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二章

さようなら、私の愛した人

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殺人犯。その言葉にほんの少しだけ、現実感が戻ってきた。どこかふわふわとした私の思考が、頭が、冬の冷たさのように冷やされた。
冷水をかけられたような気分だった。
私を見て、またアーベルトが茶化すように言った。

「あれ、結構堪えてる?意外だね。ひと一人くらい何とも思わずに殺しそうなのに。意外にも道徳観念が強いんだ。もしかしてメリューエルって命は常に平等~とかほざく平民と同じタイプの人間?すっごい意外すぎるんだけど」

アーベルトはぺちゃくちゃ話しながらゆっくりとこちらに歩いてきた。私もまた、少しずつ後ろに下がる。後ろは崖。
あと数歩進めば、私は崖から落ちる。

「でもさぁ、相手が悪かったね。まさかディミアン殿下殺しちゃうとはさぁ。さすがの僕も出来ないよ。というか、無理。せっかくの美味い話もパァだよ。きみのせいだよ?メリューエル」

また一歩。
アーベルトが進み、私は後退した。

「でも、まあ哀れなきみを好きにするっていうのも正直興奮するシチュエーションだし、命だけは助けてやるよ。僕専用の性奴隷にしてあげる」

また一歩。
後ろに下がれば、もうその先は踏みしめる大地がなかった。足が空をかいた。ぱらぱら、と小石が転がる音がした。

「だからさ、メリューエル。こっちにおいで?」

アーベルトがこちらに手を伸ばす。
捕まる。

そう思った私が背後に飛ぼうとした時──

重たい銃声が響いた。
驚く私に、アーベルトもまた間の抜けた顔をしていた。お互いに何が起きているか分からない。
ただ、アーベルトの肩からはじわじわと赤が広がり始めていた。

「……は?な、に」

アーベルトがぎこちなく振り返ろうとした時、こちらに駆けてきた男がアーベルトの手首を返し、素早く組み伏せた。
地面に倒れ伏したアーベルトが「ぐぁ!」と苦しげに呻いた。

だけど彼は一切それに気にした様子を見せず──

「どう……して」

ぽつり、言葉がこぼれた。

一面の銀世界であっても眩いばかりの金の煌めき。
それは陽が落ち、夜闇の中であっても変わらなかった。

彼の長い金髪が、踊るように線を描く。
それはまさしく舞踏のよう。

鮮やかな菜の花色の金髪は、まるで流星のようでいて、金粉のようでもあった。ちらちらと知る粉雪の銀に、美しい金の髪が映える。

夜闇を切り開く朝焼けのような強さのある彼の髪は、今も私の心に光を点した。

それは、私が捨て去ったもののはずだった。
希望、と言う名の光だ。

呆然と彼を見つめるだけの私に彼──ミュチュスカが、笑った。

ミュチュスカが。

「迎えに来たよ、メリューエル」

遅くなって、ごめん。

彼はそう言った。


熱いものが頬に触れて、それでようやく私は泣いているのだと気がついた。

頭は混乱しているのに、ミュチュスカの言葉は確かに、希望の欠片を私に運んだ。
私には触れられない、私には渡されないはずの、星屑の欠片。希望を宿した、灯火。

彼の声は優しかった。

なぜここに来たのか。
どうしてここに来れたのか。
私を追ってきたのか。

色々聞きたいことはあったのに、疑問は言葉にならず、代わりに嗚咽がこぼれた。

「うっ……うう、うー……」

みっともない泣き声だった。
上手く泣き声すらあげることが出来ず、引きつった嗚咽が喉に張り付いた。
泣き声を上手くあげられない赤子のようだった。しゃくりあげる度に、息が苦しくなる。

ミュチュスカはちらりと背後のアーベルトを見た。
アーベルトは気を失ったのか、それとも肩を銃弾で穿たれたのが重症だったのか、起き上がることはなさそうだ。
彼もそう思ったのだろう。
そのままさくさくと雪道を歩き、こちらに向かってきた。

ミュチュスカが来る。
私のところに。

もう会えないと、もう会うことは叶わないと、そう思っていたのに──

そこで、ハッと気がついた。

「待って!この先は崖で──」

一見、雪で覆われて見えないが、私が立っている場所は崖の端だ。

しかも、かなり足元が不安定な場所。
ひとがふたりここに立ったら足元は崩れてしまうのではないか。

焦った私が足を動かそうとした時。

重心を動かしたのが原因だろう。ぐらり、と足元が揺れた。

あ──

「メリューエル!」

ミュチュスカが叫んだ。
だけど、もう遅い。

踏みしめていた地面が、崩落した。
今さっきまで崖の一部だった土の塊がまるごと崩れ落ちる。
当然、私の体もまた──

「──!!」

咄嗟に手を伸ばした。
傾ぐ体のまま、必死に前に。

ミュチュスカが目を見開いて私に手を伸ばすが──ダメ。間に合わない。

死にたいと願っていたはずなのに、生命の危機に瀕した私の体は、本能に忠実だった。
生きたいと、そう願ってしまった。
私の手は虚しく空をかいた。
何も、掴めないまま。
何も触れることなく、 私は落下した。
鈍色の曇天が視界一面に広がった。
ミュチュスカの顔が、だんだん遠く、小さくなってゆく。

ああ、と小さく声を出した。

高い崖だ。
おそらく私は助からない。

自死を決めていたのに、生きたいと、希望の欠片を見つけたのが間違いだったのか。

私には過ぎた願いだったのか。

ミュチュスカの手を取りたいと──

さんざん、人を貶め、蹴落とし、あまつさえ手を血に染めた悪女には、これが似合いの結末なのだろう。勧善懲悪。悪は斃される運命だものね。

私の手の中は、空っぽ。
ミュチュスカの伸ばした手には触れることが出来なかった。

私の終わりは、メリューエル・メンデルの最期は、こんなあっけないものなのね。
ひとり自嘲した。

悪役らしい死に方だ。
だけど、例え悪役でも、悪女でも。

……ほんの少しでも──ねえ、ミュチュスカ。

あなたのためにはなれたかしら?
ねえ、私。あなたの役に立てた?

死んだ後でもいいの。
私がいてよかった、って思ってくれるかしら?

メリューエルの割には、よくやった、って思ってくれる?

ねえ、ミュチュスカ。

私、あなたを愛していた。

……ううん。今も、愛してる。




だから、悔しいけど。憎いけど。
心から恨みと嫉妬が渦巻くけど、最期に願うわ。


あなたの幸福を。




【二章 完】
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