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二章

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ミレイユがルロークレに動揺しているうちにロビンはその場を去ったらしい。
気が付けば姿はなかった。
ここはまだ学校の敷地内だ。
学校裏、門を出て広がる裏庭。周りには誰もいない。静寂だけが広がる。
動揺のあまり心臓が酷い音の鳴らし方をしていた。
ルロークレが安堵の息を吐いた。
今度・・は間に合ってよかった」
 ぽつり、本当に小さな声でルロークレが言う。
ミレイユはその声を聞き洩らした。
動揺と衝撃からいまだに立ち直れていない。
ミレイユは動けない。
指一本たりとも、わずかにも動かすことはできなかった。
「さて、どうしようかな」
 ルロークレが落ち着いた声で言う。風が穏やかにふたりの間をさらっていった。
 ミレイユは混乱と衝撃で気を失いそうだった。
「あの……。ルロークレ様はどうして……」
「ルロークレ? 違うよね」
「っ…………」
 まさか、と言う思いと、そんなわけが無いという感情で胸がごちゃごちゃになる。
そんなの、あるはずがない。
ミレイユは息を意識して整えた。それでも呼吸は荒くなる。
ルロークレ以外に呼べる名があるとすれば。
だけど、それは。
もし、そう・・であるのなら。
「…………な、んのことか……私には」
 ミレイユは首を振った。
 そんな彼女を見て、ルロークレは目を細める。
「それ、まるであの時のようだね。きみは頑なに口を開かなかった」 
「………」
「ミレイユ。………いや、違う。きみの名前はニルシェだ」
「っ……」
 ミレイユは息を飲んだ。
 当たってしまった。ミレイユの推測が。
ミレイユ同様、ヴィルヘルムもまた、転生している──。
答えないミレイユに、しかしルロークレは気にした様子は見せない。ただ落ち着いている。
「言いたくない? いいよ、言わなくても。だけど僕は」
「ごめんなさい」
 ミレイユはとっさに謝った。
 ルロークレは………いや、ヴィルヘルムは、全て知っているのだろう。
彼は全てを思い出している。
何がどうして、ヴィルヘルムが記憶を取り戻し、記憶を持って生まれ変わったのかは分からない。
だけど、今わかることは、目の前にいる彼は、ヴィルヘルムで、そしてミレイユの罪を全て知っているということだった。
ミレイユは数歩後ずさろうとしたが、ヴィルヘルムの手はしっかりとミレイユの腕を掴み、それを許さない。
「それは、何の謝罪?」
「あなたを騙し………いえ。私の身勝手な行為に振り回し、全てをめちゃくちゃにして……。本当にごめんなさい。申し訳ありませんでした。謝って許されることでは」
ないと、と続く言葉はルロークレによってさえぎられた。
「ねぇ、ミレイユ。僕を見て」
「っ!」
 ぐい、と腕を引かれ、顎を掴まれて、至近距離で目が合った。
今世では碧色の彼の瞳は森の中であっても吸い込まれてしまいそうなほど美しい煌めきを放っていた。
白に近い白金のまつ毛が静かに伏せられて、それはまるで新雪の扇のように瞳を覆う。
「記憶が戻ったのはね、つい最近なんだ……。半年ほど前……。ちょうど、きみがスクールに入ったくらい」
 そんな最近なのか。ミレイユは茫然とした。
 そして納得もした。
だから、夜会であってもヴィルヘルムは何も知らない様子だったのか。
 ミレイユは勘違いをしていた。てっきりルロークレとヴィルヘルムは他人だと、別人だと思っていたのだ。
ヴィルヘルムは、そのまま静かに問いかけてきた。
「きみは、僕に申し訳ないと思っている?」
 それは答えを確かめるような、既に返答が判っているような、そんな声だった。
 ミレイユは震える声で答える。
「もちろん……」
「じゃあ、その償いをしてくれるわけだ」
「あなたが望むなら………何だって、」
 ミレイユはどうしたって受動的な返答をしてしまう。
 ルロークレはふ、と小さく笑った。春の訪れのように柔らかな笑みだった。
 ミレイユはいまだに理解が追い付かない。
「よし、じゃあ、きみの全てを貰う。ミレイユ・ゲルジュ。いや、きみは今日からミレイユ・レトヴランになってもらう」
「レトヴラ………」
 レトヴランという名前は聞きたことがない。
ミレイユ・レトヴラン。つまりそれはミレイユが誰かと結婚するということだ。
でも、誰と。
そう言えばさっき、ヴィルヘルムはミレイユとロビンの婚約の話を止めた。
それはもしかして、ミレイユを他の誰かと結婚させるため………。
ミレイユは息を飲んだ。
もし彼女の推測通りであっても、ミレイユはそれを拒む気はなかった。ルロークレに
伝えたとおりだ。彼女は償うためならなんでもするつもりだった。
(私は誰と結婚することになるのだろう?)
戸惑うミレイユに、ヴィルヘルムはミレイユの腰を掴み、抱き上げた。
彼女の視界は突然高くなる。
「きゃ……」
「レトヴランは僕が父上から叙爵された、家名だ。王家預かりになってた爵位だよ。僕は今冬、婚姻し王族から外れる。臣籍に降りるんだ」
「臣、籍に……?」
「僕の妻になってくれるね?」
「──」
 ミレイユは息を飲んだ。心臓が止まるかと思ったのだ。
「きみの返事は、イエスかはいしか許されてない。何でもするんでしょう」
 ルロークレの声は固く、ミレイユにそれ以外の返答を求めていない。
 ミレイユは唇を震わせた。
(でも、いいの? こんなこと。私がもう一度)
 ヴィルヘルムと、なんて。
「でも……だって。待って。待ってください」
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