〈完結〉過ちを犯した王太子妃は、王太子の愛にふたたび囚われる

ごろごろみかん。

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二章

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 ルロークレは窓の外を見て、まるで史実の話でもするかのような声で続けた。
「一時期、アロアの出生を確認するためにアロアの生家、ロイズ家に行ったことはある。きっとその時に流れた噂をミレイユは聞いたんだね。彼女の問題行動によって、遠くに飛ばして、それで噂は自然消滅したものだと思っていた」
 実際、アロアが辺境の地に追いやられてから、噂は収束した。
 ふたりの仲は終わったのだといわれていたのだ。
「問題行動……? アロア様は王城を出入り禁止になったと聞いたわ。それとなにか関係が」
 ミレイユの言葉にちらりとルロークレがそちらを見る。
 ミレイユはうつむいていて視線は交わらない。
「あまり、女性に聞かせる話でもないけど、薬を盛られたことがある。端的に言うとね、関係を持ちそうになったんだよ、腹違いの妹と。そのほかにも、彼女に口付けをされたこともある。ミレイユには言わなかった」
「……」
 口づけ。ミレイユはそれに心当たりがあった。
 ミレイユが見たあの瞬間は、もしかして。ミレイユの推測を裏付けるようにルロークレは続けた。
「今思えば、言えばよかったのかな。後悔は先に立たずとはよく言うけども。本当に…きみに話しておくべきだった。父のことも、アロアのことも……」
 ルロークレは後悔しているようだった。ミレイユはただ首を振ることしかできない。
 ミレイユもまた、聞けばよかったのだ。尋ねればよかったのだ。
 それが可能なくらい、彼らは仲が良かった。
 ルロークレは感情を逃がすようにため息を吐いた。話を続けるようだ。
「彼女のそういった問題行動で……処罰することになった。だけど彼女は貴族だし、ことを大事(おおごと)にしたくないというアロアの父──ロイズ伯爵の嘆願で、辺境への追放と、王城への出入り禁止にとどめることになった」
「……」
「伯爵はアロアの生まれを知らないはずだが、腹を探られて痛いのはこちらだ。互いに譲歩したところ、落ち着いたのがその案だった」
 ミレイユは何も言わなかった。言えなかった。
ルロークレはそっと彼女の手に触れる。
その手の甲には彼女の罪の証が刻まれている。
ルロークレは彼女の手に触れて、どこか自嘲気な、小さな笑みを浮かべた。
「ねえ、分かるかな。きみがしたことが、どれだけ残酷で、酷いものだったか」
「ごめんなさ」
 言葉はルロークレにさえぎられる。
「そのせいか、おかげで今世では女性は全くだめ。喋るのはまだいいけど、触られると蕁麻疹が出る」
「ごめんなさい。ごめんなさい! 私、本当に………本当に、申し訳ないことを。ううん、そんな言葉では足りない。本当に申し訳ありません。私が愚かで……たいへんなご迷惑を」
 何を言っても言葉はむなしく響くだけだ。
 ミレイユはそれがわかりながらもその言葉以外を口にすることはできなかった。
 ルロークレは首を振って彼女の言葉を止めさせた。
「いいよ。僕が聞きたいのはそういう言葉じゃない」
 ルロークレの声は柔らかく、優しかった。
だからこそ、ミレイユは苦しかった。
いいはずがない。
彼はそう言うが、きっと深く傷ついているだろう。
間違いない。ミレイユが彼を傷つけた。
彼は優しい人だ。
ミレイユは首を振った。
自然と流れ出した涙が彼女の頬を打つ。
熱いしずくは、そのまま熱を失って服にしみこんでいく。
「あなたと……結婚するなんて、許されない」
「許されない?」
 ルロークレは器用にも片方の眉を上げた。
 ミレイユは涙でぐずぐずな洟声で言う。
「あなたを苦しめたのは、酷い傷を与えたのは私よ。そんな私があなたと結婚なんて」
 ただ、ミレイユが幸せになるだけだ。
 ミレイユはまだヴィルヘルムを、ルロークレを想っている。
 彼と結婚してやり直せば、ミレイユは幸福を知るだろう。絶望を知っているからこそ、なお。
 だけど、だからこそ、そんな自分を許せそうにない。彼を苦しめて、のうのうと自分だけ幸せになる。
 ミレイユの言葉にルロークレが鋭く指摘する。
「どうして。さっききみは何でもすると言ったよね」
「ごめんなさい。でも、私とミレイユは結婚するべきじゃない。それ以外なら何でもする。簡単に償えるとも思わないし、償えるかもわからない。だけど、なんでもするわ。……婚姻以外なら。私が……あなたを苦しめた私が、あなたと結婚、なんて。あなたは、私以外の女性と婚姻したほうがいい。その方がずっと幸せよ」
 ミレイユは本心でそう思った。
 彼を心から愛し、過ちなど犯さない、心優しい女性と幸せになるべきだ。
ミレイユのような愚かな女性は彼の未来を汚すだけだろう。
彼と共に生きる資格はミレイユにはもう無い。
ルロークレは何も言わない。
沈黙に耐えかねて顔を上げると、ルロークレは難しい顔をしていた。
眉を寄せ、ミレイユを見ている。
「ヴィ……」
「幸せって何?」
「それは」
「幸せの定義って、なんだろうね。それって、他人が決めること?」
「ヴィルヘルム」
「きみ以外の女性と、幸せになるって? ふ、はは。ははははは!」
ルロークレは突然笑い出した。
ミレイユはその異様さに硬直した。
「面白いことを言うね……? きみ以外の女性なんてみんな同じにしか見えないのに? きみはそうやって逃げるんだね」
「違っ……」
 言いかけて、そうかもしれないとミレイユは思った。
 きれいごとを言って、贖罪から逃げている。ミレイユは迷いながら言葉を選んだ。
「私があなたと共にあることは許されない。罪を犯した私があなたと婚姻なんて。あなたと結婚して、私は幸せになるわ。だけどそんなことは許されない。私はあなただけじゃない、リディエリアも、アロア様も不幸にして」
「ねえ。ニルシェ。許さないって、誰が?」
 力強い声にミレイユの言葉は止められる。
「神様が……」
 ミレイユの言葉にルロークレは鼻で笑った。
「は、神。僕もきみも救おうとしない、神に?」
「神はいらっしゃるわ……。きっと罰が与えられる」
「あいにく僕は神に祈りを捧げる敬虔な教徒じゃないんだ。神がいるかどうかの議論などするつもりはないが……ニルシェ。僕はね、いるかもわからないあやふやな存在の許しなど要らないと思ってる。そもそも許しなどどうやって得るの? 現実的じゃない」
 ルロークレの言葉は適格だった。
 ミレイユは考えるようにうつむいた。
ルロークレは苦しそうな、悲しそうな、そんな顔をして訴える。
彼女に、ミレイユに。
ルロークレは拳を強く握りしめた。吐露した本心は、紛れもない彼の叫びの声だった。
「僕が欲しいのは……必要だと思うのは、きみだけだ。きみだけなんだ。どうして分かってくれない! 許しなんて、必要ない! だれに何を言われたって、僕はきみを………きみだけを………!」
 ミレイユは涙に詰まって言葉が出ない。ルロークレは言葉を続けた。
「っ……病気のことだってそうだ! 一言相談してくれれば、僕はきみと共に命を終わらせる選択を選んだ! あるいは、成すべきことをしてから、きみの元に行った! それなのにきみは……!」
 ルロークレの言葉に、ミレイユは謝罪の木を口にする。
「……ごめんなさい、ごめんなさい、ヴィルヘルム」
 先程まで冷静に、落ち着いた様子で話していたルロークレの声は感情的になっていた。
彼のそんな声は初めて聞く。
いつも落ち着いていて、余裕がある彼。
そんな彼が、こうまで感情を露わにするほどに、心を乱している。
それがとてつもなく苦しくて、痛い。
ルロークレは首を振った。
「いや、いい。…………どちらにせよ、答えはいらない。さっき言った通りだ。きみは今日からミレイユ・レトヴランになる。これは決定事項だ。きみが何を言おうと、変わらない」
「ヴィルヘルム………」
「僕に申し訳ないという気持ちが、贖罪の思いがあるのなら。黙って受け入れろ。……受け入れてくれ。頼むから拒むな………」
 絞り出すような、かすれた声だった。
 ルロークレは苦しんでいるように見えた。
彼をここまで思い詰めさせて、追い詰めているのはミレイユだ。
他の誰でもない、ミレイユなのだ………。
 まだ悩んでいるように見えるミレイユに、ルロークレは再度言葉を続けた。

 
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