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聖女と、騎士
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私は、罪人を捕らえる牢獄へと放り込まれた。
燭台の火が絶やさずに燃やされているおかげで暗闇ではない。
周囲を見渡し、その堅牢な造りから、王城の中でも最奥に位置するであろう牢獄であることは察しがついた。
縛られた手を無感情に見つめる。
このまま、ここにいていいはずがない。
私は【聖女】なのだから、ここを出て、務めを果たさなければならない。
でも、どうやって。
揺れる炎を見つめながら思案していた時だった。
ふ、と顔に影が落ちた気がした。
見張りかと思い、顔を上げる──。
「……お前」
乾いた声が出た。
なぜ、彼がそこにいるのか分からなかった。
なぜ、彼がこうしてここに来たのかもわからなかった。
なぜ、彼が私に会いに来たのかも。
幻かと思った。
これは、一種の逃避だろう、と私は予想した。
だけど、私の考えに反し──その幻影は、しっかりと、彼の声で。
私の知る、彼の声そのもので話し出した。
語り出した。
「お嬢様。遅くなり、申し訳ありません」
「……ファルアラン」
それは、私の──【聖女】の護衛騎士を務める、ファルアランだった。
私が彼と出会った時、私は十歳だった。
あれから八年もの時が経った。
やせ細った、彼の体も今や厚みがあり、騎士らしく、逞しい。
当時、彼に抱いた優美さはそのままに、彼はさっとその場に跪いた。
泥や煤、赤黒い染みに覆われた、剥き出しの地面に膝をついたのだ。
服の裾が、床につくことも構わないようだった。
「お嬢様は、長きに渡り、務めを果たされました。その見返りが、これです。この国は、何もあなたに返さない。それどころか、あなたの長年の忠臣は無かったことに、いや、それ以上にひどい。あなたは、不必要なことを、あなたの我儘で行っていたと、彼らは言う」
「…………」
私は彼の話を静かに聞いていた。
彼はいつものように、冷めた目で、落ち着いた瞳で私を見ていた。
凪のような静寂がある。
穏やかさがある。
それなのに──彼の声は、ひどく凍てついていて、冷たい。
まるで、抜き身の刃のような、冷たさ。
「は。こんな馬鹿なことがあっていいはずがない。お嬢様。……私は、聖女の騎士ではない。私は、あなたの騎士です」
彼は、跪いたまま、恭しく言う。
まるで、何か、神聖な儀式かのように。
「もうこの国など、見捨ててしまえばよろしいのです」
彼は、それを言おうとしていたのだろう。
最初から。
ずっと、ずっと。
思えば、彼はずっと、そういう瞳で見ていたことに、今気がつく。
例えば、幼い私が、両親からの誕生日プレゼントが、実は侍従が手配しただけのものに過ぎないと気付いた時。
死ぬために──結界を貼り直すために、祈りに時間を捧げた時。
聖女だから、黒以外のドレスは身につけてはならないと言われ、他の色合いに仄かな憧れを抱いた時。
彼はいつも、私の近くにいた。
彼はいつも、私を肯定する言葉を口にしていたものの、その瞳はずっと雄弁で──。
なるほど、ずっと彼は、反発したかったのだろう。
するりと、それを理解する。
だけど、理解したところで、私がそれに頷くことは出来なかった。
なぜなら私は。
「……出来ません。私は、この国を、ラスザランを捨てることは出来ません」
「なぜですか。この国はあなたを裏切った。あなたを大切にしない国など、捨ててしまえばよろしい。あなたが──その力を使って。お命を削ってまで……守るべきものではない!」
本当に珍しい。
彼がこうして、声を荒らげるのは。
私は苦笑する。
表情筋は凍りついて、上手く動いたかはわからなかったけれど。
「私は、私の成すべきことを果たします。……ファルアラン。お前も、知っているでしょう?私はそのために生まれ、そのために生かされてきたのですよ。この国のため、ラスザランのため──聖女として、力を行使するために」
そう。
私は、【聖女】なのだから。
そのために生まれ、生かされ、育てられ。
そう在るようにと、望まれてきた。
その私が、それ以外の道を選べるはずがない。
聖女であることは、私の存在意義だ。
私は彼に手を伸ばした。
「……私を、ここから出してくれる?」
「…………私は」
「ファルアラン。これは、命令です。お前が、私の騎士だというのなら……忠実に、私の命に従うのが道理というものでしょう。私はお前を、信頼しています」
信頼している。
その言葉に、ぴく、と彼のまつ毛が震えた。
しばらくの静寂の後、彼は私の手を取ると、手の甲に口付けを落とした。
騎士の忠誠を示す、口付けだ。
「お嬢様のお心のままに」
「……ありがとう」
燭台の火が絶やさずに燃やされているおかげで暗闇ではない。
周囲を見渡し、その堅牢な造りから、王城の中でも最奥に位置するであろう牢獄であることは察しがついた。
縛られた手を無感情に見つめる。
このまま、ここにいていいはずがない。
私は【聖女】なのだから、ここを出て、務めを果たさなければならない。
でも、どうやって。
揺れる炎を見つめながら思案していた時だった。
ふ、と顔に影が落ちた気がした。
見張りかと思い、顔を上げる──。
「……お前」
乾いた声が出た。
なぜ、彼がそこにいるのか分からなかった。
なぜ、彼がこうしてここに来たのかもわからなかった。
なぜ、彼が私に会いに来たのかも。
幻かと思った。
これは、一種の逃避だろう、と私は予想した。
だけど、私の考えに反し──その幻影は、しっかりと、彼の声で。
私の知る、彼の声そのもので話し出した。
語り出した。
「お嬢様。遅くなり、申し訳ありません」
「……ファルアラン」
それは、私の──【聖女】の護衛騎士を務める、ファルアランだった。
私が彼と出会った時、私は十歳だった。
あれから八年もの時が経った。
やせ細った、彼の体も今や厚みがあり、騎士らしく、逞しい。
当時、彼に抱いた優美さはそのままに、彼はさっとその場に跪いた。
泥や煤、赤黒い染みに覆われた、剥き出しの地面に膝をついたのだ。
服の裾が、床につくことも構わないようだった。
「お嬢様は、長きに渡り、務めを果たされました。その見返りが、これです。この国は、何もあなたに返さない。それどころか、あなたの長年の忠臣は無かったことに、いや、それ以上にひどい。あなたは、不必要なことを、あなたの我儘で行っていたと、彼らは言う」
「…………」
私は彼の話を静かに聞いていた。
彼はいつものように、冷めた目で、落ち着いた瞳で私を見ていた。
凪のような静寂がある。
穏やかさがある。
それなのに──彼の声は、ひどく凍てついていて、冷たい。
まるで、抜き身の刃のような、冷たさ。
「は。こんな馬鹿なことがあっていいはずがない。お嬢様。……私は、聖女の騎士ではない。私は、あなたの騎士です」
彼は、跪いたまま、恭しく言う。
まるで、何か、神聖な儀式かのように。
「もうこの国など、見捨ててしまえばよろしいのです」
彼は、それを言おうとしていたのだろう。
最初から。
ずっと、ずっと。
思えば、彼はずっと、そういう瞳で見ていたことに、今気がつく。
例えば、幼い私が、両親からの誕生日プレゼントが、実は侍従が手配しただけのものに過ぎないと気付いた時。
死ぬために──結界を貼り直すために、祈りに時間を捧げた時。
聖女だから、黒以外のドレスは身につけてはならないと言われ、他の色合いに仄かな憧れを抱いた時。
彼はいつも、私の近くにいた。
彼はいつも、私を肯定する言葉を口にしていたものの、その瞳はずっと雄弁で──。
なるほど、ずっと彼は、反発したかったのだろう。
するりと、それを理解する。
だけど、理解したところで、私がそれに頷くことは出来なかった。
なぜなら私は。
「……出来ません。私は、この国を、ラスザランを捨てることは出来ません」
「なぜですか。この国はあなたを裏切った。あなたを大切にしない国など、捨ててしまえばよろしい。あなたが──その力を使って。お命を削ってまで……守るべきものではない!」
本当に珍しい。
彼がこうして、声を荒らげるのは。
私は苦笑する。
表情筋は凍りついて、上手く動いたかはわからなかったけれど。
「私は、私の成すべきことを果たします。……ファルアラン。お前も、知っているでしょう?私はそのために生まれ、そのために生かされてきたのですよ。この国のため、ラスザランのため──聖女として、力を行使するために」
そう。
私は、【聖女】なのだから。
そのために生まれ、生かされ、育てられ。
そう在るようにと、望まれてきた。
その私が、それ以外の道を選べるはずがない。
聖女であることは、私の存在意義だ。
私は彼に手を伸ばした。
「……私を、ここから出してくれる?」
「…………私は」
「ファルアラン。これは、命令です。お前が、私の騎士だというのなら……忠実に、私の命に従うのが道理というものでしょう。私はお前を、信頼しています」
信頼している。
その言葉に、ぴく、と彼のまつ毛が震えた。
しばらくの静寂の後、彼は私の手を取ると、手の甲に口付けを落とした。
騎士の忠誠を示す、口付けだ。
「お嬢様のお心のままに」
「……ありがとう」
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