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二章

悪女は業火によって裁かれる、運命

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自死をしようとしたわけではない。
地面は厚い雪で覆われているから、この高さでも死にはしないだろうと考えたのだ。
ディミアンの寝室は二階のようだった。
飛び降りれば、すぐに体の前面が雪に打ち付けられた。思った以上の衝撃で、じんじんと体が痛んだがそれよりも早く、この場を離れなければならなかった。ディミアンを殺害したことに気づかれれば、間違いなく私は追われるだろう。
捕まった先でどのような目に遭うかは、想像にかたくない。いくら私がメンデル公爵家の令嬢だとしても彼らは容赦なく私を拷問するだろう。

それだけでなく、鬼の首を取ったように私の所業を引き合いに出しては五大貴族の権力独占がいかに危険か、声高々に問題提起することだろう。そうなれば、それはもう私だけの問題でも、メンデル公爵家だけの問題でもなくなる。
貴族社会そのものを揺るがしかねないのだ。だからこそ、私はここで捕まるわけにはいかなかった。デイドレス一枚では、吹き付ける寒風に耐えることは難しい。腕には鳥肌が立ち、手足は震え始めた。
ディミアンの邸宅は森林に覆われた場所にあるのか、少し歩けば雑木林に入った。遊歩道が造られていないあたり、ひとが歩くことは想定されていないのだろう。おそらく襲撃を恐れて、意図的に人の進む道を作っていない。
森林に覆われた場所に邸宅を建てたのも、周囲に気づかれないようにするためか。であれば、ここはディミアンの住居ではなく拠点のひとつ、あるいは隠れ家なのかもしれなかった。
ざくざくと歩き進める。もっとも、夜会に履いていくようなヒールの高いパンプスなので、歩きにくいことこの上ない。
せめて、室内履きであるミュールであれば多少は……いや、欲を言うならブーツが欲しい。

そう思いながら雑木林を抜けていく。
陽は落ちて、辺りは真っ暗になった。木々の間からこぼれてくれ月光だけが、私の行く先を照らした。
それでも視界の悪さは変わらず、時折剥き出しの腕や肩を枝に引っ掛ける。その度に軽い感触がするが、寒さのあまり痛覚は麻痺しているのか痛みは感じなかった。

雑木林を抜けると、その先は真っ暗な森が続いていた。
もっとも、その森は見下ろす位置にあったが。
つまり、行き止まりなのだ。辿り着いたのは、崖で、その先は行けないようだ。

やはり、襲撃を恐れてここに邸宅を建てたのだろう。この冬真っ只中の環境下で、断面絶壁の崖を登ってこれる人間がいるとは思えない。
それは先程の考えが正しいことを裏付けたが、これではどうしようも無い。
私は崖の近くに座り込んだ。何ともなしにぼうっと眼下の森林を見下ろす。

『氷の騎士と常春の聖女』。
私はその終盤の物語を覚えていない。
だけど今のこれが、まさに物語の根幹に関わっている部分ではないかと思った。
ディミアンが権力拡大を狙って聖女を攫い、それを助けに来るミュチュスカ。乱暴された聖女を見て、ミュチュスカは彼女の前で初めて怒りを見せるのだろう。
そして、泣きじゃくる聖女を慰める──穢された唇には、甘やかな口付けを贈り、労りの抱擁を交わすのだろう。

ふと、アーベルトが私にちょっかいをかけてきた理由が分かった気がした。
バルセルトは私がアーベルトの好みではなさそうだと話した。であれば、アーベルトはなにか思惑があって私に近づいてきたことになる。

……それは、何?

ディミアンとアーベルトが手を組んでいたことを思えば、恐らくアーベルトは私を向こう側に引き込みたかったのだろう。ミュチュスカに惹かれ、ミュチュスカもまた聖女を気にし始めている。
聖女を邪魔に思う私の妬心を利用しようとしたのだ。物語の私は恐らく──アーベルトの手を取ったのだろうと思う。

|メリューエル(わたし)は聖女に話があると呼び出し、あの男たちが聖女をディミアンの元まで連れていく。それからは、さっきの通りだ。
物語の私は、婚約を破棄するのでも身を引くのでもなく、恋に狂い、嫉妬に焦がれ、身を滅ぼしたのだろう。

何とも私らしい。
その感想が浮かんだ。

寒い風が吹き抜けるが、あまり感覚はなかった。

「…………」

もう、ここで死んでしまおうか。
流石、ディミアンが隠れ家として選んだ土地だ。
この崖を飛び降りれば無傷では済まないだろう。いや、この高さから考えるに死ぬことは容易だろうと考えた。
私がむくりと立ち上がった時、不意に背後から物音が聞こえた。驚いて振り向くと、僅か一メートル先に見知った男の顔があった。

……アーベルトだ。

アーベルトは手にサーベルを持っている。
全く気配がしなかった。彼はおそらく、私が物思いにふけっている間に背後を取り、首に刃物を突きつけるつもりだったのだろう。間一髪、全くの偶然で気がついたが。
私がアーベルトを見ると、彼もまた私を見て驚いたように目を見開いた。
そして、場にそぐわぬ軽快な声を出す。

「あっれ、メリューエル?どうしたの、その髪。というか、ディミアン殿下殺したのってお前?」

「………」

「沈黙は肯定と受け取るよ~?いや~参ったよね。まさかディミアン殿下が殺されるとはさぁ……。こっちもいろいろ計算が狂ったわけ。とりあえず今後のことを考えるにも、きみが来てくれないと話にならないんだよね?同行いただこうか。メリューエル・メンデル。王弟を弑した、殺人犯」
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