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二章

殺人鬼の手 ※R18

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ひとりちいさく自嘲していると、コルセットの紐が緩められ、胸元があらわになった。男の視線に晒されていることがありありと分かる、欲望を込められた視線に吐き気がする。

頭が痛い。苦しい。泣きたい。もう嫌だ。

そう思うけど、でも、耐えなければ。

私はメリューエル・メンデル。
メンデル公爵家の娘が、無様に泣きわめいてはならない。
私は、公爵家の娘なのだから、どんな時でも毅然としていなければならない。

……でも、もう、ほんとうに。

べろり、と男の舌が胸を舐めた。
とん、と背中がシーツについて、押し倒される。

ちゅうちゅうと忙しなく男の口に乳房を吸われるが、快楽は全くなく、ただ不愉快さだけが募った。不快だ。気持ちが悪い。もう嫌だ。

どんなに自分を奮い立たせようと言葉を並べ立てても、この強い感情を抑えることは難しくて、涙を抑えるために目元を手で隠した。
それを見て、ディミアンは「気持ちいいのか?」と馬鹿な質問を投げかけてくる。
彼は私が『黒霧の幻』を飲んだと思っている。
もし私があれを口にしていたら、きっともっと乱れていた。こんな苦しみなど感じなかった。
でも、死んでもあれだけは口にしたくなかった。不快さが、不愉快さが勝ったとしても、この男のために、自分からそれを受け入れる媚薬を飲むなど。
私の矜恃が許さなかった。

ディミアンは執拗に、ことさら丁寧に私の胸を愛撫した。
ぬるついた口内に突起が含まれる度に、嫌悪感で鳥肌が立った。

「声、抑えなくていいんだよ?ほら」

そう言われて気がついた。
そうだ、あの薬は僅かな接触ですら嬌声が上がってしまうほど体を敏感にさせる。喘ぎ声を出さなければ。
とはいえ、ディミアンの前でよがってみせるのは、なけなしの私のプライドが許さなかった。ここまで肌を許しておいては、もう私に淑女の資格を語ることは許されないだろう。

でも、それでも。快楽の声を聞かせるくらいなら──。

甘い逃避の先には、死という逃げ道があった。

もう、何もかも擲って命を絶ってしまえば──少なくとも、私の意識があるうちに辱められることはない。
でも……死んだら?
死んだあとは、きっと私は裸のまま放置される。

検分の結果、私がメリューエルと気づかれるまでに一体、何人の男にこの肌を見られるのだろうか。
その過程で、ネクロフィリアの餌食になる可能性すらあった。
死んだら、何も出来ない。
死んだら、抵抗ひとつ出来ないのだ。

落ち着け。落ち着くのよ。
パニックに陥って感情的に動いたって何もいいことは無い。
今はその時を待つの。あと少し、あと少しのはず──。

私はくぐもった呻き声を出した。

「ん、んんっ……ん」

喘ぎたいが、抑えている、という振りだ。
ディミアンは私の僅かな声にさらに興奮したようだった。
もし彼が素面であったなら、その声が聖女のものでないと早々に気がついていただろうに。男の手が私のドレスを捲り上げる。

視界の端に、白の生地に流れる青を見た。

私がミュチュスカを想い、彼のために誂えたドレス。

それを、ミュチュスカではない他の男に暴かれている。
そのことに、ますます悲しくなり、死にそうなほど、胸が苦しくなった。

男の手が私の太ももを割って、秘部に触れた。そこは全く濡れていなかったのだろう。ディミアンが眉を寄せる。

「濡れにくい質なのかなぁ?でも、安心しなさい。私が濡らしてあげるから」

男は私のストッキングを脱がし、ペチコートをまくり、下着も下ろした。

もう、死にたくてたまらなかった。
惨めで、哀れで。

泣きそうになって、必死に押し殺すがしゃくりあげた声はこぼれてしまった。
ディミアンはそれを、興奮のための声だと勘違いしたようだ。
男の舌が太ももに触れる。反射的に腰が動き、逃れそうになった。

いや、いや、いや──。

頭にあるのはただそれだけ。
早く、早く終わって。
早く、早く──。

目をきつく瞑り、体を強ばらせて耐えようとした。

その時。
ディミアンがうっ、と嘔吐をこらえるように呻いた。

はっとしてそちらを見ると、彼の顔は真っ青だった。
苦しげに胸を抑えている。
私はそれを見て、歓喜に打ち震えた。ようやく、ようやくだ。

カプセルが解けて、ヒ素が回り始めた──。

ディミアンはしきりに「なんだ?」「ぐぅ、み、水を」「ぐぁっ」と呻いては──数秒後、ばたりと倒れ込んできた。
それを咄嗟に横にころがって、下敷きになることを避ける。

ちらりと見ればディミアンは泡を吹いて絶命していた。

私が殺した。
私が、ディミアンの命を奪ったのだ。

目を開けたまま事切れた男を冷めた目で見ると、私はサイドチェストの上に置かれた手巾を手に取り、盥の水につけて男に触れられた箇所を乱暴に拭った。

しかしいくら拭っても、擦っても、不快感は消えない。
白い肌はあっという間に赤くなり、これ以上は皮が剥けるだろう。

無感情に拭った手巾を盥に放り投げて、ディミアンが脱がせた服を次々身につけた。コルセットはひとりで着用することが難しかったが、それでも何とか形にはなった。ずいぶん、緩くなってしまったが。

それも終えると、私はベランダに続く窓を開けた。外は一面銀世界。
ちらほらと粉雪が舞っている。風も出てきているので、そのうち吹雪くだろう。

ちらりとディミアンを振り返る。

ひとを、殺してしまった。

この手で、意図的に。
殺意を持って、男を殺めた。
それも、この国の王弟である男を。

これが知られれば私は処刑台送りだ。
メンデル公爵家は私を見捨てるだろうな、と思った。

最後に、ディミアンの胸元に黒髪のかつらを投げつけて──私は、ベランダから飛び降りた。
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