12 / 40
一章
12
しおりを挟む
じゃきん、と音がする。
赤髪の、腰まであるニルシェの髪は、過去ヴィルヘルムが綺麗だと褒めてくれたものだった。
それを肩の半ばまで切られたのは、つい最近のことだ。
『あっはは、なんて滑稽なの! 王太子妃だかなんだか知らないけど、お飾りの妃にはこれがお似合いよ!』
アロアはそう笑って、ハサミを投げてくる。
頬にぶつかって、少しだけ切れた。
足元には赤い髪が、ニルシェの髪が落ちていた。はらはらと舞う赤髪と、床に落ちる髪を見て、言葉が出ない。
歯止めの効かない嫌がらせは、ますます酷くなる。
肩の中ほどまでしかないニルシェの赤髪は明らかに乱雑に切られていて、偶然会ったヴィルヘルムはそれに気がついて、眉をしかめた。そして、冷たく言った。
『みっともないな……』
ただ、一言。そう言われただけ。
胸が熱くなった。鼻がつんとして、視界がぼやける。
生理的なものだ。これは、感情起因ではない。
でも、涙を流すことを許されない。
手を強く握りしめて、爪が手のひらにくい込んで血が滲むほど握り、その痛みで涙を堪えた。
ヴィルヘルムはもう見ていなかったけれど、泣いてはいけないと思った。
その日の夜、ヴィルヘルムが手配したのか、無表情の侍女が訪れ、テキパキと髪の長さは揃えられた。
久しぶりに世話をされて驚くニルシェに、侍女は無表情に「王太子殿下のご命令です」と告げる。
それは、言外にヴィルヘルムの命でなければ来たくなかったと言っていた。
だけどニルシェはそれより、アロアを──ニルシェを嫌っているであろうに、侍女を遣わせた彼の優しさに触れて、彼のことを改めて思い出して。また泣きたくなった。
そしてまた二ヶ月が経ち、アロアが第二妃として入宮された。
ニルシェとは顔を合わせることはなかった。
きっと、ヴィルヘルムが指示を出したのだろう。
日に日に、ニルシェの部屋に訪れる人数は減っていく。今や、リディしか部屋にはいなかった。
『哀れな王太子妃殿下』
『怪しげな術を用いて王太子を惑わした毒婦』
『あんなになったら人間終わりね』
『彼女みたいにはなりたくない』
社交界に出ると、毎日のように投げかけられる言葉。
病のせいか、この環境のためか。
恐らく前者な気もするけれど、ニルシェはかなり体重を落としてしまっていた。入るドレスはほとんどない。ウエストがゆるすぎるのだ。手首も指も、細すぎてまるで死人のそれのようだと貴婦人が嘲笑っていた。
「私が悪いのだから」
そう言ってニルシェは自身の感情を戒める。
ニルシェは窓の外を見た。本日も生憎の大雨だ。
ニルシェの妊娠が発覚した。
時期的に最後、ニルシェが東の森の魔女に会いに行く前に彼と交した夜の時の子だろう。
あの時の子が実を結んだと聞いて嬉しいのに、同じくらい苦しい。アロアがも第二妃になってもうすぐで一ヶ月が経過する。残された時間はあと三ヶ月。
ニルシェは自分の腹部に触れた。
(だめなお母様でごめんなさい。あなたを産むことはきっと、出来ない)
ニルシェはあと六ヶ月しか生きることが出来ない。
責任を取らなければならない、とニルシェは思った。
そのためにはまず、東の森の魔女にもう一度会わなければ。魔法を解いてもらう、というのはあまりにも烏滸がましい。
だけどもしニルシェの命を代償にすることで、多少は話を聞いてくれないだろうか。
いや、彼女に差し出せるものはなんだって渡す。
ニルシェはどうなってもいいと感じていた。彼女は、自業自得なのだから。
だけど、ヴィルヘルムはそうではない。彼は違うのだ。
彼はきっと、このことを知ったら傷つくだろう。それは元より、ニルシェが避けたいことだった。愚かだと自覚している。反省している。いいえ、そんな言葉では到底足りない。
何をしてでも、何でもするから。だからどうか、この悪夢に終止符を打って欲しかった。
しかしその思いに反して、何度も何度も東の森に足を運んでいるが、魔女に会うことは出来なかった。
誰も心配する侍女がおらず、御者も金を握らせれば、運んでくれるのでその点は構わなかったが、最近は体の不調が多く森に向かいにくなっていた。
加えて雨の日はよりいっそう。
頭が痛む。腹がしくしくと痛む。
東の森に行けない日が続く。
赤髪の、腰まであるニルシェの髪は、過去ヴィルヘルムが綺麗だと褒めてくれたものだった。
それを肩の半ばまで切られたのは、つい最近のことだ。
『あっはは、なんて滑稽なの! 王太子妃だかなんだか知らないけど、お飾りの妃にはこれがお似合いよ!』
アロアはそう笑って、ハサミを投げてくる。
頬にぶつかって、少しだけ切れた。
足元には赤い髪が、ニルシェの髪が落ちていた。はらはらと舞う赤髪と、床に落ちる髪を見て、言葉が出ない。
歯止めの効かない嫌がらせは、ますます酷くなる。
肩の中ほどまでしかないニルシェの赤髪は明らかに乱雑に切られていて、偶然会ったヴィルヘルムはそれに気がついて、眉をしかめた。そして、冷たく言った。
『みっともないな……』
ただ、一言。そう言われただけ。
胸が熱くなった。鼻がつんとして、視界がぼやける。
生理的なものだ。これは、感情起因ではない。
でも、涙を流すことを許されない。
手を強く握りしめて、爪が手のひらにくい込んで血が滲むほど握り、その痛みで涙を堪えた。
ヴィルヘルムはもう見ていなかったけれど、泣いてはいけないと思った。
その日の夜、ヴィルヘルムが手配したのか、無表情の侍女が訪れ、テキパキと髪の長さは揃えられた。
久しぶりに世話をされて驚くニルシェに、侍女は無表情に「王太子殿下のご命令です」と告げる。
それは、言外にヴィルヘルムの命でなければ来たくなかったと言っていた。
だけどニルシェはそれより、アロアを──ニルシェを嫌っているであろうに、侍女を遣わせた彼の優しさに触れて、彼のことを改めて思い出して。また泣きたくなった。
そしてまた二ヶ月が経ち、アロアが第二妃として入宮された。
ニルシェとは顔を合わせることはなかった。
きっと、ヴィルヘルムが指示を出したのだろう。
日に日に、ニルシェの部屋に訪れる人数は減っていく。今や、リディしか部屋にはいなかった。
『哀れな王太子妃殿下』
『怪しげな術を用いて王太子を惑わした毒婦』
『あんなになったら人間終わりね』
『彼女みたいにはなりたくない』
社交界に出ると、毎日のように投げかけられる言葉。
病のせいか、この環境のためか。
恐らく前者な気もするけれど、ニルシェはかなり体重を落としてしまっていた。入るドレスはほとんどない。ウエストがゆるすぎるのだ。手首も指も、細すぎてまるで死人のそれのようだと貴婦人が嘲笑っていた。
「私が悪いのだから」
そう言ってニルシェは自身の感情を戒める。
ニルシェは窓の外を見た。本日も生憎の大雨だ。
ニルシェの妊娠が発覚した。
時期的に最後、ニルシェが東の森の魔女に会いに行く前に彼と交した夜の時の子だろう。
あの時の子が実を結んだと聞いて嬉しいのに、同じくらい苦しい。アロアがも第二妃になってもうすぐで一ヶ月が経過する。残された時間はあと三ヶ月。
ニルシェは自分の腹部に触れた。
(だめなお母様でごめんなさい。あなたを産むことはきっと、出来ない)
ニルシェはあと六ヶ月しか生きることが出来ない。
責任を取らなければならない、とニルシェは思った。
そのためにはまず、東の森の魔女にもう一度会わなければ。魔法を解いてもらう、というのはあまりにも烏滸がましい。
だけどもしニルシェの命を代償にすることで、多少は話を聞いてくれないだろうか。
いや、彼女に差し出せるものはなんだって渡す。
ニルシェはどうなってもいいと感じていた。彼女は、自業自得なのだから。
だけど、ヴィルヘルムはそうではない。彼は違うのだ。
彼はきっと、このことを知ったら傷つくだろう。それは元より、ニルシェが避けたいことだった。愚かだと自覚している。反省している。いいえ、そんな言葉では到底足りない。
何をしてでも、何でもするから。だからどうか、この悪夢に終止符を打って欲しかった。
しかしその思いに反して、何度も何度も東の森に足を運んでいるが、魔女に会うことは出来なかった。
誰も心配する侍女がおらず、御者も金を握らせれば、運んでくれるのでその点は構わなかったが、最近は体の不調が多く森に向かいにくなっていた。
加えて雨の日はよりいっそう。
頭が痛む。腹がしくしくと痛む。
東の森に行けない日が続く。
311
お気に入りに追加
1,353
あなたにおすすめの小説
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろうにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています
(完結)貴方から解放してくださいー私はもう疲れました(全4話)
青空一夏
恋愛
私はローワン伯爵家の一人娘クララ。私には大好きな男性がいるの。それはイーサン・ドミニク。侯爵家の子息である彼と私は相思相愛だと信じていた。
だって、私のお誕生日には私の瞳色のジャボ(今のネクタイのようなもの)をして参加してくれて、別れ際にキスまでしてくれたから。
けれど、翌日「僕の手紙を君の親友ダーシィに渡してくれないか?」と、唐突に言われた。意味がわからない。愛されていると信じていたからだ。
「なぜですか?」
「うん、実のところ私が本当に愛しているのはダーシィなんだ」
イーサン様は私の心をかき乱す。なぜ、私はこれほどにふりまわすの?
これは大好きな男性に心をかき乱された女性が悩んで・・・・・・結果、幸せになったお話しです。(元さやではない)
因果応報的ざまぁ。主人公がなにかを仕掛けるわけではありません。中世ヨーロッパ風世界で、現代的表現や機器がでてくるかもしれない異世界のお話しです。ご都合主義です。タグ修正、追加の可能性あり。
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

妻を蔑ろにしていた結果。
下菊みこと
恋愛
愚かな夫が自業自得で後悔するだけ。妻は結果に満足しています。
主人公は愛人を囲っていた。愛人曰く妻は彼女に嫌がらせをしているらしい。そんな性悪な妻が、屋敷の最上階から身投げしようとしていると報告されて急いで妻のもとへ行く。
小説家になろう様でも投稿しています。

口は禍の元・・・後悔する王様は王妃様を口説く
ひとみん
恋愛
王命で王太子アルヴィンとの結婚が決まってしまった美しいフィオナ。
逃走すら許さない周囲の鉄壁の護りに諦めた彼女は、偶然王太子の会話を聞いてしまう。
「跡継ぎができれば離縁してもかまわないだろう」「互いの不貞でも理由にすればいい」
誰がこんな奴とやってけるかっ!と怒り炸裂のフィオナ。子供が出来たら即離婚を胸に王太子に言い放った。
「必要最低限の夫婦生活で済ませたいと思います」
だが一目見てフィオナに惚れてしまったアルヴィン。
妻が初恋で絶対に別れたくない夫と、こんなクズ夫とすぐに別れたい妻とのすれ違いラブストーリー。
ご都合主義満載です!

勝手にしなさいよ
棗
恋愛
どうせ将来、婚約破棄されると分かりきってる相手と婚約するなんて真っ平ごめんです!でも、相手は王族なので公爵家から破棄は出来ないのです。なら、徹底的に避けるのみ。と思っていた悪役令嬢予定のヴァイオレットだが……
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる