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ひとつの感情
しおりを挟む「…………」
その時、レベッカの足が止まった。
「?」
不思議に思って彼女の横に並ぶと、くるりとレベッカが振り向いた。そして翡翠の瞳を真っ直ぐにこちらに向けて、静かな声で言う。
「私は、好き、という感情は何よりも強いものだと思うよ。時には、全ての判断基準が狂う」
「え?」
「頭の中ではこうした方がいい、そうするべきだ。そうあるのが利口だと分かっている。……分かっていても、コントロールできない。親愛ではなく、相手を欲してしまう【愛】は、時に判断力をひどく疎かにさせる。愚劣だとわかっていても、その選択肢しか選びようがない。その苦みこそが、恋愛という感情そのものなんじゃないかな」
「あの……」
返答に悩む。答えたレベッカの瞳は真っ直ぐだし、ふざけているようには到底見えない。それまでの鈴を転がすようなふんわりした話し方ではなく、力強い物言いだった。それだけに困惑していると、レベッカがパッと笑いかけた。
「なんて、私も本で見た知識なのだけどね」
「そう、なの……。驚いたわ、なんだかすごく説得力があって」
「ふふ、私に好きな人がいるんじゃないかって?リリアンナはそれを聞いてるの?」
いつの間に言葉遊びのようになっている。ふと、苦手な社交界を思い出してしまって、さらに返答に迷う。社交界でのやり取りは慣れてはいるものの、好きとは言えない。言葉の裏を探し、相手を傷つけ、揶揄する言葉を考えては口にするのは億劫だ。
(レベッカは貴族令嬢ではなく、一般人……なのに。きっとなんの意味もないのよね?)
少し悩んだが、正直に答えることにした。この場では私はリリアンナ・デスフォワードではないし、相手も貴族令嬢ではなく。そしてここは社交界ではない。
それなら、自身を取り繕う必要はなかった。
「すごく説得力のある言葉だと思ったの。私には恋愛がどういうものか、なんて全く分からないし。……そうね、あなたの言う【恋愛】はきっと神秘的な感情なのかしら」
「え?」
今度はレベッカが困惑する番だった。
私は顎に指を当てて、考えをめぐらせながらレベッカに答える。
「時として判断を誤ってしまう。誤ってると分かっていても、それを選んでしまう、それがあなたの言う【恋愛】なら、なんというかーーそう。すごく、【魔性】。恐ろしい魅力があるのね、恋愛には。そして、その【魅力】というのは詳しいプロセスが分からないじゃない。ひとには及ばない、神秘の領域、って感じだわ」
「神秘の領域………」
目を丸くしてレベッカが繰り返す。
彼女の語る恋愛は、まるで呪術にも似た不明瞭さがあると思う。ただでさえ、デスフォワードは秘密と謎に包まれた国だ。小国ながら、歴史が長く続いてるのはその不可解さが理由にあると言っても過言ではないーーと私は思っている。
「リリアンナは、私にとっての【恋愛】と言ったわね。ということは、人によって【恋愛】はバラバラなのかな」
それは独り言にも似た小さな声だったけど、私は答えることにした。
その時、ちょうど本棚が見えてきた。レベッカの言葉通りなら、あの本棚のどこかしらにデスフォワードに関する本があるはずだ。そこに【生涯の呪い】について、記載のある本はあるだろうか。かなり望み薄だが、僅かな可能性に賭けるしかない。
「分からないけど……でも、みんな同じ感情なんて私は存在しないと思うのよ。それは怒りもそうだし、嬉しさもそう。嬉しい、という気持ちだってただひとつの感情だけがあるわけじゃないじゃない?切なさがあったり、沸き立つような衝動があったり、胸が苦しくなるものだったり。その感情が集まったものを【嬉しさ】と呼ぶのだと思うし……恋愛もそうなんじゃないかしら。きっと、一括りにできるものじゃないと思うの」
これは、恐らく私がデスフォワードの王女だから思うことなのだろう。デスフォワードは呪術が発達している国だ。そして、呪術と感情は、切っても切り離せない。悪感情は人に害する呪術に使用されることが多いーー今回の【生涯の呪い】のように。
「ここが近隣諸国の本をまとめた本棚かしら。教えてくれて助かったわ。ありがとう」
話しかけると、それまで何か考え込んでいたのか、レベッカがハッとしたように私を見た。そして僅かに逡巡した後、言った。
「……いや。ううん、私も探すわ。せっかくだし、手伝わせて」
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