5 / 8
【ロベリア】の聖女
しおりを挟む
ぽつぽつと降り出した雨は、あっという間に豪雨となった。
日が暮れるにつれ、雨足は強まった。
城下町近くの街に入ると、彼は馬から降りて、私もまた、彼に支えられながら下馬する。
向かった先は、大通りから離れた酒屋が並ぶとおりだった。
色の香りが強いその場所で、私と彼の組み合わせはとても目立つようだった。
四方からじろじろと視線を向けられる。
「…………」
道端には、ネグリジェのような薄い服を纏った女が複数人立っている。
ここが色街であることはあきらかだ。
なぜ彼がここに来たのか、彼の意図が掴めないながらも、私は彼の隣を歩いた。
少し歩いただけでも、酒屋がいくつか隣合って並んでいる。店の前では女が品定めするようにこちらを見ていた。
ここは、酒屋──というよりも、娼館と言った方が近いのではないだろうか。
私が困惑していると、するりと音もなく女がファルアランに近寄った。
「お兄さん、とっても綺麗ね。ね、一晩どうかしら。安くしてあげる」
あからさまな誘いの言葉に内心ギョッとしていると、彼は慣れたように私の肩を抱き寄せた。それにもまた、驚いた。
「女なら既に買ってる」
彼の素っ気ない、冷たいともいえる声に、女は先程の勢いは削がれたようだった。
「あ、そう。三人で、っていうのも良くないかしら?楽しませるけど」
「そういう性癖はない。ついでに、お前は俺の好みでもない」
「な……!!」
「…………」
女性を振り切るための演技だとわかっていても、動揺した。
私の知る彼は、いつだって私の感情を第一に優先してくれる。
彼は優しいひとだ。
だから、彼の厳しい言葉を聞くのは初めてだった。
「さいってい!いくら黒髪って言ってもねぇ!あの聖女と同じ色じゃない!【ロベリア】の聖女だったかしら?あんなんと同じ色とか、私は無理!私は【クロリス】の聖女と同じ銀髪だもの。こちらの方がよほど魅了的だわ」
「──」
ロベリアの聖女?
私が思わず彼女に視線を向けようとした時、ふと視線が遮られた。
ファルアランだ。
彼はさっと私の目元を手で覆い隠すと、もう片方の手で私の手を引いた。
無視される形となった女はさらに憤慨していたようだが、今は彼女よりも気になることがあった。
「ねえ、ロベリアの聖女って」
「もう少しで宿に着きます。それまではお静かに」
口早に彼が言う。
彼に手を引かれた私は、ぐっと言葉を飲み込んだ。
やがて彼が入ったのは、看板のない、酒屋だった。
彼は、カウンター内にいる店主にいくらかの金を渡すと、そのまま奥の階段へ向かった。
歩く度に床がギシギシと軋む。
床が抜けないか気になりながら進んだ先で、彼が鍵を取りだした。
先程店主から受け取ったもののようだ。
鍵を回し扉を開けると、彼が先に入り、私もそれに続いた。
キィ、バタン、という木の軋む音が響き、扉が閉まった。
ファルアランが、無表情に扉の鍵を回した。
「……それで、色々と気になることがあるのだけど。説明してくれるのかしら」
扉のすぐ近くで、私は彼に尋ねた。
彼は私を静かに見つめた後、まつ毛を伏せて頷いた。
「はい。ようやく一心地着きましたので。とはいえ、長居は禁物です。明日の朝にはここを出ます」
「…………。お前が、大通りではなくここを選んだのには、訳があるの?」
私は部屋を見回した。
簡素で質素な部屋には、ベッドと木の椅子くらいしかない。
私はただ馬に乗っていただけだが、馬を操り王都からこの街まで来たファルアランは疲れているだろう。
彼に椅子を譲るべきだと考え、私はベッドに腰掛けた。
しかし、彼は椅子に座ることなく、立ったままだ。顔を上げると、彼は跪いた。
私の前で。
「仰るとおりです」
私の手を取り、彼が私の手の甲に口付ける。
その後、指先にも。
私は自身の手を取り戻すと、彼に命じた。
「あなたも座りなさい。そこにいられると気になります」
「かしこまりました」
彼は素直に椅子に腰掛けると、長い銀髪を後ろに払った。
冷たさすら感じる容姿の彼がそうすると、その仕草さえも意図めいたものを感じてしまう。
エラント子爵家に連れてこられた時は、ただ見目が優れた少年に過ぎなかったのだが、子爵家で過ごすうちに気品さが身についたためだろう。
彼からは優雅さも感じ取れた。
「大通りの食事処や宿屋は、教会と通じているため、使えません。店主には、教会への報告義務があります。我々が現れたことを知れば、不審な人物として、教会支部へ報告する」
「……そうなの」
私は彼から知らされた事実と、自身の無知さ、両方に驚いた。
思えば私は、何も知らない。
知らされていないのだ。
本来なら貴族令嬢は幼い頃からサロンで情報交換を行うが、生まれながらに聖女であった私にそれは当てはまらない。
私に課されたことは毎日の祈りだけ。
聖女として生きることが、私に求められたことだった。
「この辺りは、不正に開かれている店です。酒屋や娼館は、教会への登録義務がありますが、彼らはそれをしていない。教会に登録できない理由があるのか、あるいは登録税の支払いを拒んでいるためか──理由は不明ですが、判明していることがあります」
「……不正に開かれている店ならば、教会に密告されない?」
「その可能性は高いかと」
「……そうなの。あなた、物知りね。私が世間知らずなだけかしら」
日が暮れるにつれ、雨足は強まった。
城下町近くの街に入ると、彼は馬から降りて、私もまた、彼に支えられながら下馬する。
向かった先は、大通りから離れた酒屋が並ぶとおりだった。
色の香りが強いその場所で、私と彼の組み合わせはとても目立つようだった。
四方からじろじろと視線を向けられる。
「…………」
道端には、ネグリジェのような薄い服を纏った女が複数人立っている。
ここが色街であることはあきらかだ。
なぜ彼がここに来たのか、彼の意図が掴めないながらも、私は彼の隣を歩いた。
少し歩いただけでも、酒屋がいくつか隣合って並んでいる。店の前では女が品定めするようにこちらを見ていた。
ここは、酒屋──というよりも、娼館と言った方が近いのではないだろうか。
私が困惑していると、するりと音もなく女がファルアランに近寄った。
「お兄さん、とっても綺麗ね。ね、一晩どうかしら。安くしてあげる」
あからさまな誘いの言葉に内心ギョッとしていると、彼は慣れたように私の肩を抱き寄せた。それにもまた、驚いた。
「女なら既に買ってる」
彼の素っ気ない、冷たいともいえる声に、女は先程の勢いは削がれたようだった。
「あ、そう。三人で、っていうのも良くないかしら?楽しませるけど」
「そういう性癖はない。ついでに、お前は俺の好みでもない」
「な……!!」
「…………」
女性を振り切るための演技だとわかっていても、動揺した。
私の知る彼は、いつだって私の感情を第一に優先してくれる。
彼は優しいひとだ。
だから、彼の厳しい言葉を聞くのは初めてだった。
「さいってい!いくら黒髪って言ってもねぇ!あの聖女と同じ色じゃない!【ロベリア】の聖女だったかしら?あんなんと同じ色とか、私は無理!私は【クロリス】の聖女と同じ銀髪だもの。こちらの方がよほど魅了的だわ」
「──」
ロベリアの聖女?
私が思わず彼女に視線を向けようとした時、ふと視線が遮られた。
ファルアランだ。
彼はさっと私の目元を手で覆い隠すと、もう片方の手で私の手を引いた。
無視される形となった女はさらに憤慨していたようだが、今は彼女よりも気になることがあった。
「ねえ、ロベリアの聖女って」
「もう少しで宿に着きます。それまではお静かに」
口早に彼が言う。
彼に手を引かれた私は、ぐっと言葉を飲み込んだ。
やがて彼が入ったのは、看板のない、酒屋だった。
彼は、カウンター内にいる店主にいくらかの金を渡すと、そのまま奥の階段へ向かった。
歩く度に床がギシギシと軋む。
床が抜けないか気になりながら進んだ先で、彼が鍵を取りだした。
先程店主から受け取ったもののようだ。
鍵を回し扉を開けると、彼が先に入り、私もそれに続いた。
キィ、バタン、という木の軋む音が響き、扉が閉まった。
ファルアランが、無表情に扉の鍵を回した。
「……それで、色々と気になることがあるのだけど。説明してくれるのかしら」
扉のすぐ近くで、私は彼に尋ねた。
彼は私を静かに見つめた後、まつ毛を伏せて頷いた。
「はい。ようやく一心地着きましたので。とはいえ、長居は禁物です。明日の朝にはここを出ます」
「…………。お前が、大通りではなくここを選んだのには、訳があるの?」
私は部屋を見回した。
簡素で質素な部屋には、ベッドと木の椅子くらいしかない。
私はただ馬に乗っていただけだが、馬を操り王都からこの街まで来たファルアランは疲れているだろう。
彼に椅子を譲るべきだと考え、私はベッドに腰掛けた。
しかし、彼は椅子に座ることなく、立ったままだ。顔を上げると、彼は跪いた。
私の前で。
「仰るとおりです」
私の手を取り、彼が私の手の甲に口付ける。
その後、指先にも。
私は自身の手を取り戻すと、彼に命じた。
「あなたも座りなさい。そこにいられると気になります」
「かしこまりました」
彼は素直に椅子に腰掛けると、長い銀髪を後ろに払った。
冷たさすら感じる容姿の彼がそうすると、その仕草さえも意図めいたものを感じてしまう。
エラント子爵家に連れてこられた時は、ただ見目が優れた少年に過ぎなかったのだが、子爵家で過ごすうちに気品さが身についたためだろう。
彼からは優雅さも感じ取れた。
「大通りの食事処や宿屋は、教会と通じているため、使えません。店主には、教会への報告義務があります。我々が現れたことを知れば、不審な人物として、教会支部へ報告する」
「……そうなの」
私は彼から知らされた事実と、自身の無知さ、両方に驚いた。
思えば私は、何も知らない。
知らされていないのだ。
本来なら貴族令嬢は幼い頃からサロンで情報交換を行うが、生まれながらに聖女であった私にそれは当てはまらない。
私に課されたことは毎日の祈りだけ。
聖女として生きることが、私に求められたことだった。
「この辺りは、不正に開かれている店です。酒屋や娼館は、教会への登録義務がありますが、彼らはそれをしていない。教会に登録できない理由があるのか、あるいは登録税の支払いを拒んでいるためか──理由は不明ですが、判明していることがあります」
「……不正に開かれている店ならば、教会に密告されない?」
「その可能性は高いかと」
「……そうなの。あなた、物知りね。私が世間知らずなだけかしら」
78
お気に入りに追加
330
あなたにおすすめの小説
【R18】殿下!そこは舐めてイイところじゃありません! 〜悪役令嬢に転生したけど元潔癖症の王子に溺愛されてます〜
茅野ガク
恋愛
予想外に起きたイベントでなんとか王太子を救おうとしたら、彼に執着されることになった悪役令嬢の話。
☆他サイトにも投稿しています
悪役令嬢なのに王子の慰み者になってしまい、断罪が行われません
青の雀
恋愛
公爵令嬢エリーゼは、王立学園の3年生、あるとき不注意からか階段から転落してしまい、前世やりこんでいた乙女ゲームの中に転生してしまったことに気づく
でも、実際はヒロインから突き落とされてしまったのだ。その現場をたまたま見ていた婚約者の王子から溺愛されるようになり、ついにはカラダの関係にまで発展してしまう
この乙女ゲームは、悪役令嬢はバッドエンドの道しかなく、最後は必ずギロチンで絶命するのだが、王子様の慰み者になってから、どんどんストーリーが変わっていくのは、いいことなはずなのに、エリーゼは、いつか処刑される運命だと諦めて……、その表情が王子の心を煽り、王子はますますエリーゼに執着して、溺愛していく
そしてなぜかヒロインも姿を消していく
ほとんどエッチシーンばかりになるかも?
男友達を家に入れたら催眠術とおもちゃで責められ調教されちゃう話
mian
恋愛
気づいたら両手両足を固定されている。
クリトリスにはローター、膣には20センチ弱はある薄ピンクの鉤型が入っている。
友達だと思ってたのに、催眠術をかけられ体が敏感になって容赦なく何度もイかされる。気づけば彼なしではイけない体に作り変えられる。SM調教物語。
鬼畜柄の愛撫 〜口答えをする暇があるならベッドで脚を開きたまえ〜
Adria
恋愛
「これから君に屈辱と快感を与える主人の顔を、よくその眼に刻みつけたまえ」
侯爵令嬢シルヴィアは、ある日第3王子の婚約者候補に選ばれてしまった。
だが第3王子は女性にだらしないと有名な人。控えめに言っても苦手なのでシルヴィアは辞退することに決めたのだが、そのことが彼のプライドを傷つけたのか……その日から始まる彼の鬼のような所業にシルヴィアは惨めにも堕ちていく。
※タイトルやタグに鬼畜とあるようにヒーローがヒロインを慮らない態度や行為が中盤くらいまで続きます。そういうのが苦手な方は気をつけてください。
表紙絵/束原ミヤコ様(@arisuthia1)
【R18】私は婚約者のことが大嫌い
みっきー・るー
恋愛
侯爵令嬢エティカ=ロクスは、王太子オブリヴィオ=ハイデの婚約者である。
彼には意中の相手が別にいて、不貞を続ける傍ら、性欲を晴らすために婚約者であるエティカを抱き続ける。
次第に心が悲鳴を上げはじめ、エティカは執事アネシス=ベルに、私の汚れた身体を、手と口を使い清めてくれるよう頼む。
そんな日々を続けていたある日、オブリヴィオの不貞を目の当たりにしたエティカだったが、その後も彼はエティカを変わらず抱いた。
※R18回は※マーク付けます。
※二人の男と致している描写があります。
※ほんのり血の描写があります。
※思い付きで書いたので、設定がゆるいです。
伯爵令嬢のユリアは時間停止の魔法で凌辱される。【完結】
ちゃむにい
恋愛
その時ユリアは、ただ教室で座っていただけのはずだった。
「……っ!!?」
気がついた時には制服の着衣は乱れ、股から白い粘液がこぼれ落ち、体の奥に鈍く感じる違和感があった。
※ムーンライトノベルズにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる