上 下
3 / 8

聖女と、騎士

しおりを挟む
私は、罪人を捕らえる牢獄へと放り込まれた。
燭台の火が絶やさずに燃やされているおかげで暗闇ではない。
周囲を見渡し、その堅牢な造りから、王城の中でも最奥に位置するであろう牢獄であることは察しがついた。

縛られた手を無感情に見つめる。
このまま、ここにいていいはずがない。
私は【聖女】なのだから、ここを出て、務めを果たさなければならない。
でも、どうやって。
揺れる炎を見つめながら思案していた時だった。

ふ、と顔に影が落ちた気がした。

見張りかと思い、顔を上げる──。

「……お前」

乾いた声が出た。

なぜ、彼がそこにいるのか分からなかった。
なぜ、彼がこうしてここに来たのかもわからなかった。
なぜ、彼が私に会いに来たのかも。

幻かと思った。
これは、一種の逃避だろう、と私は予想した。

だけど、私の考えに反し──その幻影は、しっかりと、彼の声で。
私の知る、彼の声そのもので話し出した。
語り出した。

「お嬢様。遅くなり、申し訳ありません」

「……ファルアラン」

それは、私の──【聖女】の護衛騎士を務める、ファルアランだった。
私が彼と出会った時、私は十歳だった。
あれから八年もの時が経った。
やせ細った、彼の体も今や厚みがあり、騎士らしく、逞しい。
当時、彼に抱いた優美さはそのままに、彼はさっとその場に跪いた。
泥や煤、赤黒い染みに覆われた、剥き出しの地面に膝をついたのだ。
服の裾が、床につくことも構わないようだった。

「お嬢様は、長きに渡り、務めを果たされました。その見返りが、これです。この国は、何もあなたに返さない。それどころか、あなたの長年の忠臣は無かったことに、いや、それ以上にひどい。あなたは、不必要なことを、あなたの我儘エゴで行っていたと、彼らは言う」

「…………」

私は彼の話を静かに聞いていた。
彼はいつものように、冷めた目で、落ち着いた瞳で私を見ていた。
凪のような静寂がある。
穏やかさがある。
それなのに──彼の声は、ひどく凍てついていて、冷たい。
まるで、抜き身の刃のような、冷たさ。

「は。こんな馬鹿なことがあっていいはずがない。お嬢様。……私は、聖女の騎士ではない。私は、あなたの騎士です」

彼は、跪いたまま、恭しく言う。
まるで、何か、神聖な儀式かのように。

「もうこの国など、見捨ててしまえばよろしいのです」

彼は、それを言おうとしていたのだろう。

最初から。
ずっと、ずっと。
思えば、彼はずっと、そういう・・・・瞳で見ていたことに、今気がつく。

例えば、幼い私が、両親からの誕生日プレゼントが、実は侍従が手配しただけのものに過ぎないと気付いた時。

死ぬために──結界を貼り直すために、祈りに時間を捧げた時。

聖女だから、黒以外のドレスは身につけてはならないと言われ、他の色合いに仄かな憧れを抱いた時。

彼はいつも、私の近くにいた。
彼はいつも、私を肯定する言葉を口にしていたものの、その瞳はずっと雄弁で──。
なるほど、ずっと彼は、反発したかったのだろう。
するりと、それを理解する。
だけど、理解したところで、私がそれに頷くことは出来なかった。

なぜなら私は。

「……出来ません。私は、この国を、ラスザランを捨てることは出来ません」

「なぜですか。この国はあなたを裏切った。あなたを大切にしない国など、捨ててしまえばよろしい。あなたが──その力を使って。お命を削ってまで……守るべきものではない!」

本当に珍しい。
彼がこうして、声を荒らげるのは。
私は苦笑する。
表情筋は凍りついて、上手く動いたかはわからなかったけれど。

「私は、私の成すべきことを果たします。……ファルアラン。お前も、知っているでしょう?私はそのために生まれ、そのために生かされてきたのですよ。この国のため、ラスザランのため──聖女として、力を行使するために」

そう。
私は、【聖女】なのだから。
そのために生まれ、生かされ、育てられ。
そう在るようにと、望まれてきた。
その私が、それ以外の道を選べるはずがない。
聖女であることは、私の存在意義だ。

私は彼に手を伸ばした。

「……私を、ここから出してくれる?」

「…………私は」

「ファルアラン。これは、命令です。お前が、私の騎士だというのなら……忠実に、私の命に従うのが道理というものでしょう。私はお前を、信頼しています」

信頼している。
その言葉に、ぴく、と彼のまつ毛が震えた。
しばらくの静寂の後、彼は私の手を取ると、手の甲に口付けを落とした。
騎士の忠誠を示す、口付けだ。

「お嬢様のお心のままに」

「……ありがとう」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

妻の遺品を整理していたら

家紋武範
恋愛
妻の遺品整理。 片づけていくとそこには彼女の名前が記入済みの離婚届があった。

勝手にしなさいよ

恋愛
どうせ将来、婚約破棄されると分かりきってる相手と婚約するなんて真っ平ごめんです!でも、相手は王族なので公爵家から破棄は出来ないのです。なら、徹底的に避けるのみ。と思っていた悪役令嬢予定のヴァイオレットだが……

大丈夫のその先は…

水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。 新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。 バレないように、バレないように。 「大丈夫だよ」 すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

家出したとある辺境夫人の話

あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』 これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。 ※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。 ※他サイトでも掲載します。

【R18】人気AV嬢だった私は乙ゲーのヒロインに転生したので、攻略キャラを全員美味しくいただくことにしました♪

奏音 美都
恋愛
「レイラちゃん、おつかれさまぁ。今日もよかったよ」 「おつかれさまでーす。シャワー浴びますね」 AV女優の私は、仕事を終えてシャワーを浴びてたんだけど、石鹸に滑って転んで頭を打って失神し……なぜか、乙女ゲームの世界に転生してた。 そこで、可愛くて美味しそうなDKたちに出会うんだけど、この乙ゲーって全対象年齢なのよね。 でも、誘惑に抗えるわけないでしょっ! 全員美味しくいただいちゃいまーす。

処理中です...