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フェアリル・ユノン・エルヴィノア ⑤

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男も女も嫌いだ。
性別は関係なく、欲目を向けてくる人間が嫌いだ。
物心覚えた時からその目は度々彼に向けられてきていた。
幼い頃は妙な違和感を持つだけだったが、侍女に寝台に忍び込まれた日に彼は自身の容姿が他人から見て好意的ーーいきすぎると性的暴走を煽るのだと知った。
それからは疑いすぎるほどに警戒心を抱いて生活を過ごす日々だった。しかし気にすればするほど、他者の目に敏感になってしまいフェアリルは神経質な性格になってしまった。

ふとした瞬間、誰かに見られている。下卑た欲望を込めた視線で見られているというのは幼い彼には耐えにくい苦痛だった。

そして、時同じくして王妃が亡くなる。彼女を溺愛し、懇願し、なかば同情のような形で嫁いでもらった国王は妃が亡くなると腑抜け同然。屍のようになってしまった。政務は疎かにし、国王承認の決裁書が増えていく。
フェアリルは幼いながらに将来の国の不安と自身の貞操の危機を感じながら過ごすこととなった。

今でこそ、王妃に似たこの容姿を利用して国王に最低限の国政をこなさせることに成功したが、それと引き換えに彼は自由を失った。王妃に引き続き、彼女の残り形見であるフェアリルまでを失うのは耐えられないとばかりに国王が彼を外に出したがらないのだ。
そのため彼が視察に赴くことはおろか、城外に出ることすら難しくなってしまった。むろん国王は城から外さないので、自然と城外の情報は遮断される。定期的に監査官や視察隊から報告は上がるが、自分の目で見るのがいちばん早いとフェアリルは考えていた。

リリアンナがばたばたと部屋を出ていったあと、彼はしばらくシーツを睨みつけるように見据えた後、乱暴にシーツをひっぺがすとそれをベッド脇に落とし、横になった。顔に腕を当てる。
なぜあのような行動に出たのか自分でも分からなかった。

リリアンナに責められたように、この行動はたとえ彼女が先に手を出したとしても王太子として褒められるものではなかった。どころか、完全な悪手だ。もしリリアンナが妃狙いで差し入れられたデスフォワードの策略なら、完全にフェアリルはその策に乗せられていたことだろう。
デスフォワードの国王があえて呪いを付与した王女を送り込んできた可能性もあるのだ。
フェアリルはその可能性もあることを考えたうえで。

(それをわかった上で、止められなかった……)

くそ、と彼は毒づいた。

なぜこうも、感情に抑えがきかないのか。あの王女に腹が立ったとして、押し倒してドレスを剥ぐ以外でも方法はたくさんあったはずだ。
そもそも、デスフォワードの王女が死のうとフェアリルには関係がない。
自分には無関係だと彼女を追い返しても良かった。デスフォワード国王が状況を理解しているのなら、フェアリルの判断を否定することは無いだろう。娘を持つ父として思うことはあるだろうが、表立って糾弾してくる可能性はぜろに近い。
デスフォワード国王は、王女が呪いに侵されていることを周知することは無いだろう。王女が呪いをかけられるなど、外聞があまりにも悪すぎる。いらぬ噂を呼ぶことだろう。
彼はしばらく目元をきつく抑えていた。

(あの女は明日には帰国するのか……)

帰国の挨拶、と言っていた。恐らく明日には発つのだろう。あの呪いが本物である以上、定期的に彼と彼女は会わなければならないはずだ。精液の供給が途切れてしまえば、あの娘は死ぬのだろう。

(リリアンナが、死ぬ)

なんだかそれはあまりにも現実味がない。
あの娘は殺しても死ななそうに見えるからだ。

だけど、事実だ。いよいよ彼は腹をくくらなければならなかった。
それは。

「……どうせ、婚姻相手は契約婚のバーチェリーの娘しかいなかったんだ。それからあの女に変わるというのなら」

ファンティーヌと懇意であるレベッカと婚姻すれば、体裁は守られる。
彼女はきっとフェアリルに欲目を向けてくることは無い。
だけど、それだけだ。彼は人目を憚る必要がなくなった彼女たちの触れ合いをおそらく自室で何度となく見ることになるだろうし、(恋人同士の触れ合いは構わないが目の前でされたくない)その度に食傷気味になることだろう。王太子夫妻が寝室で励んでいるように見せかけてフェアリルは寝室から追い出され、私室のソファで眠る日もおそらくあるように思う。
利害の一致した関係ではあるが、彼は必ずこう思う日が来るだろう。

羨ましい、と。
想い想われるふたりをみて、思うことだろう。

そして自身に何も無いことに気が付き虚しくなるのだ。ファンティーヌとレベッカは身分差に加え、同性という高いハードルを持ってなお、結ばれている。そんな強固な絆で結ばれた彼女たちがフェアリルはうらやましいのだ。

自覚することがなかっただけで彼はずっと。それこそ幼い頃から"どうして"と思っていたのだ。なぜ、自分だけふつうの人のように人間関係を築けないのか。なぜ、自分には恋情という気持ちが分からないのか。異性を見ても嫌悪しか湧かない。さりとて、同性か?といわれると同性とそういうことをする己を想像すると彼は死にたくなる。

リリアンナと婚姻したら。彼女が妻となったら。

彼は知らずしてふ、とくちびるの端を持ち上げた。愛や恋など分からない。
少なくとも今の彼には俗に聞く恋しい、という気持ちはわからない。会いたくてたまらない、だとか。リリアンナを自分のものにしたい、とか。そういう狂おしい気持ちは見つからない。

だけど。
彼女が妃になったのなら、きっと楽しいのだろう。彼女との時間は意外なことに新鮮で面白かった。思えば彼がああも感情をむき出しにすることはもう長い間なかった。王子様然とした優男を演じ、人当たりのいい人格を装う。
なにも気負わず話す会話は彼の肩にいらぬ力をかけなかったし、純粋に楽しかったのだ。

彼はため息をつくとゆっくり起き上がった。寝転がったために髪は少し乱れたが、しかし彼の端正な美貌を損ないはしなかった。

そのまま彼は寝台を降りて自室へと向かっていく。彼の部屋には従者や騎士を置いていなかった。部屋の前に騎士は置いてあるが、室内には絶対にいれない。侍女も、余程のことがない限りは訪れないように徹底している。
それが彼が幼い頃ーー文官に襲われそうになった時に決めたことだった。

彼は執務机に向かうと、便箋を一枚取り出した。

「一度きりの人生なんだ。それなら一度くらい、僕だって賭けてみたい」

もし負けるのであれば、それが自分の運命だったのだと諦めることができる。
だけど、もしも勝った時は。

「初めてだ」

彼はポツリと漏らした。

仕事以外で、自分の意思で誰かに連絡を取るということ自体が。

初めてだった。第三者と触れ合って。他人と接して、楽しい、と思ったことが。
彼は二通の便箋を用意すると、やがてそれに封蝋を落とした。

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