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聖女として生きることを定められた女
しおりを挟む「もうこの国など、見捨ててしまえばよろしいのです」
牢獄の中、静かにそう言ったのは、私の護衛騎士──ファルアラン、そのひとだった。
目を見開く私に、彼は淡々と言葉を続けた。
座り込む私の前に膝をついて、私を真っ直ぐに見つめて。
星空を映したような群青色の瞳が、私を射抜く。
それは、恐ろしいほどの冷たさ。
何者にも囚われないような。
遮られないような。
そんな鋭さがあった。
痛いくらいの緊張感の中、私は思い出したように口を開いた。
今の状況をようやく、理解したのだ。
私の前に跪くファルアランが、ほんの僅かな間、見知らぬひとのように見えた。
彼は──私が十歳の時に出会い、それから八年の付き合いになるというのに。
どうして。
「……出来ません。私は、この国を、ラスザランを捨てることは出来ません」
「なぜですか。この国はあなたを裏切った。あなたを大切にしない国など、捨ててしまえばよろしい。あなたが──その力を使って。お命を削ってまで……守るべきものではない!」
打てば響くような早さで、彼も言葉を返す。
思えば、彼がこんなに声を荒らげるところを私は初めて見る。
それに意外さを覚えながら、そんな自分に内心苦笑する。
死刑を控えた身だと言うのに、ずいぶんと私は余裕がある。
さっきまで、どうすればいいのか。
何をすればいいのか。
道に迷った幼子のように──ひたすら困惑していただけなのに。
彼と会っただけで。
ファルアランを見て、彼と言葉を交わしただけで、私は自分でも知らずのうちにとても、安心感を抱いていたようだった。
まつ毛を伏せる。
苔の生えた、石の地面が目に入る。
岩肌が剥き出しになったこの牢獄は、本来貴族を収監するものでは無いのだと思う。
壁には、赤黒い──血痕のようなものが。
私の扱いが知れるというもの。
長年、この国のため。
ラスザランのため、尽くしてきた。
その結果が、これだ。
それに思うことはあれど、しかしそれは私の本来の責務を投げ出す理由にはならない。
「私は、私の成すべきことを果たします。……ファルアラン。お前も、知っているでしょう?私はそのために生まれ、そのために生かされてきたのですよ。この国のため、ラスザランのため──聖女として、力を行使するために」
そう。
だから、だから──。
こんなところで死刑にされては、困るのだ。
☆
エベリウム・エラント。
それが私の名前。
私は物心がついた時には【聖女】と呼ばれ、その責務を果たすよう、よくよく言い聞かされて育った。
聖女の証は、ただひとつ。
二の腕に現れる、三角が三つ、それぞれ向かい合うような紋様。
私が生まれた時には既に、二の腕には線で描いた紋様が刻まれていたという。
産声を上げる、全身真っ赤に染めた赤子を湯で洗っていた産婆は、その紋様に気がつくと、慌てて父に報告した。
父はそれを聞いてすぐに、王に聖女が生まれたことを伝えた。
ラスザラン王国では、百年に一度、聖女が生まれる。
聖女はその生涯をもって、ラスザランを守る結界に力を捧ぐ。
聖女の責務とは、即ち死を意味する。
聖女は、長生きができない。
その責務を果たすと同時に、死んでしまうからだ。
それは過去のどの文献を見ても明らかで、みな、二の腕の黒の紋様──三角が塗り潰されるように黒が色を増し、ついに全ての三角模様に色が塗られた時。
聖女は役目を果たす。
つまり、死ぬのだ。
『あなたは聖女なのですから、その責務を果たすのですよ』
幼い頃から言い聞かされた言葉。
『ラスザランを守れることを栄誉に思うのです。お前の名は、史実書にも乗るでしょう。百年後の聖女様もまた、お前の姿を思い描くことでしょう。未来に繋げられるよう、国民に誇れる聖女になるのですよ』
母と父は、極力私に関わろうとしなかった。
いずれ死ぬ娘だ。
可愛がったところで、死んでしまっては悲しい思いをする。
だから、最初から可愛がることをしない。
その選択は、彼らにとって傷にならない最善だったのだろう。
私は両親の選択を責めない。
私の代わりに、妹が溺れるような愛を受けていることも、仕方の無いことだと思う。
両親の愛を知らず、メイドからも最低限の世話を受けて育った。
聖女として敬れ、尊ばれても、他人との関係はあまりにも希薄だった。
私にあるのは【聖女】の責務を果たすこと。
ただ、それだけ。
顔も見ない民たちの生活を守るため。
ラスザランの国を生かすため。
そのために、今日も私は祈っている。
十歳の頃、母がひとりの少年を連れてきて、私に引き合わせた。
「あなたの護衛騎士です」
母の言葉に、私は正面の少年へと視線を向ける。
──驚いた。
少年は、息を飲むほど端正な顔をしていた。
美麗で、綺麗で、美しく、可憐で──。
称える言葉がいくつも頭に浮かんでは、そのどれもが彼の前では陳腐なものに成り下がる気がした。
少年はどこか不満そうに私を見ていた。
よく見ると、手足はやせ細り、骨のような体つきをしている。鎖骨も浮き出ていた。
彼は、じっ私を見ていた。
まるで、敵か味方か、判断するかのごとく。
長い白銀のまつ毛を伏せ、睨むように、凄むように、見つめている。
前髪は少し長く、瞳にかかっていた。
銀色の髪は、まるで月明かりを浴びた刃物のような鋭さと危うさ、ひとを魅了する美しさがあった。
月下に輝くナイフのような、恐ろしさにも似た美麗さがあったのだ。
今ならわかる。
きっとあれは、色気、というものだったのだろう。
ひとを魅了する、魔物のような色気があったのだ。彼には。
それは、ひとではない、と言われても納得出来てしまいそうなほど、人間離れした美しさだった。
その驚きは、芸術に感服するのと、よく似ていた。
目を見開いて黙り込む私に、母が言う。
「とても美しいでしょう。あなたは国を守る聖女なのだから……聖女には、騎士がいなければね。本当は黒髪が良かったんだけど、これだけ綺麗だったら構わないわね。エベリウム。この子は、あなたのものよ。好きなようになさい」
思えば、あれは最初で最後の母の気遣いだったのかもしれなかった。
もしかしたら、【聖女】としての見栄えを良くするために。【聖女】を擁する家とはいえ、我が家は子爵家に過ぎない。
社交界では下から数えた方が早い位置付けだ。
だからこそ、【聖女】が大切なのだろうと思う。
初めて彼と引き合わされた時。
私は十歳。
彼は、十二歳。
互いにまだ子供で、未熟で、きっと──いちばん、私が素直でいれた時のこと。
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