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一章
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しおりを挟む黙って聞くリディエリア。
それを愉快に思いながら魔女は言う。
魔女は嘘をつかない。それは有名な話だからこそ、リディエリアは信じてしまった。
魔女は嘘をつかない。
しかし、本当のことを言うとも限らないというのに。魔女は我ながら小賢しいと思ったが、その小賢しさを真っ直ぐに信じるリディエリアが面白くて仕方なかった。
──ああ、まるで、いつの日かの、誰かによく似ている。
「記憶喪失の状態で、何のきっかけもなく真実を思い出せと言ってるようなもの。だけど………きっかけがあれば?」
「………つまり、妃殿下との思い出を思いだすようなことがあればよろしいのですね」
「ふふふ、どうかしらね? さぁ、あなたに言えるのはここまで。おかえりはあちら。リディエリア・ベームルグさん」
魔女は本当に大切なこと、言わねばならないことは口にしない。
口にするのは、あくまでそういう可能性があることだけ。
思い出すかもしれない、そんなあやふやな情報をリディエリアに流しただけだ。
王宮に帰ってリディエリアがしたことは、まず王太子に接触してリリーティアとの記憶を取り戻してもらうことだった。
人の記憶は匂いに紐づずいていると言う。
リディエリアは庭園へと出向き、リディエリアが好んでいた花を何本か庭師に譲ってもらった。
庭師はリディエリアの顔を覚えていなかったようで、あっさりと花を譲ってくれた。
これがもしリリーティア付きの侍女だと知れれば、きっと譲ってはくれなかっただろう。
───こんなことにさえ、ならなければ………。
そうであれば、王宮を仕切るのはニルシェであったはずで、第二妃のアロアなどではなかった。
ニルシェはアロアとは極力会わないようにしていた。アロアは今や寵愛の妃ということでその態度の大きさは日に日に酷くなっていく。
ニルシェの侍女であるリディエリアのことも彼女はよく思っていないらしく、偶然あ会えば彼女は嘲りを隠さない。
「あら、王宮にゴミが落ちてるわ! 全く、宮仕のものは何をしてるのかしらね?」
もはや虐めと言っていい。
アロアを取り巻く侍女がすぐさま脇を固めて、近くにあった花瓶の水をかけてきたりするのだ。酷い目にあってるのはニルシェだけではなかった。
リディエリアはニルシェの近くにいることによって彼女もまた悪意の対象とされていた。
「汚いと思って水をかけたら余計に汚くなってしまったわ!」
「嫌だわ、ちゃんと掃除しておきなさいね、ゴミ虫さん」
彼女たちは思い思いに侮蔑の言葉をぶつけ、どこかに消えていく。それが日常だ。
幸い暴力沙汰にはなっていないが、そうされる度にリディエリアもまた惨めな思いで涙が滲んだ。
おそくら、ニルシェよりリディエリアの方が耐えられなかった。その日々に。
どうしてこんなことに、とリディエリアはその度に何度も思うのだ。
そしても今日もまた野ねずみのようにコソコソと隠れながら王宮を歩き、彼女は偶然にも回廊の先に目的の人物を見つけた。
リディエリアは縋るような期待を胸に乗せて、その人の元へと足をはやめた。
「王太子殿下!!」
突然声をかけられた王太子は当然ながら驚く。
振り向くと、リディエリアは顔をふせて、膝を着いていた。目上の人間に自分から声をかけるなどとんでもない話だ。不敬だと罰せられれてもおかしくない。
だけどどうしてもリディエリアは言いたかった。
「どこの侍女か知らんが、マナーがなっていない! 所属と名を──」
近くにいた騎士が怒気をあらわにした。
王太子の訝しむような、探るような視線が頭に落ちる。
侍女はひれ伏しながらも王太子へと声をかけた。
「突然申し訳ございません………!! 伏してお詫び申し上げます。 ですがどうしても、どうしてもお伝えしたいことがございます………!!」
切羽詰まるような物言いから、ヴィルヘルムもまた感じ取るものがあったのだろう。
「何? 時間が無いから手短に」
手を挙げて、憤る騎士たちを抑える。
それを見て、リディエリアは、ヴィルヘルムに変わらないところがあるのではないかと期待した。
リディエリアは許しを得て顔を上げた。
興奮からか緊張からか瞳がぼやける。涙が滲んでいるのだ。
リディエリアは握っていた数輪の花を王太子へと差し出した。その不格好な黄色い花を前に、王太子がわずかに瞳を細めた。
「楽園の花か………」
「はい…………。殿下、なにか思い出すものがございませんか? この花の香りを嗅いで、何か………!」
リディエリアは必死だった。
楽園の花───もとい、エンジェルストランペットはニルシェの一番好きな花だ。
見た目は黄色いユリのような花で、それが下に垂れ下がっている。
形こそ縁起が悪く見えるが、しかしその香りの強い芳香をニルシェは気に入っていた。
そして、その花をよく飾るリリーティアに続いて王太子もまた、その花を好んでいたように思う。
いつか二人が話していたのを聞いたことがある。
『またこれか。本当に好きだね、ニルシェも』
王太子が呆れたような、からかうような声でニルシェへと話し掛ける。
彼女は花を胸に抱いてその香りを吸い込みながら答えていた。
『匂いが好きなの。それにね、この花って何回も咲くのよ。何度も何度も咲くなんてロマンチック。人生もそううだといいって思うの』
『ああ。確かにいつも咲いてる気がする………。何度も咲ける人生なんて、滅多になさそうだ』
『そんなことないわ。人生は七転び八起きというでしょう。転ぶ度に立ち上がって、その度に咲き誇れば、それはこの花と同じだわ。……要は受け取り方よね。そう思わない? それに私、この匂いが好きなの』
『僕はそもそも転びたくないな……。それより僕は、花を持って笑ってるニルシェを見るのが好きだけど?』
『…………』
『ニルシェ、キスしていい?』
『……聞かないで』
確かあれはふたりがお茶をしていた時の会話で、お茶の準備をしていたリディエリアは空気を察して途中で部屋を後にした。
王太子はよくその花を近くに置いていたし執務室にもそれを飾っていた覚えがある。
おかげで執務室が花の香りで気持ちが悪くなってくると王太子付きの騎士がボヤいていたのも聞いたことがあった。
もしかしたら、これで思い出してくれるかもしれない───。
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