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一章
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ヴィルヘルムの愛情表現はストレートで、わかりやすい。
外を歩く時は手を繋ぎ、お忍びで街に降りた時は互いに買ったものを食べあった。庶民のような普通の触れ合いを、ニルシェも、そしてヴィルヘルムも楽しんでいるようだった。好きだと何度も口にする彼に、アロアのことを聞く勇気はニルシェにはなかった。
ただでさえ彼女は意地っ張りで、素直になれない。もし口論になったらとんでもない醜態を見せることになるだろうとうすらとニルシェはわかっていた。それが、怖かったのだ。
『ニルシェは不思議だ。僕をこんなに緊張させるのに、同じくらいほっとするんだから』
まだ婚約してた時、ニルシェと手と重ねてヴィルヘルムは笑って言った。
その細められた瞳が、心から愛しいと言っている瞳が、ニルシェの疑念に凝り固まった心を溶かしていく。
ニルシェはある日、寝る前にふと思った。
(私がいなければ、ヴィルヘルムと結婚していたのはアロア様だったかもしれない)
私がいたせいで。その気持ちはだんだんニルシェを思いつめていった。ヴィルヘルムの愛は見せかけかもしれない。本当の気持ちはアロアにあるのかも。だけど彼は直系の王族の義務として、アロアとの関係を終わらせた。
もしこの仮定が正しければニルシェはとんでもないお邪魔虫だ。のほほんと幸せに暮らしていていいはずがない。だけどニルシェは、ヴィルヘルムを愛していた。
彼らの関係を邪魔する障害物であったとしても彼をあきらめきれないくらいには愛していた。ニルシェは罰が当たったのだと思った。幸福のさなかにいたニルシェは、だけど絶望の底へと落とされた。ニルシェに唯一できる罪滅ぼしは、ひとつしか思いつかなかった。
(わたしはヴィルヘルムの幸福を願っている)
例え、その結ばれる相手がニルシェではなかったとしても。
ニルシェが目を伏せて物思いに耽っていると、突如として魔女はゲラゲラ笑いだした。
「あっははは! あはは! あははははははははは!!」
魔女はしまいにはテーブルを叩きなが笑い始め、リディがその異様さにひっと息を飲んだ。
魔女はひとしきり笑うとローブの中に指を突っ込んだ。どうやら笑いすぎて涙が出たらしい。
「そうかい、そうかい|《・・・・》 そうなったかい! いいねぇ! これぞ喜劇だ! 題名はなんてしようか! ああ、運命のピエロとかどうだい」
「お答えは?」
「せっかちだなぁ。まあいい! いいよ。いいさぁ! いいに決まってる。こんな面白い話はトンとない! こっちだ、きな」
魔女はおもむろに立ち上がった。
彼女が立ち上がると同時に吸い込まれるようににテーブルが動く。そのままそれはするすると廊下の方に動いた。それに続いてニルシェも席を立つ。
「ああ、あんたはここにいな。ついてこれるのはオキサキサマだけだ」
続こうとするリディに魔女が言う。リディは蒼白になるながらも震えた声で言った。
「わ、私は妃殿下の侍女で、その身をお守りするためにここに……」
「はんっ。身をお守り、ねぇ? 面白いこと言うね。言っとくが、あんたごときじゃぁあたしからお妃様は守れない。わかってんだろう」
「…………」
リディはうつむいた。彼女はまだ十五歳になったばかりだ。
ニルシェはそんな彼女に精神的負担をかけていることを申し訳なく思った。
「リディ、ここで待っていてくれる?」
「妃殿下。ですが」
「大丈夫。彼女はわたしを殺さないわ。殺すのなら、この家に入った時点で殺されてる。すぐ戻るわ」
ニルシェは魔女を見た。
魔女はかなり小柄だった。ニルシェよりもその背は低いように見えるが、魔女は姿を偽ることもできる。
果たして今の姿は本物なのだろうか。
「お願いします」
ニルシェが頭を下げると、魔女は口元をゆがめて笑う。
ローブには何かの魔法がかけられているのか、口元から上は、ただただ黒だけが広がっているだけで、顔形は一切わからなかった。
ニルシェは先ほどの赤い瞳を思い出す。射貫くような強いまなざしだった。
先程赤い瞳が見えたのはもしかして魔女が意図したものだったのかもしれない。
ニルシェは答えの見つからない謎を考えながらも、魔女の後をおった。
「ほら、ここだよ」
魔女が向かったのは先程のどこまでも続いているように見える廊下だった。魔女のあとを続くと左右にいくつもの部屋が見える。
(ここでひとりにされたら迷子になってしまいそうだわ………)
魔女が廊下を少し進んだところで立ち止まり、右手の扉を開けた。
中は、普通の小部屋のようだった。
魔女が部屋に入る。ニルシェもそれに続く。
「さて、邪魔もんもいなくなったしさっきの話の続きをしよう」
魔女はそう言うと、話を続けた。
「あたしに不可能はない。だけど、それは不可能を可能にするだけであって、それ自体を可能にするわけじゃぁないんだ」
「…………意味をお伺いしても?」
「ははは、言葉遊びに聞こえたかい? だけどその通りなのさ。あたしにできないことは無いが、それはできることを無理にできるようにさせてるからだ」
「…………」
やはり、魔女の言葉はよくわからない。
彼女の言うとおり、言葉遊びにしか思えなかった。
だけど魔女はすたすたとそのまま室内を歩いてしまって、そして木の引き出しの前で立ち止まった。彼女はそこから何かを取り出す。
先程の話からして惚れ薬だと思うが───しかし、彼が取りだしたのは何か………木版のようなものだった。プレートのようにも見える。
「さて、さっきの答え合わせさね。まず、あたしに惚れ薬は作れない」
外を歩く時は手を繋ぎ、お忍びで街に降りた時は互いに買ったものを食べあった。庶民のような普通の触れ合いを、ニルシェも、そしてヴィルヘルムも楽しんでいるようだった。好きだと何度も口にする彼に、アロアのことを聞く勇気はニルシェにはなかった。
ただでさえ彼女は意地っ張りで、素直になれない。もし口論になったらとんでもない醜態を見せることになるだろうとうすらとニルシェはわかっていた。それが、怖かったのだ。
『ニルシェは不思議だ。僕をこんなに緊張させるのに、同じくらいほっとするんだから』
まだ婚約してた時、ニルシェと手と重ねてヴィルヘルムは笑って言った。
その細められた瞳が、心から愛しいと言っている瞳が、ニルシェの疑念に凝り固まった心を溶かしていく。
ニルシェはある日、寝る前にふと思った。
(私がいなければ、ヴィルヘルムと結婚していたのはアロア様だったかもしれない)
私がいたせいで。その気持ちはだんだんニルシェを思いつめていった。ヴィルヘルムの愛は見せかけかもしれない。本当の気持ちはアロアにあるのかも。だけど彼は直系の王族の義務として、アロアとの関係を終わらせた。
もしこの仮定が正しければニルシェはとんでもないお邪魔虫だ。のほほんと幸せに暮らしていていいはずがない。だけどニルシェは、ヴィルヘルムを愛していた。
彼らの関係を邪魔する障害物であったとしても彼をあきらめきれないくらいには愛していた。ニルシェは罰が当たったのだと思った。幸福のさなかにいたニルシェは、だけど絶望の底へと落とされた。ニルシェに唯一できる罪滅ぼしは、ひとつしか思いつかなかった。
(わたしはヴィルヘルムの幸福を願っている)
例え、その結ばれる相手がニルシェではなかったとしても。
ニルシェが目を伏せて物思いに耽っていると、突如として魔女はゲラゲラ笑いだした。
「あっははは! あはは! あははははははははは!!」
魔女はしまいにはテーブルを叩きなが笑い始め、リディがその異様さにひっと息を飲んだ。
魔女はひとしきり笑うとローブの中に指を突っ込んだ。どうやら笑いすぎて涙が出たらしい。
「そうかい、そうかい|《・・・・》 そうなったかい! いいねぇ! これぞ喜劇だ! 題名はなんてしようか! ああ、運命のピエロとかどうだい」
「お答えは?」
「せっかちだなぁ。まあいい! いいよ。いいさぁ! いいに決まってる。こんな面白い話はトンとない! こっちだ、きな」
魔女はおもむろに立ち上がった。
彼女が立ち上がると同時に吸い込まれるようににテーブルが動く。そのままそれはするすると廊下の方に動いた。それに続いてニルシェも席を立つ。
「ああ、あんたはここにいな。ついてこれるのはオキサキサマだけだ」
続こうとするリディに魔女が言う。リディは蒼白になるながらも震えた声で言った。
「わ、私は妃殿下の侍女で、その身をお守りするためにここに……」
「はんっ。身をお守り、ねぇ? 面白いこと言うね。言っとくが、あんたごときじゃぁあたしからお妃様は守れない。わかってんだろう」
「…………」
リディはうつむいた。彼女はまだ十五歳になったばかりだ。
ニルシェはそんな彼女に精神的負担をかけていることを申し訳なく思った。
「リディ、ここで待っていてくれる?」
「妃殿下。ですが」
「大丈夫。彼女はわたしを殺さないわ。殺すのなら、この家に入った時点で殺されてる。すぐ戻るわ」
ニルシェは魔女を見た。
魔女はかなり小柄だった。ニルシェよりもその背は低いように見えるが、魔女は姿を偽ることもできる。
果たして今の姿は本物なのだろうか。
「お願いします」
ニルシェが頭を下げると、魔女は口元をゆがめて笑う。
ローブには何かの魔法がかけられているのか、口元から上は、ただただ黒だけが広がっているだけで、顔形は一切わからなかった。
ニルシェは先ほどの赤い瞳を思い出す。射貫くような強いまなざしだった。
先程赤い瞳が見えたのはもしかして魔女が意図したものだったのかもしれない。
ニルシェは答えの見つからない謎を考えながらも、魔女の後をおった。
「ほら、ここだよ」
魔女が向かったのは先程のどこまでも続いているように見える廊下だった。魔女のあとを続くと左右にいくつもの部屋が見える。
(ここでひとりにされたら迷子になってしまいそうだわ………)
魔女が廊下を少し進んだところで立ち止まり、右手の扉を開けた。
中は、普通の小部屋のようだった。
魔女が部屋に入る。ニルシェもそれに続く。
「さて、邪魔もんもいなくなったしさっきの話の続きをしよう」
魔女はそう言うと、話を続けた。
「あたしに不可能はない。だけど、それは不可能を可能にするだけであって、それ自体を可能にするわけじゃぁないんだ」
「…………意味をお伺いしても?」
「ははは、言葉遊びに聞こえたかい? だけどその通りなのさ。あたしにできないことは無いが、それはできることを無理にできるようにさせてるからだ」
「…………」
やはり、魔女の言葉はよくわからない。
彼女の言うとおり、言葉遊びにしか思えなかった。
だけど魔女はすたすたとそのまま室内を歩いてしまって、そして木の引き出しの前で立ち止まった。彼女はそこから何かを取り出す。
先程の話からして惚れ薬だと思うが───しかし、彼が取りだしたのは何か………木版のようなものだった。プレートのようにも見える。
「さて、さっきの答え合わせさね。まず、あたしに惚れ薬は作れない」
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