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一章
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じゃきん、と音がする。
赤髪の、腰まであるニルシェの髪は、過去ヴィルヘルムが綺麗だと褒めてくれたものだった。
それを肩の半ばまで切られたのは、つい最近のことだ。
『あっはは、なんて滑稽なの! 王太子妃だかなんだか知らないけど、お飾りの妃にはこれがお似合いよ!』
アロアはそう笑って、ハサミを投げてくる。
頬にぶつかって、少しだけ切れた。
足元には赤い髪が、ニルシェの髪が落ちていた。はらはらと舞う赤髪と、床に落ちる髪を見て、言葉が出ない。
歯止めの効かない嫌がらせは、ますます酷くなる。
肩の中ほどまでしかないニルシェの赤髪は明らかに乱雑に切られていて、偶然会ったヴィルヘルムはそれに気がついて、眉をしかめた。そして、冷たく言った。
『みっともないな……』
ただ、一言。そう言われただけ。
胸が熱くなった。鼻がつんとして、視界がぼやける。
生理的なものだ。これは、感情起因ではない。
でも、涙を流すことを許されない。
手を強く握りしめて、爪が手のひらにくい込んで血が滲むほど握り、その痛みで涙を堪えた。
ヴィルヘルムはもう見ていなかったけれど、泣いてはいけないと思った。
その日の夜、ヴィルヘルムが手配したのか、無表情の侍女が訪れ、テキパキと髪の長さは揃えられた。
久しぶりに世話をされて驚くニルシェに、侍女は無表情に「王太子殿下のご命令です」と告げる。
それは、言外にヴィルヘルムの命でなければ来たくなかったと言っていた。
だけどニルシェはそれより、アロアを──ニルシェを嫌っているであろうに、侍女を遣わせた彼の優しさに触れて、彼のことを改めて思い出して。また泣きたくなった。
そしてまた二ヶ月が経ち、アロアが第二妃として入宮された。
ニルシェとは顔を合わせることはなかった。
きっと、ヴィルヘルムが指示を出したのだろう。
日に日に、ニルシェの部屋に訪れる人数は減っていく。今や、リディしか部屋にはいなかった。
『哀れな王太子妃殿下』
『怪しげな術を用いて王太子を惑わした毒婦』
『あんなになったら人間終わりね』
『彼女みたいにはなりたくない』
社交界に出ると、毎日のように投げかけられる言葉。
病のせいか、この環境のためか。
恐らく前者な気もするけれど、ニルシェはかなり体重を落としてしまっていた。入るドレスはほとんどない。ウエストがゆるすぎるのだ。手首も指も、細すぎてまるで死人のそれのようだと貴婦人が嘲笑っていた。
「私が悪いのだから」
そう言ってニルシェは自身の感情を戒める。
ニルシェは窓の外を見た。本日も生憎の大雨だ。
ニルシェの妊娠が発覚した。
時期的に最後、ニルシェが東の森の魔女に会いに行く前に彼と交した夜の時の子だろう。
あの時の子が実を結んだと聞いて嬉しいのに、同じくらい苦しい。アロアがも第二妃になってもうすぐで一ヶ月が経過する。残された時間はあと三ヶ月。
ニルシェは自分の腹部に触れた。
(だめなお母様でごめんなさい。あなたを産むことはきっと、出来ない)
ニルシェはあと六ヶ月しか生きることが出来ない。
責任を取らなければならない、とニルシェは思った。
そのためにはまず、東の森の魔女にもう一度会わなければ。魔法を解いてもらう、というのはあまりにも烏滸がましい。
だけどもしニルシェの命を代償にすることで、多少は話を聞いてくれないだろうか。
いや、彼女に差し出せるものはなんだって渡す。
ニルシェはどうなってもいいと感じていた。彼女は、自業自得なのだから。
だけど、ヴィルヘルムはそうではない。彼は違うのだ。
彼はきっと、このことを知ったら傷つくだろう。それは元より、ニルシェが避けたいことだった。愚かだと自覚している。反省している。いいえ、そんな言葉では到底足りない。
何をしてでも、何でもするから。だからどうか、この悪夢に終止符を打って欲しかった。
しかしその思いに反して、何度も何度も東の森に足を運んでいるが、魔女に会うことは出来なかった。
誰も心配する侍女がおらず、御者も金を握らせれば、運んでくれるのでその点は構わなかったが、最近は体の不調が多く森に向かいにくなっていた。
加えて雨の日はよりいっそう。
頭が痛む。腹がしくしくと痛む。
東の森に行けない日が続く。
赤髪の、腰まであるニルシェの髪は、過去ヴィルヘルムが綺麗だと褒めてくれたものだった。
それを肩の半ばまで切られたのは、つい最近のことだ。
『あっはは、なんて滑稽なの! 王太子妃だかなんだか知らないけど、お飾りの妃にはこれがお似合いよ!』
アロアはそう笑って、ハサミを投げてくる。
頬にぶつかって、少しだけ切れた。
足元には赤い髪が、ニルシェの髪が落ちていた。はらはらと舞う赤髪と、床に落ちる髪を見て、言葉が出ない。
歯止めの効かない嫌がらせは、ますます酷くなる。
肩の中ほどまでしかないニルシェの赤髪は明らかに乱雑に切られていて、偶然会ったヴィルヘルムはそれに気がついて、眉をしかめた。そして、冷たく言った。
『みっともないな……』
ただ、一言。そう言われただけ。
胸が熱くなった。鼻がつんとして、視界がぼやける。
生理的なものだ。これは、感情起因ではない。
でも、涙を流すことを許されない。
手を強く握りしめて、爪が手のひらにくい込んで血が滲むほど握り、その痛みで涙を堪えた。
ヴィルヘルムはもう見ていなかったけれど、泣いてはいけないと思った。
その日の夜、ヴィルヘルムが手配したのか、無表情の侍女が訪れ、テキパキと髪の長さは揃えられた。
久しぶりに世話をされて驚くニルシェに、侍女は無表情に「王太子殿下のご命令です」と告げる。
それは、言外にヴィルヘルムの命でなければ来たくなかったと言っていた。
だけどニルシェはそれより、アロアを──ニルシェを嫌っているであろうに、侍女を遣わせた彼の優しさに触れて、彼のことを改めて思い出して。また泣きたくなった。
そしてまた二ヶ月が経ち、アロアが第二妃として入宮された。
ニルシェとは顔を合わせることはなかった。
きっと、ヴィルヘルムが指示を出したのだろう。
日に日に、ニルシェの部屋に訪れる人数は減っていく。今や、リディしか部屋にはいなかった。
『哀れな王太子妃殿下』
『怪しげな術を用いて王太子を惑わした毒婦』
『あんなになったら人間終わりね』
『彼女みたいにはなりたくない』
社交界に出ると、毎日のように投げかけられる言葉。
病のせいか、この環境のためか。
恐らく前者な気もするけれど、ニルシェはかなり体重を落としてしまっていた。入るドレスはほとんどない。ウエストがゆるすぎるのだ。手首も指も、細すぎてまるで死人のそれのようだと貴婦人が嘲笑っていた。
「私が悪いのだから」
そう言ってニルシェは自身の感情を戒める。
ニルシェは窓の外を見た。本日も生憎の大雨だ。
ニルシェの妊娠が発覚した。
時期的に最後、ニルシェが東の森の魔女に会いに行く前に彼と交した夜の時の子だろう。
あの時の子が実を結んだと聞いて嬉しいのに、同じくらい苦しい。アロアがも第二妃になってもうすぐで一ヶ月が経過する。残された時間はあと三ヶ月。
ニルシェは自分の腹部に触れた。
(だめなお母様でごめんなさい。あなたを産むことはきっと、出来ない)
ニルシェはあと六ヶ月しか生きることが出来ない。
責任を取らなければならない、とニルシェは思った。
そのためにはまず、東の森の魔女にもう一度会わなければ。魔法を解いてもらう、というのはあまりにも烏滸がましい。
だけどもしニルシェの命を代償にすることで、多少は話を聞いてくれないだろうか。
いや、彼女に差し出せるものはなんだって渡す。
ニルシェはどうなってもいいと感じていた。彼女は、自業自得なのだから。
だけど、ヴィルヘルムはそうではない。彼は違うのだ。
彼はきっと、このことを知ったら傷つくだろう。それは元より、ニルシェが避けたいことだった。愚かだと自覚している。反省している。いいえ、そんな言葉では到底足りない。
何をしてでも、何でもするから。だからどうか、この悪夢に終止符を打って欲しかった。
しかしその思いに反して、何度も何度も東の森に足を運んでいるが、魔女に会うことは出来なかった。
誰も心配する侍女がおらず、御者も金を握らせれば、運んでくれるのでその点は構わなかったが、最近は体の不調が多く森に向かいにくなっていた。
加えて雨の日はよりいっそう。
頭が痛む。腹がしくしくと痛む。
東の森に行けない日が続く。
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