではありません。ただ、彼女が乗っ……。侵入してきた部屋では、眠れません。また、誰か忍んでくるのでは、と考えると寝付けそうにもない。であれば、婚約者のあなたと眠るのがいちばんです。俺たちはまだ結婚していませんから、世間体は良くないでしょう。でも、倫理は外れていない」

「なるほど……。安眠のため、ということですね。分かりました」

私は頷いて答えた。
ちょうど、厨房は目と鼻の先だ。
天候はこの調子だし、明日の出立は難しいだろう。
そうであるのなら、明日は旅の疲れを癒す休息日にしたい。

だけど、肝心の環境──眠れない、という理由が疲労回復の妨げになっては意味が無い。

私の部屋でなら眠れる、ということなら反対する必要もなかった。
確かに世間体は良くないかもしれないが、それもリベルア邸に勤める人間がよそに漏らさなければ分からない話だ。
リベルア家は長年、シャロン家に仕えている家柄であるし、早々この話が外部に漏れるとも思えない。

そう考え頷いていると、なにやら視線を感じるので。

「……?なにか?」

今度は、私が尋ねる番だった。
私の言葉に、彼が短く答える。

「いいえ」

端的に言ってから、あまりにも短すぎると彼も思ったのだろう。
やけに言いにくそうにしながら──ぎこちなく、言葉を紡いでいく。

「……ずいぶん、信頼されているのだな、と思いまして」

「それは……」

婚約者としてなら、もちろん信じている。
最初は打算から始まったこの関係も、だけど彼を知る度に、彼は悪いひとではないのだと知るようになった。
彼は悪いひとではない。

むしろ──誰かを傷つけることに躊躇いを覚える類のひとなのだろう。
だからこそ、彼は他者に必要以上に踏み込まれることを嫌う。
親しくなれば、拒否することが難しくなるから。
だからその前に、棘を纏い、近づかせないようにする。

だけど、その内に入れてしまえば──彼は、ただの、優しい青年に過ぎなかった。
そこには、女性たちからの憧れを一身に受けるキザな聖竜騎士もいなければ、平民から成り上がったと恐れられる男もいなかった。

聖竜騎士という肩書きがもたらす色眼鏡を外し、見てみれば。

ヴェリュアン・ヴィネハスという男は、ただ優しく、気のいい、親切な青年に過ぎなかった。

私がそう思っていると、ヴェリュアンがテーブルに燭台を置いた。
厨房には、やはり誰もいなかった。
みな、寝ているのだ。

「失礼。喜んでいいものなのか、すこし、分からなくて」

「……喜ぶところなのでは?」

信用していると言われて、なにか引っかかるところでもあるのだろうか。
そう思って尋ねると、ますますヴェリュアンは顔を顰めた。

「ヴェリュアン?」

「何でもありません。檸檬水がありますね。シドローネもこれで構いませんか」

「それはいいですけど……。あ、私がやるわ」

そもそも喉が渇いて厨房に行こうとしたのは私だ。
そこまでさせてしまうのは申し訳なくて、手を伸ばすが、サッと避けられる。
そのままヴェリュアンは、グラスに檸檬水を注ぐと、私に手渡した。

「やると言ったのに……」

「雑務は俺がします。あなたはそのままで」

「…………」

納得のいかない思いで、グラスの縁に口をつける。
少し傾ければ温い檸檬水が舌に触れ、喉の乾きを癒していく。
ごくごくと、私ははしたなくない程度に檸檬水を飲んだ。
思った以上に喉が渇いていたらしい。
半分ほどグラスの中身を減らしたところで、くちびるから離す。
檸檬の酸味が、爽やかな後味を残した。

「ありがとう。何だか、あなたには色々としてもらってばっかりです」

「そうですか?」

「そうです。あなたはしっかりしてますね。十六だというのに」

「……どういう意味なのかは分かりませんが。私も、時々忘れます。あなたが二十歳の令嬢だということを」

その言葉に、彼に失望の思いを抱かせてしまったことを知る。
私はグラスを両手に持ちながら、ため息を吐いた。

「ごめんなさい。あまり、年相応ではないでしょう?周りの友人たちはもっと落ち着きがあるのだけど……私はなかなか子供っぽいところが直らなくて。見た目に反している、とはよく言われます」

「悪い意味ではありません。ただ、本当に──。そうだな、年齢のことを忘れてしまいそうなくらい、シドローネは」

そこで、不自然にヴェリュアンが言葉を切る。
その先が気になって顔を上げると、彼が固まっていた。
その視線の先に何かあるのかと思い、視線を辿るが、何も無い。
あったらあったでびっくりだけど。

であれば、どうしたというのだろう。
私は彼を見て、彼の名を呼んだ。

「ヴェリュアン?」

「──あ、いや、いえ」

「どうかしましたか?それともやはり、歳の割に幼い私にがっかりしました?」

気も強く、言いたいことをそのまま口にしてしまう私は、まだまだ未熟者だ。
そもそも、あんなめちゃくちゃな契約結婚を彼に提示したくらいだから、大人、とは言えないのだろうけど。
大人とは、苦も楽も、何食わぬ顔で飲み干し、感情を他人に悟らせないものだ。
それを思えば、私はまだまだ。

「…………。可愛い、と思います」

「へっ?」

突然、彼がそんなことを言い出すものだから。
私はびっくりしてヴェリュアンを見た。
彼は、伏し目がちに──淡々と言葉を続けた。

「あなたと同世代のほかのご令嬢、というものがどういう方たちなのかは分かりませんが。俺は、可愛いと思います。あなたを」
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