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フェアリル・ユノン・エルヴィノア ⑥
しおりを挟む「愛とは、考えるよりも先に心が動くものだ──ね」
サラサラとサインを記しながら独り言のように呟いた。書類整理をしていた彼の秘書であるヴァートンが顔を上げた。
「古典文献学者、レロイドルの言葉ですね。……どうかしたんですか?」
メガネのつるを押し上げながら尋ねるヴァートンに、フェアリルは1枚の書類を書き上げると、それを脇の紙束の上に積み重ね言った。
「いや……。そういえばお前にも婚約者がいたね。きみと彼女は恋愛婚約?」
「は?いやー……特にそういった感情はありませんね。互いに」
「そう」
それが普通だ。貴族なら。
恋愛結婚する方がよほど珍しい。貴族の婚姻などそんなもの。
(ヴァートンに聞くべきではなかったかな)
なにせ、質素・健全・真面目をそのまま体現したかのような|フェアリル(かれ)の秘書を長年務めているくらいである。
フェアリルは自分と似たところのあるヴァートンを気に入っていたが、自分と似ているということはつまり恋愛に縁がないということだ。
彼は珍しくフェリアルに一切興味のない人間だった。最初は彼の秘書をやることすら嫌がっていたのを、半ば無理やり、強制的にフェアリルが取り立てたのだ。
(──賭けにもどうやら負けたようだし、これは傷心ってやつなのかな)
このままではいずれリリアンナは死ぬだろう。その訃報が届いた時、自分はどんな感情を送られることになるのだろう。想像ができない。
なんだか居心地が悪いというか、妙に座りが悪いというか。落ち着かない気持ちでいると、不意に喧しい騒音が聞こえてきた。
女の話し声と、慌てたような男の声が入り交じっている。
フェリアルがなんだと顔を上げると同時。その騒音の正体は彼の執務室までたどり着いた。
誰何するより先にけたたましく扉が開かれる。
「お兄様!どうしてお手紙のお返事をくれないのですか!?」
そして、現れた女は彼と同じく黄金の髪をしていた。
「……ベルティニア」
うんざりした気持ちでフェアリルは呟いた。
腹違いの妹は名を呼ばれると、花開くような笑みを浮かべた。
「ええ!そうよお兄様。最近、妙な噂を聞いたの。ねえ、どこぞの王女が礼儀知らずにもひとりでこの城を訪れたって……本当?」
甘えた声を出す妹に対し、フェアリルはそちらを見ようともせず、山となっている書類へと手を伸ばした。
「見て分からない?今忙しいんだよね。ヴァートン、彼女を馬車留めまで送ってあげて」
「お兄様!」
悲鳴のような声を上げるベルティニアと、嫌そうな顔をするヴァートン。しかしフェアリルは一切そちらを気にする様子を見せず、手を動かしている。
ちなみにベルティニアは王城では暮らしておらず、側室の実家である伯爵家有する離宮に暮らしていた。これも、フェアリルの差配だった。
「ねえ、どうして?お兄様。どうして私にそんなに冷たいの。昔はベルって呼んでくれたじゃない!」
一切の対話を放棄するフェアリルに対し、ベルティニアは悲痛な声を上げた。
「っ……お兄様!!」
あまりにも相手にされないことに焦れたベルティニアは強く執務机を叩いた。
ばん!という打音がし、フェアリルの記していた書類が彼女の手によって隠される。
身を乗り出してきた妹に対し、フェアリルは心底嫌そうな顔をするがやはり視線はそちらに向けることは無かった。
「……ベルティニア」
咎めるような声で呼ばれて、それでもベルティニアは諦めなかった。
「お兄様!答えて。私のことが……嫌い、なの?」
「…………」
その場でただ影に徹していたヴァートンは早くもこの部屋から出たかった。
(ベルティニア王女が急襲する少し前にこの部屋を出れていれば……!そうすればこの騒動にも巻き込まれることもなかったのにな……)
非常にいたたまれない。
そしてめんどくさい。ヴァートンはこと恋愛絡みの揉め事を嫌っていた。たいてい泥沼化、長期化し悔恨を残すからだ。
フェアリルはようやく顔を上げて妹を見ると、まっすぐ彼女を見て言った。
「──嫌いだよ。お前のことは妹以上には見れない」
「っ………」
ベルティニアの大きな瞳が涙で歪む。
それを見ても、フェアリルは心が動くことは無かった。なにせ、フェアリルとベルティニアは似ているのである。
フェアリルは母似で、ベルティニアも母似。異母兄弟なのだから似ているはずがないのだが、父親の遺伝子は侮れないというべきか、それでも似通っているのだ。
雰囲気とか、目の形とか。
自分に似た女に性愛を感じるはずもない。
「お前ももう16歳だ。早く婚約者を見つけなさい」
そして何の温度も感じさせない声で、兄として言うべきことを言う。
ついにベルティニアはぽろぽろと珠のような涙をこぼしはじめた。一気に気まずくなるヴァートンである。
「ひどい……。どうしてそんなことを仰るの。わたしは、私はお兄様をずっと……」
「……お前のその感情をどうこうする手段を僕は持たないし、思考の自由というのは認められてしかるものだ。だけどその感情は僕を不快にさせるし、嫌悪感を抱かせる。お前がただそう思うことは構わないけど、それを僕に向けるな」
「っ………!どうして!?そ、そんなにレベッカ・バーチェリーが好きなの!?」
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