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一章
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しおりを挟むそう思って、一縷の望みにかけた。
エンジェルストランペットの花言葉は『愛敬、偽りの魅力、夢の中、遠くから私を思って』という、掴みどころのない花言葉が並ぶ。
だけどこの夢のような、現実のような、それこそ悪夢のような現状には正しい気がした。
これで思い出さないのであれば、どうすればいいのか。
ニルシェ付きの侍女であるリディエリアが王太子に接触できるタイミングなど限られている。今回のような無茶はもうできないだろう。
リディエリアは縋る思いで目を閉じた。
それと同時に───花が床にちらばった。
ヴィルヘルムが花を振り落としたのだと気がついたのは、それから遅れてのことだった。
床に散らばる黄色い花。どこか垂れて見えるそれは、極刑の前に首を垂れる人間のように見えてリディエリアは絶句した。
そんなリディエリアに冷たい、それこそ氷のような声が続いた。
「これは誰の指示だ」
ヴィルヘルムの声にリディエリアは顔を上げた。
そして、冷え冷えと光る青色の瞳とぶつかってひゅ、と息を飲んだ。
「ああ、きみはあの女付きの侍女だったね……。なるほど、それでこの花か。気分が悪いな。彼女の指示?」
ヴィルヘルムが冷たく言った。
それに、衝撃にも近い驚きをリディエリアは覚えた。
リディエリアは覚悟を決め、問いかける。あまりにも不敬で、恐れ多くて、歯の音が噛み合わない。
「侍女ごときが烏滸がましく口出しする不敬をお許しください。殿下は、殿下は……なぜ、妃殿下を嫌うのですか! あまりにも不当な扱いかと存じます。どうか、お考えを、」
「不敬だぞ! おい、この女をどかせ!」
「捕らえろ! 殿下の面前においておくな!」
騎士たちの叱咤の声が飛ぶ。
とんでもないことを口にした。それ今更ながら自覚する。恐れと震えが背筋をかけ上った。
ニルシェについては、聞いてはならないことだ。
この王宮で彼女の存在は禁句だった。口にしてはならない、そんな空気を彼が作っていた。 誰もが暗黙の了解で口をつぐみ、居ないものとして扱う。
そんな状況下で、よりのよって、というべきか。
王太子の前で言及するなど、頭がイカれてるとしか思えない。
少なくとも周りにいた騎士や侍女、侍従はそう思った。
彼らも少し前まではニルシェを王太子妃として崇め、敬愛していたのに、ひとは変わるものだ。
そして、悲しいくらいにひとは周りの状況、環境に影響されやすい。朱に交われば赤くなるとは言ったものだ。
ひとりひとりの意識が、ニルシェという存在を禁忌にしてしまった。
リディエリアは恐ろしい思いを噛み殺しながら、ヴィルヘルムを見た。
ヴィルヘルムは苦いものでも食べたような、苦し気な顔をしていた。
「……殿下っ」
答えない王太子に周りが騎士が溌剌とした声で呼びかける。
ヴィルヘルムはそれに我に返ったようにリディエリアを見た。
「今の発言は、聞かなかったことにする」
「ですが!」
「……大したものだよ。主のためにそこまでする。きみの行いは褒められたものではないが、僕は認めよう。きみは勇者だ。それでいて、蛮勇だ。勇気ある行いが自分の首を絞めることになることはよくある話だよ。それを、覚えておきなさい」
「……!」
「行くぞ」
「殿下、ですがこのものは………」
騎士が狼狽えながらヴィルヘルムに問いかける。
王族に口を聞き、あまつさえ糾弾するかのごとく意見を求めたリディエリアの行動は、本来なら不敬罪で捕らえられるほどのものだ。
だけどヴィルヘルムは手を軽く振って答えた。
「いい。ほっておけ。彼女の行いは勇気あるものだと言った」
もはや興味ないと言わんばかりに立ち去ってしまいそうなヴィルヘルムに、リディエリアは叫んだ。
「お待ちください!!」
「この、まだ……っ」
騎士の怒る声がする。
ヴィルヘルムは眉を寄せ立ち止まる。そして、振り返り、リディエリアを見た。
周りの視線全てがリディエリアに集中する。しかし彼女も何をいえばいいのか、何を話せばヴィルヘルムが全てを思い出すのか分からなくなってしまった。
リディエリアは焦って、言った。
「あなたは魔女の道具によって呪われているのです! ニルシェ様が、あなたへの感情を変えて……」
その言葉を聞いて、まわりがにわかに騒がしくなる。
ざわつく廊下で、ヴィルヘルムが手を上げて人々の声をせき止めた。
「……どういうことか、詳しく聞かせてもらおう」
ヴィルヘルムが彼女に言葉をなげかけたその時──遠くからばたばたと忙しない足音が聞こえた。みながそちらを振り返る。
眉をしかめた騎士があまりの無作法さに注意しようと声を上げるよりも早く、その伝令は廊下中に伝わった。
「大変です!! 王太子妃殿下が、アロア第二妃殿下をナイフで刺したと…………! 今至急侍医を、」
手配しております、と言うよりも早く。
ヴィルヘルムは廊下をかけた。
殿下! と呼びかける声があちこちで聞こえる。
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