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10.それは蜃気楼のような 【ヴェリュアン】

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彼女とシドローネは、全く似ていない。
まず、彼女はよく笑い、夏の妖精のような朗らかさがあった。
彼女は明るい女の子だったのだ。

年齢は、ヴェリュアンとそう変わらなかったと思う。
歳が離れていたとしても、せいぜい数個程度だろう。

彼女はある日、突然現れた。
今思うとそれは、夏の日差しが見せた蜃気楼か、あるいはいたずら好きな妖精だったようにも思えた。

いやそれでも──。
彼女は確かに、存在したのだ。
あれは、幻ではない。

『好きなタイプ?』

ヴェリュアンに尋ねられた彼女は、口元に指先を押し当てて考える素振りを見せた。
しかしすぐにパッと、花開くような笑顔を見せ、答えた。

『考えたことないけど……でも私はきっと、聖竜騎士と結婚するわ!』

『聖竜騎士?何で?』

『そう決まってるからよ。運命みたいなものだわ。私は聖竜騎士と結婚するの。【生きる神秘】、【国を守る奇跡】と言われた聖竜の繰り手よ?とっても素敵なひとよ、きっと』

『……ふぅん?アリアドネは聖竜騎士が好きなの?』

『好きなのは聖竜騎士じゃなくて聖竜だけど……。でもいずれ結婚するのだから、似たようなものなのかしら』

彼女はまるで、聖竜騎士と自身が結婚することを確定事項のように話した。
幼いヴェリュアンは田舎育ちで、世間の情報には疎い。
それでも、今のロザリアンに聖竜騎士はひとりかふたり程度しかいないということくらいは知っている。
だから、アリアドネが結婚できるはずがない、と意地悪を言うと彼女はあからさまにムッとした顔をした。

『するの。きっと、聖竜騎士と結婚するんだから!』

彼女は怒ってもすぐに機嫌を直す。
元々そんなに怒っていないのもあったのかもしれない。
それでも意地悪を言ってしまったお詫びに、と彼は自分だけしか知らない山の麓の湖へと彼女を案内した。
茹だるような暑さの中、湖だけは涼しい空気が漂っていた。
彼女も薄手のワンピースを着用しているものの、暑かったらしい。
湖に到着すると、彼女はすぐに歓声をあげて喜んだ。

『素敵!こんな良い場所があったなんて、知らなかったわ。ありがとう、ヴェリュアン。私を連れてきてくれて』

そうして、さっきまで怒っていたこともころっと忘れ、眩い笑顔を見せるのだ。
彼女はワンピースの裾をたくしあげて、水辺に足先をつけた。
おっかなびっくりなその仕草が、いつも元気な彼女には珍しくて、思わず笑ってしまったのを覚えている。

『何よぉ。いつもはこんなこと、出来ないんだから。水遊びなんて初めてしたわ』

『アリアドネは水遊びをしたことがないの?』

ヴェリュアンは慣れたもので、シャツを脱ぎ捨てるとそのまま湖に飛び込んだ。
水しぶきが盛大に上がり、彼女が悲鳴をあげた。

『きゃあ!ちょっと、服が濡れちゃったでしょ!』

『水遊びするんだから濡れるのは当たり前でしょ』

『そうじゃなくて……!もう、怒られたらどうするのよ』

ぶつぶつ文句を言う彼女は、しかし頭からつま先までびっしょり濡れていることに気がつくとため息を吐いた。

『もー。ここまで濡れちゃったらどうしようもないじゃない。私も服を脱ぐから……ヴェリュアン、あなた向こう向いてなさい』

『何で?』

『あなたは男の子でしょ!私にも恥じらいってものがあるんだから。異性に脱ぐところを見せるのははしたないことなのよ。本当はお説教の雷が落ちるくらいなんだから』

『ふぅん……?』

アリアドネは、変わった少女だった。
纏う空気だとか、独特な雰囲気だとかが、明らかに彼の知る周りの人間とは一線を画している。
それはふとした時に明らかになった。
例えば、今のように──。
彼女は濡れた髪を胸元に下ろし、ぎゅっと手で絞っていた。

ただ、それだけのことなのに、その仕草は妙に気品を帯びている。
それがいつもの明るく無邪気な彼女と結びつかなくて、彼は混乱した。

この時、ヴェリュアンはまだ六歳だったから、その違和感の正体を追求することはしなかった。
ただ彼女のことを【変わった子だな】と思った。

突然──彼女と会えなくなるなんて、その時は思いもしなかったからだ。
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